斎藤知事は“分断”を放置しているのか―報道特集・日下部キャスターの指摘から考える県政のリーダーシップ不在―
目次
日下部氏が指摘した「不作為」の本質
TBS「報道特集」で日下部キャスターは、VTRを見た感想として次のように語りました。
「斎藤知事の不作為。当事者でありながら、まるで他人事のような振る舞いを続けている」
「リーダーシップを発揮していれば、県民の分断や県政の停滞に歯止めがかかったのではないか」
この指摘は、多くの県民が感じている違和感を非常に端的に表しています。
問題の核心は、知事が“行動しなかった”ことそのものだけでなく、**「本来リーダーが果たすべき役割から逃げ続けている」**という点にあります。
県政運営の基本は「意見が違う県民をどうつなぐか」
どの自治体にも賛否はあります。とくに大きな問題が発生した時、知事には県民の不安や疑念を解消し、県を一つにまとめる責任があります。
- 適切な説明
- 公正な調査
- 情報公開
- 批判や異論にも耳を傾ける姿勢
これらを実行して初めて、県民は「この人についていこう」と思えるものです。
ところが、斎藤知事の場合は、意見の違いを埋めるどころか、放置し、結果として深刻な分断を拡大させています。
「分断を放置」ではなく「分断を容認・助長しているように見える」
これは単なる“放置”にとどまりません。
▼ 実際に見られる行動パターン
- 自身を支持するSNS層による反対意見への攻撃を放置
- 批判者に対しては強い態度を取り、支持者の問題行為には言及しない
- 記者会見では他者の責任を強調し、自身の非を認めない
- 誤った情報や虚偽投稿を訂正しないまま放置
- 公益通報者保護法の問題でも、説明を避け続けた結果、県民の溝を深めた
このような態度は、「分断を抑えるどころか、分断を利用して自身の政治基盤を維持している」と見られても仕方ありません。
政治学・行政学の観点でも、リーダーが異なる意見の住民を包括せず「支持者だけを見て政治をする」ことは、典型的な分断政治の特徴とされています。
県民側に残る“孤立感”と“無力感”
多くの県民は、政治的な争いが好きなわけではありません。
ただ、
- 県政に関する不透明さ
- 県の説明責任の欠如
- SNSでの誹謗中傷の横行
- 批判者への攻撃的な風潮
こうした環境が続くと、**「声を上げても無駄だ」「話が通じない」**という無力感が強まります。
これはまさに、**リーダー不在の県政が生む“政治的な疲弊”**ともいえる状況です。
本来知事が果たすべき役割
県政の長として必要なのは、「自分の支持者を守ること」ではなく、“県民全体の利益”を守り、対立を収め、信頼を回復することです。
本来なら以下を早期に行うべきでした。
- 事実関係の丁寧な説明
- 誤情報やデマの明確な否定
- 支持者・反支持者を問わない公平な姿勢
- SNS上の攻撃的言動への注意喚起
- 透明性の高い調査と結果の公表
それらを怠り続けたことで、県民の分断は深刻化し、日下部氏が指摘する通り、県政の停滞を招いていると言えます。
「斎藤知事の方が多くの誹謗中傷を受けている」という主張
斎藤信者は、「斎藤知事の方が多くの誹謗中傷を受けている」という主張をしますが、まず事実として、知事が定例会見で触れたのは自身への誹謗中傷について一度だけで、ご家族への被害について具体的な言及はしていません。
一方で、竹内元県議、丸尾県議、奥谷県議などが受けてきた異常な“攻撃・嫌がらせ”については、実際に記者会見や取材、百条委員会でも取り上げられ、内容もより具体的に確認されています。また、斎藤知事に批判的な意見を述べる人への攻撃も多くあります。
さらに重要なのは、知事は自身の支持者による誹謗中傷について「表現の自由」と述べて止めようとしていないという点です。
批判の対象になっているのはここであって、「どちらがより酷い誹謗中傷を受けたか」という比較ではありません。
もし本当に誹謗中傷が深刻だと考えているのであれば、
・支持者の攻撃を止める
・冷静な議論を促す
・事実誤認を訂正する
こうした姿勢をトップ自身が示すことが一番効果的です。
しかし現状、誹謗中傷を止めるどころか“容認”するような発言が続いているため、問題が大きくなっているというのが多くの県民の認識です。
まとめ:分断は自然発生したのではない
結論として、県民の分断は「自然発生したもの」ではなく、知事の不作為と偏った姿勢が生み出した結果といえます。
今の兵庫県政は「県を一つにするリーダーシップ」が不在であり、むしろ分断を“放置・容認・助長”しているように見えることが、県民の不信の最大の原因になっています。






