斎藤知事、高市総理の「公益通報者保護法」答弁を無視立花容疑者への「共感」も否定せず——兵庫県政の統治危機

高市総理の答弁を無視——前代未聞の「行政の長」の逸脱

2025年11月11日の定例記者会見で、菅野完氏が指摘したのは極めて重大な法解釈問題です。

前日の衆議院予算委員会で、高市早苗総理は次のように明言しました。

「改正前の公益通報者保護法においても、3号通報者(報道機関、消費者団体、弁護士、支援団体など)は保護対象である。
兵庫県からは、知事の解釈と政府の法解釈に齟齬はないとの報告を受けている。」

つまり、内閣総理大臣答弁として「3号通報は保護対象」と政府見解が確定したのです。

ところが斎藤知事は、質問に対してこう答えました。

「予算委員会は見ておりません。」
「兵庫県としては、適正適法適切に対応してきた。」
「最終的には司法が判断する。」

これは、政府答弁(=法的拘束力を持つ政府解釈)を事実上否定したに等しい発言です。

現実には「齟齬あり」——知事が異なる解釈を繰り返す

ところが、その翌日(11月11日)の兵庫県知事定例会見で、斎藤知事は次のように述べました。

「兵庫県としては、事業者として判断させていただいております。」
「文書問題については、適正適法適切に対応してきた。」

この発言は、明確に政府見解と矛盾しています。
なぜなら、政府(消費者庁・内閣総理大臣)は、「改正前から3号通報は保護対象」としているのに対し、兵庫県は「保護対象ではない」とする立場をとり続けているからです。

つまり、政府見解と県の見解には明確な齟齬が存在しており、高市総理の答弁内容とは整合していません。

「齟齬がない」と報告したのは誰か——行政の信頼を揺るがす虚偽報告の可能性

高市総理は「兵庫県から齟齬はないとの報告を受けた」と述べています。
しかし、実際には知事が今も「3号通報は対象外」という見解を維持していることから、どの段階で、誰が「齟齬なし」と報告したのかが極めて重要な問題となります。

考えられる可能性は2つです。

  1. 兵庫県庁が誤った報告を国に送付した(=虚偽報告)
  2. 県知事本人が齟齬を承知のうえで放置した(=説明責任の放棄)

いずれにしても、行政組織として重大な信頼失墜行為です。
国と地方自治体の法解釈が食い違っているにもかかわらず、「整合している」と虚偽の印象を与えたことは、行政情報の正確性の原則に反します。

忖度ではなく“諦念”——職員がもうついていけない

これまでの兵庫県政では、問題が起きるたびに「知事を守る忖度文化」が指摘されてきました。
しかし、今回の「国への虚偽的報告(齟齬なし)」に関しては、その背景にはまったく異なる心理が働いていると見られます。

それは——

「もう、どんな報告をしても知事が勝手に話を変える」
「説明責任を果たさないトップの尻拭いに、現場は疲れ切っている」

という、職員側の諦め・倦怠・組織的脱力感です。

この心理は、もはや「守る」ではなく「距離を置く」段階に入っており、組織としての崩壊が静かに進んでいる兆候といえます。

現場を疲弊させた“嘘の上塗り政治”

斎藤知事の答弁や発言には、一貫して「その場しのぎ」と「整合性の欠如」が見られます。

  • 「適法に対応した」→第三者委員会が違法・不適切と認定
  • 「内部通報に限定されるという考え方もある」→政府答弁が“保護対象”と明言
  • 「はばタンPay+の情報漏洩」→後日、業者名を公表して責任転嫁

このように、一度の発言が次の矛盾を生み、現場が火消しに追われる
まるで「嘘を上塗りすることでしか一貫性を保てない県政」と化しています。

職員たちはその矛盾をすべて把握しており、内部では次のような諦めの声が出ている可能性があります。

「どうせ訂正も謝罪もしない」
「庁内で何を言っても知事の独断で覆される」
「正直に報告しても、自分たちが責められるだけ」

この空気が蔓延すれば、もはや“忖度”ではなく放棄です。

「齟齬なし」報告の裏にある“無力感の構造”

国に「齟齬なし」と報告した職員が、本当にそう信じていた可能性はほぼありません。

むしろ、現場ではこうした思考が働いたと考えられます。

心理段階職員の内心結果
初期段階知事を守らねば忖度・修正報告
中期段階知事の説明が支離滅裂不信・戸惑い
現段階どうせ何を言っても無駄放棄・惰性報告

つまり、組織が「守るモチベーション」を失った段階に来ているのです。

この状態では、職員は「正確な行政」よりも「関わらないこと」を優先します。
結果として、報告・答弁・資料のすべてが「誰も責任を取りたくない文書」に変わっている可能性が高いと言えます。

なぜ「齟齬放置」が問題なのか——法治主義の形骸化

日本の行政は、国と地方の関係を「法に基づく協働」で運営しています。
特に公益通報者保護法のような全国的制度では、政府の法解釈が基準となり、自治体はそれに沿って制度運用を行う義務があります。

それにもかかわらず、兵庫県が政府見解と異なる立場を放置していることは、法の統一的運用を崩壊させる行為です。

さらに問題なのは、知事が「行政の長」として、

「政府見解と齟齬があることを把握していない」
「是正の意志を示さない」
という二重の怠慢を重ねている点です。

この状態を放置すれば、県庁の職員も「どちらの法解釈に従うべきか分からない」という混乱が続き、公益通報制度そのものが機能不全に陥ります。

「齟齬放置」は故意か過失か——説明責任が問われる段階に

高市総理の答弁以降、兵庫県側がこの齟齬を是正した形跡はありません。
つまり、知事自らが政府見解との不一致を放置している状況です。

これがもし故意(意図的)であれば、「政府答弁の内容を軽視した地方行政の逸脱行為」となり、過失であっても「行政監督の怠慢」として極めて重大です。

いずれの場合も、県議会または監査委員による検証・是正要求が不可欠です。

立花孝志氏との「共感」を否定せず——倫理的破綻

さらに深刻なのは、菅野氏が引用した「ニコニコ生放送」での発言です。

「公益通報の問題について、立花さんが非常に本質を捉えておられたので、共感した部分がありました。」

と知事自身が語っていたことに対し、菅野氏が確認すると、

「討論会での評論内容についてコメントしたということです。」
と曖昧に回答し、「共感したか否か」を明確に否定しませんでした。

ここで重要なのは、その「共感した」とされる立花氏の発言が、

  • 匿名文書を「内部告発」ではなく「デマ」と決めつけた
  • 告発者個人を特定・攻撃する言動を繰り返した
    という内容だった点です。

つまり、知事がそのような主張に「共感した」ということは、公益通報者保護法の理念そのものを否定する発言に共鳴したことになります。

倫理的にも政治的にも、極めて危険な態度です。

共感の意味は「公益通報者の敵対宣言」

公益通報者保護法は、行政・企業・団体における不正を内部から是正するために、「通報者が不利益を受けないこと」を最大の目的としています。

それにもかかわらず、知事が「内部告発をデマと断じ、作成者を探す姿勢」に共感したとすれば、それは「公益通報を敵視する」と公言しているのと同義です。

「共感した」という言葉を取り消さない限り、斎藤知事は今後も、通報があれば「デマ」と断定し、通報者を特定・排除することを是認していると見なされても仕方がありません。

つまり、これは単なる政治的リップサービスではなく、**行政トップによる「報復容認宣言」**です。

公益通報者保護法の理念と正反対の姿勢

公益通報者保護法の理念は明確です。

「通報を理由として解雇その他の不利益取扱いをしてはならない」

「通報者の保護と不正の是正を通じて、健全な行政・企業運営を確保する」

この理念を踏まえるなら、知事が「通報者を探し出す」「デマと決めつける」といった言動を肯定・共感することは、法の目的を根本から否定する行為にあたります。

特に行政機関の長は、法の運用者として「通報者を守る立場」にあるにもかかわらず、「通報者を攻撃する側」に共感しているという構図は、極めて異常です。

倫理的に見ても致命的——行政トップの信頼失墜

政治家が過去の発言に対して「否定しない」という沈黙は、実質的には「維持する意思表示」です。

行政倫理の観点では、

  • 「不正を指摘する者を守る」
  • 「事実確認を通じて再発防止を図る」
    のが基本原則。

それを放棄し、「攻撃に共感」と言い切ったまま沈黙するのは、倫理上の自殺行為に近い。

特に県職員や内部通報制度の担当者にとって、「知事が通報者攻撃を肯定している」という事実は、内部通報制度を完全に機能不全に陥らせます。

今後の公益通報への悪影響——沈黙が招く萎縮効果

行政トップがこのような姿勢を取ることで、県庁職員や外郭団体の職員はこう考えるようになります。

「通報したらデマ扱いされるかもしれない」
「知事が通報者を探すなら、自分も狙われる」

こうした**萎縮効果(chilling effect)**が生まれれば、
組織の内部不正は隠蔽され、行政の透明性は完全に失われます。

つまり、斎藤知事の「共感発言を否定しない」という態度は、法的にはもちろん、行政倫理・県民の信頼・組織統治のすべてにおいて致命的です。

「捜査中なのでコメントを差し控える」の乱用

会見の締めくくりで、菅野氏が確認しました。

「兵庫県警が捜査している全ての案件について言及しないということでよろしいですね?」
「はい。捜査中の事案についてはコメントを差し控える。」

つまり、今後すべての事件について「捜査中」を理由に沈黙を続けると明言したわけです。

これは、県政の透明性にとって致命的です。
行政トップが「捜査中」を万能の盾にして一切の説明を拒めば、
県民の知る権利も、議会の監視機能も、すべて形骸化します。

「行政の長」ではなく「行政逃避の長」

この会見で明らかになったのは、斎藤知事がもはや「行政の長」としての責任感を失い、「法解釈も説明も他人任せ」という姿勢に陥っていることです。

・政府見解と異なる解釈を取り続ける
・倫理的問題を否定しない
・「捜査中」で全てを封印する

この三重構造は、もはや政治的防衛ではなく「行政逃避」です。

県民にとって必要なのは、「誰のための県政なのか」という一点に対する説明であり、その責任から逃げ続ける限り、兵庫県政の信頼回復はあり得ません。