斎藤知事が県政を担い続けた先に、兵庫県の「未来」は描けていますか?斎藤知事を支持する人に、私は一つだけ、どうしても聞きたいことがあります。
斎藤知事が兵庫県政を担い続ければ、兵庫県はどんな「素晴らしい県」になるのですか?
そして、兵庫県民にとって、どんな「幸せな社会」が実現するのですか?
これまで語られてきたのは、「既得権益と戦う」「改革を進める」といった抽象的な言葉ばかりです。
しかし、県政はスローガンではなく、制度と前例で動きます。
目次
- 1 問題は「今」ではなく、「前例」が残ること
- 2 後任の知事は、なぜ辞任する必要があるのでしょうか?
- 3 斎藤知事を支持するということは「後任知事の基準」まで引き受けるということ
- 4 「今回は特別」は行政では通用しない
- 5 前例が残るという現実から目をそらしてはいけない
- 6 支持とは「今」だけではない
- 7 それでも「良い県」だと言えますか?
- 8 困るのは、今の支持者ではありません
- 9 支持とは「未来まで引き受ける」こと
- 10 県政の水準を決めるのは、県民自身
- 11 斎藤知事と支持者に共通する「因果関係を考えない姿勢」
- 12 支持者も同じ構造に陥っている
- 13 因果関係を考えない政治は、必ず自分に返ってくる
- 14 因果関係を考えることが、民主主義の最低条件
- 15 問いかけ
問題は「今」ではなく、「前例」が残ること
斎藤知事は、第三者委員会によってパワーハラスメント行為を10件認定されました。
しかし、その結論を受けても
「襟を正す」
として、処分は行われませんでした。
ここで本当に問われるべきなのは、斎藤知事個人の資質だけではありません。
この判断が「前例」になるという現実
- 第三者委員会が違法・不適切と認定しても
- 知事が「反省した」と言えば
- 何の処分もなく職に留まれる
この前例が一度でも成立すれば、次の知事も、さらに次の知事も、同じ基準で行動できます。
つまり、
「違法認定されても辞任しない知事」
「パワハラをしても実質的に不問の知事」
が、**兵庫県の“標準”**になるということです。
後任の知事は、なぜ辞任する必要があるのでしょうか?
斎藤知事が「居座った」以上、後任の知事にこう問われたら、どう答えるのでしょう。
「なぜ私は辞任しなければならないのですか?」
「斎藤知事は辞めていませんよね?」
この問いに、制度として反論できなくなった時点で、県政の自浄能力は失われます。
斎藤知事を支持するということは「後任知事の基準」まで引き受けるということ
ここで、斎藤知事の支持者に対して、どうしても避けて通れない問いがあります。
斎藤知事の後任の知事が、違法行為を行い、第三者委員会から違法・不適切と認定された場合でも、
何の責任も取らずに職に留まることを是認できますか?
もし是認できると答えるのであれば、それはつまり、
- 第三者委員会の違法認定は「実質的に無意味」でよい
- 知事の自己評価が最終判断でよい
- 違法行為やパワハラは「反省すれば不問」でよい
という、極めて低いコンプライアンス基準の県政を肯定することになります。
「今回は特別」は行政では通用しない
よく聞かれる反論に、「斎藤知事だから」「今回は特別だから」というものがあります。
しかし、行政において最もやってはいけないのが、人によって基準を変えることです。
- 知事が変われば判断も変わる
- 支持の有無で処分が変わる
- 空気や世論で違法性が相対化される
このような県政は、改革でも合理化でもありません。
単なる統治水準の低下です。
前例が残るという現実から目をそらしてはいけない
斎藤知事が
「第三者委員会が違法・不適切と認定しても、処分なしで続投できる」
という前例を作った以上、後任の知事は必ずこう言います。
「なぜ私は辞任しなければならないのですか?」
「斎藤知事は辞めていませんよね?」
この問いに、制度として反論できなくなった時点で、兵庫県政は自ら自浄能力を放棄したことになります。
支持とは「今」だけではない
政治家を支持するという行為は、
その人物の現在の言動だけでなく、
- 残される前例
- 固定化される基準
- 次の世代に引き継がれる県政の姿
までを含めて肯定する行為です。
だからこそ、問われています。
斎藤支持者は、斎藤知事の「後」まで責任を持てるのか。
それとも、「今さえ良ければいい」のでしょうか。
それでも「良い県」だと言えますか?
このような県政運営が続いた兵庫県で、
- 子どもたちは「権力者は責任を取らなくていい」と学び
- 職員は「声を上げると損をする」と沈黙し
- 県民は「何をしても変わらない」と政治から離れていく
そんな社会を、あなたは本当に望んでいますか?
困るのは、今の支持者ではありません
最終的に困るのは、
- あなたの子ども
- あなたの孫
- そして、次の世代の兵庫県民です。
今は声を上げなくても、前例のツケは、必ず未来に回ってきます。
支持とは「未来まで引き受ける」こと
斎藤知事を支持するということは、斎藤知事の後の兵庫県政まで肯定するという意味を持ちます。
- 同じコンプライアンス基準で良いのか
- 同じ説明責任の水準で良いのか
- 同じパワハラ対応で良いのか
それらすべてに、「YES」と言える覚悟がありますか?
県政の水準を決めるのは、県民自身
兵庫県を
- 法とルールが尊重される県にするのか
- 権力者が責任を取らない県にするのか
その分かれ道に、私たちは既に立っています。
この問題は、斎藤知事個人の好き嫌いではありません。
どんな兵庫県を、子や孫に残すのかという、県民全体の責任の問題です。
斎藤知事と支持者に共通する「因果関係を考えない姿勢」
斎藤知事の言動、そして斎藤支持者の主張を見ていて共通しているのは、自らの行為が、どのような結果を生むのかという「因果関係」を考えない(あるいは考えないふりをする)点です。
行為と結果を切り離す思考
典型的なのは、次のような論理です。
- 第三者委員会が違法・不適切と認定した
→ しかし「反省した」「説明した」
→ だから処分は不要
→ その後の影響や前例については考えない
ここでは、「違法認定されたまま責任を取らない」という行為が、将来どんな県政を生むのかという視点が、完全に欠落しています。
支持者も同じ構造に陥っている
斎藤支持者の多くも、同様に因果関係を分断します。
- 今は斎藤知事を守りたい
- 今は批判を封じたい
- 今は政権を維持したい
しかし、その結果として、
- 後任知事も違法認定を無視できる
- パワハラが「反省すれば不問」になる
- 第三者委員会が形骸化する
という未来が必然的に生まれることには、目を向けません。
因果関係を考えない政治は、必ず自分に返ってくる
政治において因果関係を無視するということは、
- 「今回だけは例外」
- 「自分の支持する側なら問題ない」
- 「その時になったら考える」
という判断を積み重ねることです。
しかし、前例は必ず一般化されます。
例外として許した行為は、次には「当然の権利」になります。
そのとき困るのは、斎藤知事でも、熱心な支持者でもありません。
制度の下で生きる、普通の県民と、次の世代です。
因果関係を考えることが、民主主義の最低条件
民主主義とは、「好きな政治家を応援すること」ではありません。
- その行為が
- どんな前例を作り
- どんな制度を壊し
- どんな社会を生むのか
因果関係を考え、引き受けることが、民主主義の最低条件です。
斎藤知事と斎藤支持者に今、最も欠けているのは、まさにこの視点ではないでしょうか。
問いかけ
斎藤支持者は、斎藤知事の「後」まで責任を持てるのか。
それとも、「今さえ良ければいい」のでしょうか。
兵庫県の未来を決めるのは、知事一人ではなく、それを許容する私たち県民自身です。





