経営判断と民主主義に共通する致命的な落とし穴―「事実」と「解釈」を混同した瞬間、判断は破綻する―

経営判断を行う際に最も重要なことは何でしょうか。
それは「優秀さ」や「経験」ではなく、どこまで精度の高い事実を収集した上で判断しているかです。

どれほど優秀な経営者であっても、事実認識が間違っていれば、アウトプット(結論・判断)も必ず間違います。

この原則は、企業経営だけでなく、行政判断や民主主義、さらには私たちの日常生活にもそのまま当てはまります。

判断の質は「インプット」で決まる

判断は次の式で表せます。

インプット(事実) × 思考プロセス(解釈) = アウトプット(判断)

ここで最も危険なのが、「解釈」を「事実」としてインプットしてしまうことです。

一度これが起きると、その後の思考がどれほど論理的であっても、結論は必ずズレます。

兵庫県の問題で「事実として確実に存在していること」

兵庫県を巡る一連の問題では、さまざまな意見や主張が飛び交っています。
しかし、まず整理すべきなのは「評価」や「好き嫌い」ではなく、事実として何が存在しているかです。

現時点で、以下は公的な手続きに基づいて確認された事実です。

  • 百条委員会が
    公益通報者保護法違反の可能性を認定した
  • 文書問題に関する第三者委員会が
    公益通報者保護法違反を認定した
  • 情報漏洩に関する第三者委員会が
    「知事の指示による可能性が高い」と認定した

重要なのは、これらの「認定が存在する」という事実です。

賛成か反対か、支持するか否かとは無関係に、「公的な場でこうした判断が示された」という事実そのものは消えません。

「事実」と「解釈」を混同すると何が起きるか

一方で、次のような主張も多く見られます。

  • 「告発文書は怪文書だ」
  • 「第三者委員会は中立ではない」
  • 「百条委員会は政治的だ」

これらはすべて、
**事実ではなく「解釈」「評価」「意見」**です。

意見を持つ自由は当然あります。
しかし、

解釈を事実として扱った瞬間、思考は破綻する

という点が、最大の問題です。

社会生活でも頻発する「認知の事故」

この問題は、政治や行政だけの話ではありません。

例えば、日常生活では次のような場面がよくあります。

  • 「あの人はきっと悪意がある」
  • 「上司は自分を評価していないに違いない」
  • 「あの会社はブラック企業だ」

多くの場合、これらは事実ではなく、心の中で生まれた解釈です。

そして怖いのは、その解釈を事実だと思い込んだまま行動すると、

  • 的外れな判断をする
  • 周囲から信用を失う
  • 後で振り返って「恥ずかしいアウトプット」になる

という結果を招くことです。

冷静な判断をするための最低条件

感情や立場に流されず判断するためには、最低限、次の線引きが必要です。

判断前のチェックポイント

  • それは一次情報か
  • 公的に確認・認定された事実か
  • それとも誰かの解釈や評価か
  • 事実と意見を意識的に分けて考えているか

この線引きができないと、どれほど声が大きくても、判断の精度は上がりません。

事実と解釈を分けるための、最もシンプルで確実な方法

怒り、不安、悲しみ、喜び。
私たちが日々感じている感情は、すべて**心の中で起こっている「解釈」**です。

同じ事実を目にしても、

  • 怒る人
  • 不安になる人
  • 何も感じない人

がいるように、感じ方は百人百様です。

つまり、

「感情が動いたこと」自体は事実でも
「なぜそう感じたか」は、あくまで自分の解釈

だということです。

感情を否定する必要はない

ここで誤解してはいけないのは、感情を持つこと自体が悪いわけではないという点です。

怒りや不安は、

  • 危険を察知する
  • 自分の価値観を知る

ための大切なサインでもあります。

問題なのは、
感情=事実
と無意識に結びつけてしまうことです。

事実と解釈を区別する簡単なトレーニング

事実と解釈を明確に区別する習慣を身につけるために、とてもシンプルで効果的な方法があります。

紙の真ん中に線を引くだけ

1枚の紙を用意し、真ん中に縦線を1本引きます。

左側:「実際に起こったこと」

ここには、

  • 誰が
  • いつ
  • どこで
  • 何をしたか

など、第三者が見ても同意できる事実だけを書きます。

例:

  • 会議で上司が私の意見にコメントしなかった
  • ニュースで第三者委員会の認定結果を見た

右側:「自分が感じたこと・考えたこと」

こちらには、

  • 腹が立った
  • 不安になった
  • 軽視された気がした
  • 信用できないと感じた

など、自分の感情や評価を正直に書きます。

ここには「正しい・間違い」はありません。

この方法で得られる2つの大きな効果

① 事実を確実に認識できる

紙に書き出すことで、

  • 事実は意外と少ない
  • 多くは解釈だった

ということに気づきます。

これだけで、判断の精度は大きく上がります。

② 自分の「感じ方の癖」が見えてくる

何度か続けていくと、

  • すぐに最悪の結果を想像する
  • 権威に対して強く反応する
  • 否定されたと感じやすい

など、自分特有の解釈のパターンが見えてきます。

これは、

  • 経営判断
  • 人間関係
  • SNSでの発信

すべてにおいて、大きな武器になります。

判断力とは「感情を消す力」ではない

冷静な判断力とは、感情を押し殺すことではありません。

感情を感じた上で、事実に立ち戻れる力(常に事実を認識している力)

です。

事実と解釈を分ける習慣を持つことで、怒りや不安に振り回されず、それでも自分の(事実に基づいた)考えを持つことができるようになります。

事実と解釈を切り分けられない限り、成熟した大人の行動は取れない

事実と解釈を切り分けることが出来ない人は、成熟した大人として評価される行動を取ることが出来ません。

これは人格の善悪の話ではなく、社会の中で信頼される判断が出来るかどうかという問題です。

事実と解釈を混同すると起こること

事実と解釈を切り分けられないと、行動は次のようになります。

  • 自分の怒りを「相手が悪いという事実」にすり替える
  • 不安を「危険が迫っているという事実」だと勘違いする
  • 違和感を「不正があるに違いない」と断定する

これらはすべて、自分の心の中で起こった解釈を、外部の事実として扱ってしまう行動です。

この状態では、どれだけ正義を語っても、周囲からは「感情的」「話が通じない」「信用できない」と評価されます。

成熟した大人の行動とは何か

成熟した大人は、次の順番で行動します。

  1. 事実を確認する
  2. 自分の感情や解釈を自覚する
  3. それらを切り分けた上で判断する

この順番を守れるかどうかが、子ども的な反応と、大人の判断の分かれ目です。

経営・行政・民主主義でも同じ

経営者が「自分はこう感じた」を「市場がこうなっている」と誤認すれば、経営判断は失敗します。

行政が「批判されていると感じる」を「不当な攻撃だという事実」にすり替えれば、説明責任は果たせません。

民主主義においても、事実と解釈を区別できない社会では、分断と感情論だけが拡大していきます。

問われているのは「支持・不支持」ではない

兵庫県の問題が私たちに突きつけているのは、「誰を支持するか」以前の話です。

それは、

事実と解釈を切り分けて考えられるか

という、社会全体のリテラシーの問題です。

事実を事実として直視し、その上で評価や意見を持つ。

この当たり前の姿勢がなければ、経営も、行政も、民主主義も、正しい判断には辿り着けません。

おわりに

自分の心の中で生まれた解釈は、ときに事実よりもリアルに感じられます。

しかし、解釈を事実のように扱った瞬間、判断は必ず狂います。

冷静な社会、成熟した民主主義とは、「事実に立ち戻る力」を持つ人が増えることでしか成立しません。

今、私たち一人ひとりが問われているのは、その基本姿勢なのではないでしょうか。