齋藤元彦知事のSNS運用は「公私混同」か?法律職の2人が指摘する本質的な問題とは

2025年10月20日

兵庫県の齋藤元彦知事が、自身のX(旧Twitter)アカウントで公務の様子を頻繁に発信しています。
しかし最近、複数の法律職が「私人アカウントで公務写真を使うのは公私混同ではないか」と指摘し、問題が注目を集めています。

本記事では、法律職の火食鳥次郎および中道一政氏弁護士が指摘する法的・倫理的論点を整理し、この問題の本質を解説します。


火食鳥次郎氏の指摘 ― 著作権よりも「公私混同」が本質

火食鳥次郎氏は、齋藤氏が問題を「著作権の帰属」は本質的な問題では無いと指摘しています。
ポイントは次の通りです。

  • 県職員が公務として撮影・作成した写真の著作者は職員個人、または**兵庫県(職務著作)**であり、齋藤個人ではない
  • 仮に齋藤氏が「許諾を得て使っている」と説明するなら、公的リソースを私的SNSに流用している構図になる。
  • つまり問題は「著作権が誰にあるか」ではなく、**「誰のために、どんな目的で、誰が作業したか」**という点にある。

齋藤氏の答えは無茶苦茶ですが、写真・文章の著作者が誰か、著作権が誰に帰属するのか、はあまり本質的な問題であるとは言い難く、単に、私人さいとう元彦個人のXアカウントに用いる写真・文章を、公務員に業務として撮影・作成させるのは公私混同であり、問題だという話だと思います。↓

出典

また、もし齋藤氏の説明通り「県職員から無償で利用許諾を受けた」とするなら、それは上司と部下の関係を利用した**“無償提供の強要構造”**にもなりかねません。


中道一政弁護士の指摘 ― 小池都知事との比較で見える「線引きの欠如」

もう一人の弁護士の中道一政氏は、小池百合子都知事との比較を用いて、齋藤氏のSNS運用の「構造的な不適切さ」を指摘しています。

小池都知事は「私的アカウント」と明確化している

  • 小池氏はアカウント名に「東京都知事」と書かず、投稿内容も私費による活動のみ。
  • 公務や公費活動を投稿する場合は、都の広報アカウントを通じて発信している。

齋藤氏は「私人アカウント」で公務を発信している

  • 齋藤氏のXは「個人アカウント」と主張される一方で、投稿内容は公務や公費による活動報告が中心。
  • 撮影に県職員が関わり、公費による活動を私人SNSで発信しているのは明確な公私混同

「公務でのお出かけ先ですから兵庫県広報でお知らせしましょう。
個人アカウントの中で、公費で得たリソースを私的に流用してはいけません。」

出典

この指摘の根底には、行政の透明性と政治的中立性の観点があります。
公費で行った活動を私人のSNSで発信すれば、自己宣伝や選挙広報と混同されるおそれがあるからです。

公職選挙法上の問題点

公職選挙法第136条の2

公務員は、その地位を利用して選挙運動をしてはならない。

つまり、「知事という肩書・権限を利用して選挙活動を行うこと」は禁止されています。

ここで重要なのは「利用しているかどうか」の判断基準です。

たとえば:

  • アカウント名が「兵庫県知事さいとう元彦」
  • 公務(県政報告や県事業の発信)にも使われている
    → つまり 公務と一体化したアカウント です。

このアカウントを、

「実績や政策を紹介しています。ぜひご覧ください。」

と選挙期間中に使った場合、それは「公務の実績をもって自己の選挙活動に用いた」=地位利用とみなされる可能性が極めて高いです。


地方公務員法上の問題点(県職員関与がある場合)

もし県職員がこのアカウントの運営(投稿・画像作成など)に関与していた場合、

  • 地方公務員法第36条(政治的行為の制限)、
  • 第33条(信用失墜行為の禁止)
    などにも抵触します。

これは「公的リソースの私的利用」に当たるおそれがあり、重大なコンプライアンス違反です。


「個人アカウントだから問題ない」という反論の誤り

斎藤支持者が言う

「政治家個人のアカウントだ。両方発信して何が悪い」

という主張は、以下の理由で誤りです。

  • 「個人アカウントかどうか」は本人の主張ではなく、実際の運用実態で判断されます。
  • 名称に「兵庫県知事」と付け、公務内容を日常的に発信している時点で、公的アカウントとして運用していると見なされるのが法解釈上の通例です。
    (総務省の通達や判例でも、肩書や公式情報発信を混在させた場合は“公的性格を帯びる”とされています)

したがって、
「個人としても使ってるからOK」
ではなく、
「公的アカウントを選挙利用したからNG」
となります。


中道弁護士の指摘の正当性

中道弁護士が言うように:

知事としての地位を利用したアカウントで選挙運動を行うことは、公職選挙法上、許されない。

という見解は、公選法136条の2の趣旨に完全に合致しています。


【結論】

見解妥当性理由
中道弁護士の主張✅ 正しい「知事の地位を利用したアカウントで選挙活動」は公選法136条の2に抵触しうる
斎藤信者の主張❌ 誤り「個人アカウント」と言い張っても、実際に公務利用されていれば法的には公的性格を帯びる

「齋藤氏が著作権者」という主張が生む自己矛盾

もし齋藤氏が「自分が著作権者」と主張するなら、それは次のような論理的帰結を生みます。

前提帰結
知事として公的行事に参加し、特等席などから撮影公的地位を私的利用して個人著作物を作成
職員が撮影し、県が経費を負担公的財産を私的SNSで使用(流用)

どちらにしても、公的地位を私的利用していることになります。
この矛盾は、齋藤氏の説明を根底から揺るがしています。


本質は「行政倫理」の問題 ― 公的資源の私的利用

両法律職の共通見解は明快です。

これは著作権の問題ではなく、行政倫理の問題である。
齋藤氏が公的リソース(職員・公費・機材)を使って、
私的SNSの発信を行っていること自体が不適切。

法的には次のような論点が関係します。

  • 地方公務員法 第35条・第36条(職務専念義務・中立義務)
  • 地方自治法 第242条(公金の目的外使用の禁止)
  • 政治倫理条例・公費支出基準(自治体ごとに規定)

これらに照らすと、
「私人アカウントでの広報活動に県職員を従事させる」ことは、制度上も説明が難しい行為です。


公私混同を正当化できる説明は存在しない

両法律職の指摘を整理すると、結論は次の通りです。

論点内容
著作権齋藤氏が著作者になることはあり得ない
撮影行為職務上の行為なら公的性格、公務員個人の無償奉仕も不適切
倫理面公費・公務員労働を私人のSNSに流用するのは公私混同
解決策公的発信は「兵庫県広報」で行うのが正道

つまり、

「齋藤知事の問題は著作権ではなく、行政倫理そのものである」
というのが、両法律職の共通した立場です。


斎藤元彦知事の行動が「公私の境界があいまい」「遵法意識が希薄」な理由

公的地位の「私物化」意識

斎藤知事の行動には、「自分=県の代表=県そのもの」という意識の強さが見られます。
つまり、公職と個人を一体化してしまう思考です。
そのため、「県の広報活動」も「自分の政治的・イメージ的活動」も区別がつかなくなり、結果として「公的リソースを私的アカウントで活用する」ような行動になります。

行政経験の浅さと「政治家意識」の希薄さ

斎藤知事は、官僚出身(元経産省)であり、政治家としての訓練や修羅場経験が浅いことも大きいです。
行政官としての論理(上からの許可さえあればOK)と、政治家としての倫理(市民目線での説明責任)はまったく別物ですが、その切り替えができていないように見えます。
つまり、「ルールを守る」よりも「形式的に問題ないように見せる」ことを重視している。

「イメージ政治」の依存

SNSの発信に非常に熱心で、特にX(旧Twitter)での露出を重視しています。
これは、政策や実績よりも「イメージ」で有権者の支持を得たいというタイプに典型的な行動です。
そのため、公務の一部を「宣伝素材」として私的アカウントに転用するという構造が生まれやすい。
→ いわば「県政広報よりも、自分のブランディングを優先している」状態です。

周囲が止めない「イエスマン体制」

周囲の県職員や側近が、知事に異を唱えにくい環境にあると推測されます。
本来なら「それは公私混同です」「その写真は県の著作物です」と進言すべきところですが、トップの意向を忖度する体制ではブレーキが効かない。
→ 結果として「小さな逸脱」が常態化し、本人も「問題ない」と錯覚していく。

法的知識より「政治的感覚」で動く

先日の著作権発言のように、法的整合性よりも「自分の言葉で押し切る」傾向があります。
これは、論理や法よりも印象操作を優先するタイプの政治家に見られる特徴です。
「説明すればわかるだろう」「県民は細かいことまでは気にしない」という過信が根底にあります。