経営判断と民主主義に共通する致命的な落とし穴―「事実」と「解釈」を混同した瞬間、判断は破綻する―
経営判断を行う際に最も重要なことは何でしょうか。
それは「優秀さ」や「経験」ではなく、どこまで精度の高い事実を収集した上で判断しているかです。
どれほど優秀な経営者であっても、事実認識が間違っていれば、アウトプット(結論・判断)も必ず間違います。
この原則は、企業経営だけでなく、行政判断や民主主義、さらには私たちの日常生活にもそのまま当てはまります。
目次
- 1 判断の質は「インプット」で決まる
- 2 兵庫県の問題で「事実として確実に存在していること」
- 3 「事実」と「解釈」を混同すると何が起きるか
- 4 社会生活でも頻発する「認知の事故」
- 5 冷静な判断をするための最低条件
- 6 事実と解釈を分けるための、最もシンプルで確実な方法
- 7 感情を否定する必要はない
- 8 事実と解釈を区別する簡単なトレーニング
- 9 この方法で得られる2つの大きな効果
- 10 判断力とは「感情を消す力」ではない
- 11 事実と解釈を切り分けられない限り、成熟した大人の行動は取れない
- 12 事実と解釈を混同すると起こること
- 13 成熟した大人の行動とは何か
- 14 経営・行政・民主主義でも同じ
- 15 問われているのは「支持・不支持」ではない
- 16 おわりに
判断の質は「インプット」で決まる
判断は次の式で表せます。
インプット(事実) × 思考プロセス(解釈) = アウトプット(判断)
ここで最も危険なのが、「解釈」を「事実」としてインプットしてしまうことです。
一度これが起きると、その後の思考がどれほど論理的であっても、結論は必ずズレます。
兵庫県の問題で「事実として確実に存在していること」
兵庫県を巡る一連の問題では、さまざまな意見や主張が飛び交っています。
しかし、まず整理すべきなのは「評価」や「好き嫌い」ではなく、事実として何が存在しているかです。
現時点で、以下は公的な手続きに基づいて確認された事実です。
- 百条委員会が
公益通報者保護法違反の可能性を認定した - 文書問題に関する第三者委員会が
公益通報者保護法違反を認定した - 情報漏洩に関する第三者委員会が
「知事の指示による可能性が高い」と認定した
重要なのは、これらの「認定が存在する」という事実です。
賛成か反対か、支持するか否かとは無関係に、「公的な場でこうした判断が示された」という事実そのものは消えません。
「事実」と「解釈」を混同すると何が起きるか
一方で、次のような主張も多く見られます。
- 「告発文書は怪文書だ」
- 「第三者委員会は中立ではない」
- 「百条委員会は政治的だ」
これらはすべて、
**事実ではなく「解釈」「評価」「意見」**です。
意見を持つ自由は当然あります。
しかし、
解釈を事実として扱った瞬間、思考は破綻する
という点が、最大の問題です。
社会生活でも頻発する「認知の事故」
この問題は、政治や行政だけの話ではありません。
例えば、日常生活では次のような場面がよくあります。
- 「あの人はきっと悪意がある」
- 「上司は自分を評価していないに違いない」
- 「あの会社はブラック企業だ」
多くの場合、これらは事実ではなく、心の中で生まれた解釈です。
そして怖いのは、その解釈を事実だと思い込んだまま行動すると、
- 的外れな判断をする
- 周囲から信用を失う
- 後で振り返って「恥ずかしいアウトプット」になる
という結果を招くことです。
冷静な判断をするための最低条件
感情や立場に流されず判断するためには、最低限、次の線引きが必要です。
判断前のチェックポイント
- それは一次情報か
- 公的に確認・認定された事実か
- それとも誰かの解釈や評価か
- 事実と意見を意識的に分けて考えているか
この線引きができないと、どれほど声が大きくても、判断の精度は上がりません。
事実と解釈を分けるための、最もシンプルで確実な方法
怒り、不安、悲しみ、喜び。
私たちが日々感じている感情は、すべて**心の中で起こっている「解釈」**です。
同じ事実を目にしても、
- 怒る人
- 不安になる人
- 何も感じない人
がいるように、感じ方は百人百様です。
つまり、
「感情が動いたこと」自体は事実でも
「なぜそう感じたか」は、あくまで自分の解釈
だということです。
感情を否定する必要はない
ここで誤解してはいけないのは、感情を持つこと自体が悪いわけではないという点です。
怒りや不安は、
- 危険を察知する
- 自分の価値観を知る
ための大切なサインでもあります。
問題なのは、
感情=事実
と無意識に結びつけてしまうことです。
事実と解釈を区別する簡単なトレーニング
事実と解釈を明確に区別する習慣を身につけるために、とてもシンプルで効果的な方法があります。
紙の真ん中に線を引くだけ
1枚の紙を用意し、真ん中に縦線を1本引きます。
左側:「実際に起こったこと」
ここには、
- 誰が
- いつ
- どこで
- 何をしたか
など、第三者が見ても同意できる事実だけを書きます。
例:
- 会議で上司が私の意見にコメントしなかった
- ニュースで第三者委員会の認定結果を見た
右側:「自分が感じたこと・考えたこと」
こちらには、
- 腹が立った
- 不安になった
- 軽視された気がした
- 信用できないと感じた
など、自分の感情や評価を正直に書きます。
ここには「正しい・間違い」はありません。
この方法で得られる2つの大きな効果
① 事実を確実に認識できる
紙に書き出すことで、
- 事実は意外と少ない
- 多くは解釈だった
ということに気づきます。
これだけで、判断の精度は大きく上がります。
② 自分の「感じ方の癖」が見えてくる
何度か続けていくと、
- すぐに最悪の結果を想像する
- 権威に対して強く反応する
- 否定されたと感じやすい
など、自分特有の解釈のパターンが見えてきます。
これは、
- 経営判断
- 人間関係
- SNSでの発信
すべてにおいて、大きな武器になります。
判断力とは「感情を消す力」ではない
冷静な判断力とは、感情を押し殺すことではありません。
感情を感じた上で、事実に立ち戻れる力(常に事実を認識している力)
です。
事実と解釈を分ける習慣を持つことで、怒りや不安に振り回されず、それでも自分の(事実に基づいた)考えを持つことができるようになります。
事実と解釈を切り分けられない限り、成熟した大人の行動は取れない
事実と解釈を切り分けることが出来ない人は、成熟した大人として評価される行動を取ることが出来ません。
これは人格の善悪の話ではなく、社会の中で信頼される判断が出来るかどうかという問題です。
事実と解釈を混同すると起こること
事実と解釈を切り分けられないと、行動は次のようになります。
- 自分の怒りを「相手が悪いという事実」にすり替える
- 不安を「危険が迫っているという事実」だと勘違いする
- 違和感を「不正があるに違いない」と断定する
これらはすべて、自分の心の中で起こった解釈を、外部の事実として扱ってしまう行動です。
この状態では、どれだけ正義を語っても、周囲からは「感情的」「話が通じない」「信用できない」と評価されます。
成熟した大人の行動とは何か
成熟した大人は、次の順番で行動します。
- 事実を確認する
- 自分の感情や解釈を自覚する
- それらを切り分けた上で判断する
この順番を守れるかどうかが、子ども的な反応と、大人の判断の分かれ目です。
経営・行政・民主主義でも同じ
経営者が「自分はこう感じた」を「市場がこうなっている」と誤認すれば、経営判断は失敗します。
行政が「批判されていると感じる」を「不当な攻撃だという事実」にすり替えれば、説明責任は果たせません。
民主主義においても、事実と解釈を区別できない社会では、分断と感情論だけが拡大していきます。
問われているのは「支持・不支持」ではない
兵庫県の問題が私たちに突きつけているのは、「誰を支持するか」以前の話です。
それは、
事実と解釈を切り分けて考えられるか
という、社会全体のリテラシーの問題です。
事実を事実として直視し、その上で評価や意見を持つ。
この当たり前の姿勢がなければ、経営も、行政も、民主主義も、正しい判断には辿り着けません。
おわりに
自分の心の中で生まれた解釈は、ときに事実よりもリアルに感じられます。
しかし、解釈を事実のように扱った瞬間、判断は必ず狂います。
冷静な社会、成熟した民主主義とは、「事実に立ち戻る力」を持つ人が増えることでしか成立しません。
今、私たち一人ひとりが問われているのは、その基本姿勢なのではないでしょうか。






