瀬戸内海のカキ大量死対策に見る、兵庫県政の「因果関係の欠如」
瀬戸内海で発生している養殖マガキの大量死をめぐり、各自治体の対応に大きな差が見えています。
特に、広島県と兵庫県の対応を比較すると、その違いは単なる予算規模の問題ではなく、政策における「因果関係の捉え方」そのものにあるように感じます。
目次
広島県は「原因」から政策を組み立てている
広島県の20億円支援は、
- カキが大量死したという事実を前提
- 生産基盤そのものが毀損したと認識
- 来年以降の生産回復を見据えた
「育て直すためのコスト補填」
という性格がはっきりしています。
つまり、
「今年はダメだった。だから来年以降、立て直すために今お金を入れる」
という因果関係が一本通っている政策です。
これは農水行政としては非常にオーソドックスで、
- 種苗
- 餌
- 設備
- 労力
という一次産業の根幹に直接手当てしています。
瀬戸内海でカキが大量死している問題で、広島県は養殖業者が新しいカキを育てる費用として20億円を支援する。一般会計補正予算案に追加した。
カキ大量死の広島県、20億円で養殖業者支援 いかだを組む費用補助
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d76caef2db3f9cb678ca217bc228d94becf72d4(出典:朝日新聞)
兵庫県の対策は「結果」だけを見ている
一方、兵庫県の補正を見ると、
- 大量死対策:1300万円
- 中身:
- 融資限度額の引き上げ
- 観光業の充実
ここには、次のような違和感があります。
問題の中心がズレている
牡蠣が採れない最大の問題は、
- 生産物が存在しない
- 売るものがない
- 雇用も維持できない
という点です。
にもかかわらず、
「観光業を充実させる」
というのは、
- 供給が消滅している状態で需要だけ喚起する
- 中身のないイベント・PRに寄りがち
- 結果として一過性で終わる
可能性が極めて高い。
播磨地域を中心に広がる養殖マガキの大量死対策として1300万円が計上され、生産者への融資限度額の引き上げや観光業の充実などを図る方針です。
【速報】養殖マガキの大量死対策、物価高騰対策「はばタンPay+」第5弾など 兵庫県 920億円規模の補正予算案まとめる
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8686efb12441affca4fcd0e9297adbcae199e5a?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20251211&ctg=loc&bt=tw_up(出典:カンテレ)
因果関係が逆転している政策
カキ養殖における問題の因果関係を整理すると、
- 原因:海水温の上昇、病原体、海域環境の変化など
- 結果:カキの大量死
- 二次的影響:生産量減少、漁業者の収入減、地域経済への打撃
となります。
本来であれば、政策は**原因や一次的被害(生産基盤)**に向けられるべきです。
ところが兵庫県の対応は、
- 生産物がない
- 収入が消えている
という状態にもかかわらず、「観光」や「融資」という二次・三次的な部分に先に手を伸ばしています。
これは、
原因を解決せず、結果だけを取り繕う政策
に見えてしまいます。
融資は解決策ではなく「先送り」
融資限度額の引き上げも、一見すると支援策に見えますが、
- 返済の見通しが立たなければ借りられない
- 生産が回復しなければ借金だけが増える
という問題があります。
根本原因が解消されないまま融資に頼れば、それは「再建」ではなく単なる延命措置に過ぎません。
「牡蠣がない観光」は成立しない
養殖地の観光価値は、
- 水揚げされる新鮮なカキ
- 生産の現場
- 食文化
といった実体経済に支えられています。
肝心のカキがない状態で観光だけを強化すれば、
- 期待外れ
- リピーター減少
- 地域ブランドの毀損
につながりかねません。
繰り返されてきた「因果関係を直視しない姿勢」
この構図は、今回が初めてではありません。
- 公益通報問題での論点のすり替え
- 情報漏洩問題での自身の責任の回避
- 記者会見でのテンプレート的答弁
いずれも共通しているのは、原因と結果を正面から結び付けず、目先の対症療法で済ませようとする姿勢です。
牡蠣の大量死問題は、その思考様式が、誰の目にも分かる形で表れた事例と言えるでしょう。
行政に必要なのは「やった感」ではない
本当に必要なのは、
- 科学的な原因究明
- 生産基盤への直接支援
- 数年単位の再生ロードマップ
です。
これらを避け続ければ、問題は形を変えて繰り返され、そのたびに県民の負担だけが積み上がっていきます。
専門職員がいれば、本来は別の政策になるはず
兵庫県には、
- 水産行政
- 海洋環境
- 農林水産技術
- 漁業経済
といった分野に精通した、優秀な専門職員が数多くいるはずです。
そのような職員が主体的に関われば、
- 大量死の原因仮説の整理
- 科学的調査の強化
- 種苗確保・養殖再建への直接支援
- 数年単位の再生計画
といった、原因から逆算した施策が検討されるのが自然です。
それにもかかわらず、現実に出てきた施策は、
- 融資枠の拡大
- 観光業の充実
という、「結果」だけを見た対症療法でした。
なぜ、現場の知見が政策に反映されないのか
ここで考えられるのは、次の二つの可能性です。
① 知事が職員の提案を聞いていない可能性
一つ目は、専門職員から上がってきた根本的な対策案が、知事段階で採用されていないという可能性です。
もしそうであれば、
- 科学的・中長期的な施策は「時間がかかる」
- 予算規模が大きくなりやすい
- 責任の所在が明確になる
といった理由から、政治的に扱いやすい施策だけが選ばれていることになります。
これは、トップが因果関係を理解していない、あるいは理解しようとしない場合に起こりがちな現象です。
② 職員が意見を上げられない組織になっている可能性
もう一つは、そもそも職員が本質的な意見を上げなくなっている可能性です。
- どうせ聞いてもらえない
- 修正される、握り潰される
- 責任だけ負わされる
こうした経験が積み重なれば、職員は「無難な案」「知事の意向に沿った案」しか出さなくなります。
結果として、
専門性はあっても、政策に反映されない
行政としての知恵が死蔵される
という状態になります。
どちらであっても、問題は「知事の統治姿勢」に行き着く
重要なのは、
- 知事が聞いていないのか
- 職員が言っていないのか
どちらであっても、最終的な責任はトップにあるという点です。
健全な行政組織であれば、
- 専門的な異論が出る
- 知事がそれを受け止める
- 議論を経て政策が磨かれる
というプロセスが機能します。
今回の施策からは、そのプロセスが十分に機能しているとは、残念ながら感じられません。
結論
今回の兵庫県の対応は、「政策における因果関係を理解し、重視しているのか」という、県政の根幹を問う問題を私たちに突き付けています。
目先の対策ではなく、原因から目をそらさない行政運営こそが、今、強く求められているのではないでしょうか。
今回のカキ大量死対策が示しているのは、職員の能力不足ではありません。
失われているのは、
- 専門職員の知見を引き出す姿勢
- 因果関係を丁寧に整理する対話
- 中長期で責任を負う覚悟
です。
行政は「やった感」を出すために存在しているのではありません。
現場の知恵を活かし、原因から問題を解決するためにあります。
その基本が、今の兵庫県政では十分に機能しているのか。
今回の施策は、県民一人ひとりに、その問いを突き付けているように思います。





