「元県民局長の公用PCを全公開すれば早い」? ― 行政の守秘義務と個人情報保護を無視した危険な主張

公用PCの文書を「全て公開すればいい」という声に潜む危うさ

兵庫県の文書問題をめぐり、一部の斎藤知事支持者の中から
「公用PC内の文書を全て公開すれば早い」「やましいことがなければ出せるはずだ」
という意見が聞かれます。

しかし、この主張は行政実務や法律を理解していない極めて乱暴で非現実的な発言です。

公用PCには「県保有の秘密」や「個人情報」が多数含まれる

県職員が使用する公用PCには、次のような情報が含まれています。

  • 政策立案過程の調整資料や内部メモ
  • 国・他自治体・企業・住民との交渉記録
  • 職員の人事・健康・懲戒などの個人情報
  • 県民や企業からの通報・相談記録(守秘義務対象)
  • 契約・入札・監査などの非公開情報

これらは「地方公務員法第34条(守秘義務)」や
「個人情報保護条例」「情報公開条例」の非開示規定によって守られています。

したがって、公用PC内の文書を全て公開することは法的に不可能です。
それを求めること自体が、県民の利益を損なうリスクを伴います。

「私的文書だけ公開」も実務上は難しい

一見、「私的文書だけなら公開できる」と思われがちですが、
実際には公的文書と私的文書の線引きは非常に難しいのが現実です。

  • 業務メモが公的文書に該当することがある
  • 私的な連絡でも県庁ネットワークを介すれば管理対象になる場合もある
  • 一方で、家族や知人へのメールを公開すればプライバシー侵害

このように、「どこまでが公務で、どこからが私事か」は簡単に区別できません。
そのため、第三者が「全部出せ」と言うのは、行政の仕組みを理解していない発言といえます。

「非公開=やましい」ではない ― 印象操作に注意

「隠しているのはやましいからだ」というのは、典型的な印象操作的レトリックです。
行政が非公開にしているのは「やましいから」ではなく、
法令に基づき、行政の公正性や個人の権利を守るためです。

もし疑問があるなら、

  • 情報公開請求による部分開示請求
  • 議会や監査委員、第三者委員会による検証

といった正式な手続きを通すのが、民主的で健全な方法です。

公用PCの公開要求は「論点のすり替え」

仮に元県民局長(渡瀬氏)に何らかの不適切行為があったとしても、
それは通報者個人の問題であって、通報内容の真偽とは無関係です。

通報とは、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が重要。
それにもかかわらず、公用PCの中身や通報者の性格に焦点を当てるのは、
本来の焦点である「知事側の不正・違法性」から注意をそらすための論点ずらしです。

まるで、

「レジからお金を盗んだ店員を通報したら、通報された店員が『通報者はセクハラしているから信用できない』と言い出した」
ような構図です。

本来、調べるべきはレジの中身、つまり不正行為の有無で、通報者がセクハラしているから通報の中身が信用出来ないとはならないのです。

「悪性立証」しても、知事の違法行為は消えない

仮に斎藤支持者が言うように、
渡瀬氏の公用PCから「私的利用」や「批判的発言」が見つかったとしても、
それは渡瀬氏個人の行為の話であり、
第三者委員会が認定した斎藤知事の違法・不適切行為が帳消しになるわけではありません。

第三者委員会の報告書は、

  • 文書改ざん
  • 虚偽説明
  • 公益通報の取り扱い不適切
    など、行政としての手続き違反を明確に認定しています。
    通報者の人格や私的行動は、法的な評価に影響しないのです。

「通報者攻撃」は心理的防衛の表れ

なぜ斎藤信者がそこまで公用PCにこだわるのか。
その背景には、心理的な要因もあります。

自分が信じてきたリーダー(斎藤知事)が不正を働いたという現実を受け入れられない人ほど、

「通報者が悪い」「裏がある」「動機が不純だ」
といった形で、原因を他者に転嫁しようとします。

これは心理学でいう認知的不協和の解消です。
「信じてきた知事が悪かった」という不快な現実を、
「通報者が裏切ったから悪い」にすり替えることで、自分の信念を守ろうとするのです。

公用PCに執着するのは、現実逃避と政治的盲信

  • 公用PCの公開は法的にも不可能(守秘義務・個人情報保護に反する)
  • 「悪性立証」しても、知事の違法行為は消えない
  • 通報者攻撃は、信者の心理的防衛と論点ずらし
  • 本質は「誰が悪いか」ではなく「行政が正しく機能しているか」

結局、「公用PCを公開しろ」という主張は、
知事の不正から目をそらすための煙幕であり、
法治行政や公益通報制度の理念を理解していない政治的盲信の現れです。

公用PC公開の「実務的な限界」も大きい

仮に調査や公開を行うとしても、

  • 個人情報の黒塗り作業が膨大
  • システム監査・セキュリティ審査の実施が必要
  • 公文書管理法・情報公開条例に基づく審査に数か月を要する

といった実務上の制約があります。
「全公開すれば早い」という考えは、現場を知らない素人発想です。

結論:公用PCの「全公開」要求は、行政倫理を壊す危険な発言

  • 公用PC内には機密・個人情報が多数含まれるため、全公開は法的に不可能
  • 「私的文書だけ公開」も線引きが難しく、プライバシー侵害のリスク
  • 「非公開=不正」という短絡的な決めつけは、印象操作に過ぎない

行政が法令に基づき非公開とするのは、やましさではなく公正さを守るためです。
「公用PCを全公開しろ」という主張は、民主的統治の基本である「適正手続」を否定し、
結果的に行政倫理と県民の信頼を損なう危険な発言と言えます。