【災害対応リスク】牡蠣不漁対応に見る「初動の遅れ」と危機認識の欠如― 平時の産業支援が示す、非常時の県政リスク ―

災害対応能力は、地震や豪雨が起きた瞬間に突然試されるものではありません。
平時に起きる「地域産業の危機」への対応こそが、非常時対応の縮図です。

今回の播磨地域における牡蠣不漁への対応は、兵庫県政の危機管理能力を考えるうえで、極めて重要な事例です。

本記事では、牡蠣養殖業者への対応経過を整理しながら、なぜこれが「災害時に深刻な問題を引き起こしかねない兆候」なのかを検証します。

牡蠣養殖は播磨地域の基幹産業

兵庫県は、全国有数のマガキ生産県です。

【参考:兵庫県マガキ生産(令和5年)】

  • 生産量:8,407トン(全国4位)
  • 生産額:4,322百万円(全国2位)

播磨灘の一年牡蠣は、「大粒でふっくら」と評価され、漁業・加工・流通・観光を含む地域経済の柱となっています。

今回の不漁は、単なる一業者の問題ではなく、地域経済全体に影響する重大事案です。

問題① 事業者との面会が直前でキャンセルされた事実

本来、知事と牡蠣生産者が面会する予定がありました。
しかし実際には、

  • 抗議行動への不快感
  • プロテストを防げなかったことに怒りが爆発

とみられる理由で、面会はキャンセルされました。

その結果、

  • 県庁に向かっていた牡蠣業者は引き返すことになり
  • 現場の切実な声は後日再度県庁を訪問して伝えることになりました

危機対応において、**「感情的事情による現場対応の中断」**は、極めて危険な兆候です。

問題② 現地視察の遅れが示す「初動意識」の低さ

牡蠣不漁が顕在化した中で、

  • 国会議員は 11月22日に現地視察
  • 一方、斎藤知事の現地視察は 11月30日

という時間差が生じました。

さらに知事は、

「牡蠣の良い時期に行く」

と発言しています。

これは、産業危機対応としては極めて問題のある認識です。

危機管理において重要なのは、

  • 状況が「落ち着いてから」ではなく
  • 被害が拡大する前に現場に入ること

です。

これは「災害対応リスク」の何を示しているのか

今回の対応から見えてくるリスクは、次の3点です。

① 初動よりも「自分の都合」が優先される

災害時にこれが起きれば、

  • 初動の遅れ
  • 情報収集の失敗
  • 被害拡大

に直結します。

② 現場の声より「後付けの説明」を重視する傾向

Xでの発信では、

  • 連携
  • 対策
  • 補正予算

が語られていますが、その前段階で、迅速な現場との直接対話が欠落しています。

非常時にこれが起これば、

  • 指示が信頼されない
  • 住民が動けない

という致命的状況になります。

③ 危機を「時期の問題」と捉える認識

不漁や災害は、「良い時期」を待ってくれません。

危機を「落ち着いてから対応すればよい」と捉える姿勢は、災害時には通用しません。

災害は「説明能力」と「共感力」を同時に要求する

災害対応で県民が見ているのは、

  • 制度の正しさ
  • 予算措置

だけではありません。

  • どれだけ早く現場に来たか
  • 苦しむ人の話を直接聞いたか
  • 怒りや不安に向き合ったか

です。

今回の牡蠣不漁対応は、この点で強い不安を残しています

問題は「批判されること」ではなく「学ばないこと」

  • 初動が遅れ
  • 現場対応が後回しにされ
  • 感情が行政判断に影響する

状態が続くなら、大規模災害時に同じ構図が繰り返される可能性は否定できません。

災害時に危惧されること

災害対応で最も怖いのは、物資不足より「人の対立」です。
県民が分断した状態で災害が起きれば、避難所や支援現場の混乱は避けられません。
だからこそ、今こそ説明責任が必要です。

それが出来ない知事には、県民の命を守ることは出来ません。

テンプレ回答に終始する首長は、災害時に被災者と向き合えるのか

災害時、県民や被災者が行政トップに求めるのは、完璧な答えではありません。
求められているのは、「自分たちの状況を理解しようとしているか」「声を聞こうとしているか」という姿勢です。

しかし、平時の会見や公的発言において、
「個別具体の案件にはコメントしない」
「真摯に受け止めている」
「適切・適正・適法に対応している」
といった定型的な言葉だけを繰り返す姿勢が続いている場合、災害時に被災者一人ひとりの声に丁寧に向き合えるのか、県民が不安を抱くのは自然なことです。

災害時の現場では、被災者は抽象論や制度論を求めていません。
「なぜ支援が届かないのか」「いつ、何が改善されるのか」「自分たちは見捨てられていないのか」
こうした切実な問いに、その場で、具体的に、言葉を尽くして答えることが求められます。

平時において、困難な質問や批判に対してテンプレート的な回答で距離を取る対応が常態化しているならば、非常時にも同じ対応が繰り返される可能性は否定できません。その結果、被災者の不安や怒りは解消されず、行政への信頼は急速に失われていきます。

災害対応において最も深刻な二次被害は、物理的な被害だけではありません。
「この行政は、自分たちの声を聞いてくれない」という不信感が広がることです。

だからこそ今、問われているのは法的正しさや形式的な説明ではなく、
被災者の声に向き合い、分からないことは分からないと認め、繰り返し説明し続ける覚悟が、県政に備わっているのかという点です。

これは批判ではなく、災害時に県民の命と生活を守るために欠かせない、極めて現実的な問いです。

抗議から逃げ続ける姿勢で、災害時に被災者の声に向き合えるのか

民主主義社会において、抗議や批判は暴力ではなく、対話の入り口です。
行政トップには、それが厳しい声であっても、可能な限り向き合い、説明する姿勢が求められます。

しかし、抗議活動に対して対話を避け、距離を取る行動が続いている場合、災害時に被災者一人ひとりの声に丁寧に向き合えるのか、県民が不安を抱くのは自然なことです。

災害時、被災者が発する声は、怒りや悲しみ、不安が入り混じったものになります。
その声は整然としておらず、時に感情的です。
それでも行政トップは、逃げることなく矢面に立ち、耳を傾け続けなければなりません。

平時において、抗議や批判に対して「避ける」「逃げる」「距離を取る」対応が常態化しているならば、非常時にも同じ対応が繰り返される可能性は否定できません。その結果、被災者の声は行政に届かず、不信と分断だけが残ります。

災害対応において重要なのは、すべてに即答することではありません。
「今は分からない」「確認して必ず伝える」と誠実に向き合い、説明を重ねる姿勢です。

抗議から逃げる姿勢と、被災者に寄り添う姿勢は、同時には成り立ちません。
この問いは誰かを攻撃するためのものではなく、災害時に県民の命と尊厳を守れる県政かどうかを考えるための、極めて現実的な問題提起です。

議会の場で起きた“唾吐き”が示す、災害時の避難所リスク

県議会本会議が行われている公館で、特定の県議に対して唾を吐く行為があった――という情報が伝えられています。事実関係の確認は必要ですが、仮にこれが事実であれば、問題は「政治的立場の違い」ではなく、他者への攻撃行為が公的空間で起きてしまう社会状況そのものです。

ここで重要なのは、こうした攻撃性が“平時の政治空間”に現れている点です。災害時、避難所はただでさえストレスが高く、プライバシーも乏しく、睡眠不足や不安が重なります。その環境で、他者を貶めたり威嚇したりする行為が頻発すれば、避難所生活は「助け合い」ではなく「貶め合い」になり、弱い立場の人から追い詰められていきます。

避難所で守るべきは、思想や支持・不支持ではありません。守るべきは、秩序と安全、そして最低限の節度です。平時に攻撃行為が正当化される空気が広がれば、非常時に治安が崩れ、支援が行き届かず、二次被害が拡大する恐れがあります。

平時の危機対応が、県民の命を左右する

牡蠣不漁は、多くの県民が被害に会うような自然災害ではありません。
しかし、

  • 地域経済
  • 生活
  • 産業基盤

に深刻な影響を与える「危機」です。

この危機への対応が示した姿勢は、災害対応能力を測る重要な指標になります。

県民が本当に不安に思っているのは、過去の出来事ではなく、

「もし今、大規模災害が起きたら、この県政は大丈夫なのか」

という一点です。

平時において、批判や対話から距離を取る姿勢が見られる行政トップが、
災害という極限状況の中で、怒りや不安を抱えた県民一人ひとりに向き合い、
繰り返し説明責任を果たし続けられるのか。
その点について、県民が不安を抱くのは無理もありません。

この問いに、県政が真正面から答える必要があります。