通報者探索が許されると、甚大な消費者被害が起こる―斎藤支持者は消費者被害が蔓延する社会を受け入れる覚悟があって発言しているのか
公益通報者保護法は、権力者にとって不都合な事実が握り潰されないために存在する制度です。
ところが兵庫県で起きた一連の対応は、「通報の内容によって、保護されたり、探索されたりする」という、極めて危険な前例を作りかねないものでした。
本稿では、斎藤知事による通報者探索と、消費者に甚大な被害が及ぶ可能性のある内部告発を対比しながら、そこに潜むダブルスタンダードを検証します。
目次
斎藤知事のケース:通報者探索が正当化された理由として語られたもの
斎藤知事を擁護する立場からは、次のような説明が繰り返されてきました。
- 文書は「デマ」である可能性があった
- 実在企業名が記載されており、業績への悪影響が懸念された
- 拡散を防ぐためには、通報者探索や配布経路の特定が必要だった
一見すると「危機管理」としてもっともらしく聞こえます。
しかし、この理屈を一般化すると、重大な問題が生じます。
相変わらずピントがずれています
— 日詰慎一 (@yurisukekun1022) January 13, 2026
今回の論点は、デマ文書拡散による企業業績への悪影響のリスクをいかに抑えるか、です
告発対象が知事、副知事だけなら百歩譲ってその議論もあり得ますが、今回の探索の目的は全く違うと最初から指摘しています
情弱、理解力ゼロのアンチさんの戯言はもう結構ですよ
消費者に甚大な被害が及ぶ通報でも、同じことが言えるのか
仮に、次のような内部告発を考えてみてください。
- 食品会社が有害物質を隠して流通させている
- 金融機関が違法な商品を高齢者に販売している
- 医薬品データが改ざんされている
これらはすべて、消費者に甚大な被害が及ぶ可能性のある通報です。
そして当然、こうした通報文書には 企業名や商品名 が記載されます。
ここで問わなければならないのは、次の点です。
企業業績に悪影響が出る可能性があるから、
通報者探索をして拡散を抑止してよいのでしょうか?
「デマかどうか」を判断するのは誰なのか
本質的な問いはここです。
消費者に甚大な被害が及ぶ可能性のある通報を、
デマかどうか判断するのは誰なのか?
答えは明確です。
- 被告発者ではありません
- 権力を持つ側でもありません
なぜなら、被告発者が「デマだ」と判断する権限を持てば、
- 自分に不都合な通報は
「企業業績に悪影響がある」
「社会不安を招く」
という理由で
すべて握り潰せるからです。
これは公益通報制度の完全な否定です。
斎藤知事のケースだけが「特別扱い」されてよいのか
兵庫県の対応が示したのは、次の構図です。
- 知事や県政に不都合な通報
→ 通報者探索が行われた - 消費者に甚大な被害が及ぶ可能性のある通報
→ 保護されるべきとされている
しかし、これは明らかなダブルスタンダードです。
通報の保護・非保護は、通報内容の公益性によって判断されるべきであり、
- 誰にとって不都合か
- 拡散されたら困るか
といった事情で変わってはなりません。
「拡散抑止」を理由にした通報者探索がもたらす社会
もし、
企業名が書いてある
業績に悪影響が出るかもしれない
という理由で、通報者探索が正当化される社会になればどうなるでしょうか。
- 内部告発者は沈黙する
- 不正は表に出ない
- 消費者被害は拡大する
結果として守られるのは、消費者でも社会でもなく、権力者だけです。
第三者が判断するからこそ、公益通報は成立する
公益通報制度が成り立つ前提は一つです。
真偽の判断は、独立した第三者が行う
- 捜査機関
- 規制当局
- 第三者委員会
- 司法
これらを経ずに、
- 被告発者が
- 「デマだ」「拡散を防ぐ必要がある」と判断し
- 通報者探索に動く
これは、法治ではなく恣意です。
斎藤支持者は消費者被害が蔓延する社会を受け入れる覚悟があって発言しているのか
被告発者が「これはデマだ」と判断し、「企業業績への悪影響」を理由に通報者探索を行ってよいなら、公益通報者保護法は空文化します。
食品偽装も、医薬品不正も、金融詐欺も、すべて「拡散抑止」の名のもとに握り潰される社会です。
斎藤知事のケースだけは例外だ、という主張は、消費者被害が広がっても構わないという宣言と同義です。
斎藤支持者は、本当にその社会を選び取る覚悟があって発言しているのでしょうか。
一般の国民の視点で見たときの構図
政治や法制度に詳しくない人でも、次の問いは直感的に理解できます。
- 不正や危険を見つけた人が声を上げたとき
- その声を守る社会か
- それとも「拡散すると困るから」と封じる社会か
この一点です。
斎藤支持者側の主張がどう映るか
斎藤支持者との議論を、専門用語を外して言い換えると、一般の人にはこう聞こえます。
「企業や権力者に不利になる情報は、
本当かどうか分からなくても、
広がる前に止めた方がいい」
これは多くの国民にとって、
- 自分が被害者になる可能性を下げる考え方ではなく
- 自分が被害に遭っても表に出にくくなる考え方
に見えます。
だから
👉 「国民の生活を危機に晒す側」
という印象になるのは自然です。
反斎藤側が「安心・安全を守る側」に見える理由
一方、反斎藤側が一貫して言っているのはこれです。
- デマかどうかは 被告発者が決めるな
- 真偽は 第三者が調べろ
- その間、通報者は 守れ
- そうでなければ 誰も声を上げなくなる
これは、
- 食品
- 医療
- 金融
- 製品安全
など、自分の生活に直結する分野すべてに当てはまる話です。
だから一般の国民には、
「この考え方の方が、自分が守られる」
と映ります。
「議論すればするほど一般国民から距離を置かれる」理由
これは感情の問題ではありません。
斎藤支持者側が議論を続ければ続けるほど、
- 「例外」
- 「今回は特殊」
- 「拡散抑止」
- 「企業業績への影響」
といった権力側の都合の言葉が前に出てきます。
それは一般国民にとって、
- 自分が内部告発者になったとき
- 自分が被害者になったとき
に、守ってもらえなさそうな論理だからです。
結果として、
「この人たちとは感覚が違う」
「自分の側ではない」
と距離を置かれる。
これは政治的立場以前に、生活者としての自然な反応です。
許されない前例を作ってはならない
斎藤知事のケースを、
- 特殊だから
- 県政トップだから
という理由で正当化することは、将来、消費者被害を見逃す社会につながります。
通報者探索してよい通報と、
探索してはいけない通報があるのか。
答えは NO です。
公益通報は、誰にとって不都合であっても守られなければならない。
それが揺らいだ時、被害を受けるのは、私たち市民・消費者です。






