斎藤知事に投票したことを後悔する声が急増 — 行政の長としての責任放棄と説明責任の欠如

2025年12月10日

兵庫県政を巡り、斎藤元彦知事への信頼が急速に失われています。
「行政の長」として説明責任を果たすどころか、疑惑に対する具体的な説明を避け続ける姿勢が露呈し、多くの県民から後悔、失望、怒り、恥ずかしさといった声が上がっています。

特に、かつて支持していた人々が離反し始めていることは極めて重大です。
今回は、SNSやヤフコメなどに投稿された「斎藤知事に投票したことを後悔している声」を紹介し、その背景を整理します。

目次

行政の長として果たすべき責務とは

行政の長は、法と県民からの負託を受けて組織を統治する責任があります。

  • 疑惑に対する説明責任
  • 公正・透明な行政運営
  • 県民との対話
  • 県政の信頼維持

しかし現在は、

「何故、適法なのかという点を法律に照らして説明しない」
「記者会見で質問に答えない」
「県民との公開討論から逃げ続けている」
という批判が噴出しています。

支持者だった県民たちの後悔の声

投票者の強い後悔

兵庫県民です。この問題が起きた当初、あまりのマスコミの斎藤知事叩きに違和感をもち、立花氏の「マスコミはウソばかり、知事は何も悪くない素晴らしい人」だというキャンペーンにも後押しされ、斎藤知事に投票しました。再選後知事は「生まれ変わってやり直したい」と言っていたので、この分断混乱した状態を収めてくれるのだと思っていたのですが…。知事は反対派含む多くの県民に広く理解を求める姿勢もなく、記者とも全く対話になっていない。記者会見は県民の知る権利のためにやっているのに。様々な疑惑には絶対に答えない。言われた疑惑に違うなら違う、とハッキリ言うことすらしない。政治家は人と対話し、交渉することが大事な仕事だと思うが、ここまで対話ができない、混乱を招くばかりでおさめることもできないとは。たとえ掲げる政策はどんなに良いものであっても、これで県政を進めることができるのか。次は投票しません。

https://news.yahoo.co.jp/profile/news/comments/0bca37a8-426c-433b-af0e-411df44ccf2b

支持から反支持へ

職場の同僚に、斎藤支持から反斎藤へと宗旨替えした女性がいらっしゃる。彼を支持していた理由は「若くて、シュっとしていて、こんな人が悪いことをするわけがない。」というバイアスが利き過ぎた判断だったそうである。チーム斎藤の女性陣にはこのタイプも少なくはないはず。
彼女が氏を支持できなくなったのは度重なる会見での、判で押したかのごとき不誠実な受け答えと、そこに生まれた彼への疑念から「第三者委員会報告書」を丁寧に読み込んだからだそうである。加えて彼が喧伝する若者世代への肩入れが、結局のところ違法ではないものの、若者世代の支持を取り込もうとする態のいい選挙運動であると判断せざるを得ない…とのこと。 

立花氏の犬笛効果も薄れつつある今、その呪縛から解放されるとともに自分の目、耳、頭で考えることのできる県民が増えてくるのだろう。

https://news.yahoo.co.jp/profile/news/comments/5f49807a-9389-4fac-be5e-c3205f22b97f

県民としての恥

斎藤元彦が再選したときは、なんというか市民の力で巨悪に勝ったみたいな高揚があって斎藤元彦に投票したと言いまくってたんだけど、いま神戸市内で、自分の周りで誰もそんなこと言う奴はいない。めちゃくちゃ恥ずかしい。

https://anond.hatelabo.jp/20250220110958

投票に行かなかった人の後悔も

議会はひよらないで不信任決議を出して欲しい。 前回の「出直し選」は投票に行かなかったけど、今度こそ斎藤以外に入れます。 だってまさか、立花なんかの流言に県民が惑わされて当選するなんて思いもしなかったから。 自分と同じ感じで投票に行かなかった人も多いと思う。

https://news.yahoo.co.jp/profile/news/comments/b232a131-c98b-47a7-bd14-a4d5c2d0923c

認知的不協和を超えて支持が反転する意味とは― 投票行動の誤りを認める声が示す社会心理の重要なシグナル

人は通常、自らの判断が間違っていたとは認めたくないものです。
特に政治的な選択は、自己評価やアイデンティティと強く結びつきやすく、

  • 「自分が間違っていた」
  • 「騙されていた」
  • 「期待していたものが裏切られた」

と認めることは精神的な負荷が大きく、一般的には容易ではありません。
心理学ではこの現象を 認知的不協和(cognitive dissonance) と呼びます。

認知的不協和とは何か

人は、自分の行動と現実にズレが生じると強いストレスを感じます。
そのストレスを解消するために、

  • 「自分は正しかった」と考え続ける
  • 不都合な事実を避ける
  • 自分の選択を肯定する情報だけを集める(確証バイアス)

といった反応を取りがちです。

そのため本来は、

誤りを認め、立場を変えることは最も難しい心理行動のひとつ

と言われています。

それでも支持が反転するという現象の意味

その困難を超えて、

  • 「投票したことを後悔している」
  • 「もう支持しない」
  • 「今度こそ斎藤以外に入れる」
  • 「母と一緒に投票に行く」

と公言する人が増えるというのは極めて大きな意味があります。

評価ポイント

重要性内容
社会心理の閾値突破多数が声を出すことで、沈黙の圧力が崩れる
正当性の証明立場を変える動きは実感や観察に基づく「生活者の判断」である
支持基盤の崩壊コア支持層からの離反は政権運営に致命傷
感情ではなく事実に基づく転換第三者委員会報告書などの情報に基づく合理的判断
社会的空気の変化「言えば叩かれる空気」から「言ってもいい空気」へ転換

特に注目すべきは、

支持していた人ほど、事実を知ったときの失望が深い

という点です。

元支持者は感情的批判ではなく、

  • 会見の不誠実さ
  • 説明責任の欠如
  • 県民との対話拒否
  • 第三者委員会の事実認定

といった具体的根拠によって立場を変えています。

これは最も重い批判です。

社会変化のサインとしてどう評価すべきか

変化の兆し(ティッピングポイント)が始まった

社会学では、

10〜15%の人が明確に意見を変えると、社会の多数派意識が一気に転換する
と言われています。

「支持から反支持への転換」は、まさにその閾値の象徴です。

県民の「沈黙のスパイラル」が崩れ始めている

これまで

  • 支持者に攻撃されるから言いにくかった
  • 雰囲気的に批判しづらかった

という状況があった。

しかし今は

「言っても良い空気」
「後悔を共有できる空気」

が形成され始めています。

民主主義の健全さの回復過程である

投票はゴールではなく、始まりです。
誤りを認めて修正することこそ、民主主義の成熟した姿です。

間違いを認める勇気は、最大の政治参加である

この声は非常に価値が高く、政治社会の転換点を示す

誤りを認めるのには勇気が必要です。
しかし、いま現れている反転の声は、

恐怖よりも正義を選ぶ人が増えている証拠
感情ではなく、事実に基づく判断が動き始めた証拠

です。

そして何より、

元支持者の批判こそ最も重く、最も強い正当性を持つ

これは、県政の未来が大きく動き始めたことを示す重要なサインです。

グラフが示す重要なポイント

棒グラフでは、

  • 2025年7月頃から転換者の声が目立ち始め
  • 11月で急増
  • 12月も10日時点で高い水準を維持

という 明確な右肩上がりのトレンド が見られます。

これは偶然ではなく、複数の社会的要因が重なった結果だと考えられます。

なぜ今になって声が上がり始めているのか

「社会的沈黙の壁(沈黙のスパイラル)」が崩れた

最初の数人が声を上げると、

「自分だけじゃなかったんだ」
と感じ、発言の心理的ハードルが急激に下がります。

特に11月は

  • 記者会見での対応の悪化
  • 第三者委員会の事実認定への黙り
  • SNSで事実に基づく解説が普及

が重なり、沈黙の臨界点(ティッピングポイント) を越えた可能性があります。

元支持者の声は圧倒的な説得力を持つ

批判側の主張よりも、

「支持していたけど失望した」
という声は影響力が非常に強い。

そのため、中立層や静観層に対して

「今の状況は本当におかしいのでは?」
という認識を広げる力があります。

信者側の過激化が逆効果となり始めた

過剰な攻撃や分断煽りは

第三者の嫌悪 → 支持離れ
を引き起こす典型的なブーメラン効果です。

その結果、

  • 批判を恐れて黙っていた層が発言し始める
  • 常識的な意見が世論の主流に変わる

という流れが生まれます。

なぜここまで支持が失われたのか

県民が失望した主な理由内容
疑惑への説明拒否「違うなら違う」と言うだけで済むことすらしない
記者会見の形骸化どんな質問にも同じテンプレ回答
公開討論・対話の拒否逃げ続ける姿勢
県民を軽視する態度県民の不安に一切寄り添わない
透明性の欠如公開性・説明責任が完全に喪失

沈黙層が声を上げ始める条件

沈黙層の人々が意見を表明するかどうかは

自分と同じ意見の人が一定数いると確認できた時

自分が少数派ではないと確信した時

発言しても攻撃されないという安心感が生まれた時

に大きく変化します。

つまり、次の現象が揃うと、沈黙が破られる瞬間 が訪れます:

環境の変化影響
元支持者の後悔の声が増える「自分だけじゃない」と感じる
会見や態度への不信が広く共有される批判が常識的立場になる
過激信者が逆効果を招く中立層が声を上げやすくなる
データや可視化(グラフ・数字)が出る説明の根拠が生まれる

反対意見への過剰反応は逆効果を生む

支持者が批判者に対して、

  • 過剰な攻撃
  • 嘲笑
  • 人格否定
  • レッテル貼り
  • 暴言・脅迫まがいの言動

を行うと、その対象とは関係のない第三者(中立層)が強い嫌悪感や恐怖を感じ、結果的に 支持そのものから距離を置く 現象が起こります。

なぜ過激化が逆効果になるのか

心理メカニズム内容
社会的証明の喪失「まともな人が支持する対象ではない」という印象が広がる
同調圧力の逆転沈黙していた多数派が声を出し始める契機になる
ネガティブ同一視行動の異常さがリーダーの人格評価に直結する
安全欲求の喪失「こんな攻撃的な集団には近づきたくない」と感じる
反感転移怖さ・嫌悪感がそのまま対象人物への嫌悪に転移する

特に政治では、

支持者の言動は、その政治家の人間性そのものの評価に直結する
と考えられています。

中立層の視点で起きる心理反応

中立な人ほど冷静で、行動や態度の雰囲気から全体像を判断します。

過激派の言動を見た時の典型的反応

  • 「この人たちの言ってることは正しいのだろうか?」
  • 「ここまで攻撃的な支持者がいる政治家は危ない」
  • 「何か隠しているからこんなに怒っているのでは?」
  • 「説明すれば済む話なのに、なぜ感情でしか反応しないのか」

この疑問はそのまま 支持離れにつながります

「信者化」が起きるときの典型パターン

崇拝的な支持者は以下の傾向を示します:

  • 事実より感情を優先
  • 「敵/味方」二分論
  • 批判者を攻撃して黙らせようとする
  • 常に外部へ責任転嫁
  • 教祖的指導者への盲従

民主主義社会の市民はこの状態に強く嫌悪感を持ちます。
そのため、

過激化は支持拡大ではなく、支持基盤の崩壊を加速させる

と評価できます。

いま求められているもの

  • 疑惑を法律に照らして根拠を示す説明
  • 制限のない県民との公開対話
  • 第三者委員会の指摘に対する具体的反論
  • 行政の長としての責任ある姿勢

逃げ続ければ混乱は深まり、県政は麻痺し、県民の信頼と未来が損なわれます。

沈黙は最大の裏切り

県民は「知りたい」と願っているだけです。
対話から逃げ続ける政治家に、行政の長としての資格はありません。

説明しないなら、退場するしかない。

県民の声は確実に変わりつつあります。
いま必要なのは対立ではなく、事実と知事自身の説明と対話です。