もし兵庫県知事選挙が行われたら─ 斎藤知事支持者の「勝ち筋」はどこにあるのか
もし、兵庫県知事選挙が実施された場合、私たちは何を有権者に訴えることができるのだろうか。
答えは明確だ。
斎藤知事による違法行為・不適切行為を、感情ではなくファクトに基づいて提示することである。
一方で、斎藤知事支持者は、選挙の場で何を有権者に訴えるのだろうか。
目次
ファクトに基づく訴えと、印象に頼る訴えの決定的な違い
反斎藤側が提示できるのは、主観や好き嫌いではない。
- 公益通報者保護法との関係
- 通報者探索という行為の是非
- 第三者委員会・消費者庁・国会での指摘
- 公文書の「不存在」「非公開」が大量に発生している事実
- 記者会見で繰り返される説明拒否とテンプレート回答
これらはすべて、記録・発言・公式文書として残っている事実である。
選挙は、X(旧Twitter)の論争とは違う。
多くの有権者が重視するのは、
- 違法・不適切な行為があったのか
- それに対して説明責任を果たしたのか
- 今後も権力を預けて大丈夫なのか
という、ごく当たり前の判断軸だ。
斎藤知事支持者が取り得る主張は限られている
現実的に考えると、斎藤支持側が選挙で使える主張は、次のいずれかしかない。
①「違法ではない」「適正・適切・適法」という主張
しかし、この主張は致命的な弱点を抱えている。
- なぜ適法なのか
- どの条文をどう解釈したのか
これを本人が具体的に説明できていないからだ。
選挙では「言い切り」よりも「説明の中身」が問われる。
② 実績アピール(改革・スピード感)
これは唯一の正攻法に見えるが、ここにも限界がある。
有権者はこう考える。
成果があったとしても、
ルールを壊す人に権力を預け続けていいのか?
実績と違法・不適切行為は、相殺されない。
③ 反対派は過激だ、感情的だという印象操作
SNS上では通用しても、選挙では逆効果になりやすい。
- 中身で反論できていない
- 論点から逃げている
そう受け取られるからだ。
④ 都合の良いデータだけを示す
自分に不利なデータを伏せ、良く見える数字だけを出す。
これは実際に起こり得る。
しかし選挙戦では、
- メディア
- 対立候補
- 市民によるファクト提示
によって、隠した事実そのものが争点化される。
Xでの歪曲主張は、選挙では通用しない
Xでは、強い言葉や断定が支持を集めることがある。
しかし、知事選挙の有権者全体から見れば、SNSの支持者層は一部にすぎない。
- 陰謀論的な構図
- 敵を作る語り
- 事実より感情を優先する主張
これをそのまま選挙の場に持ち込めば、
危うい陣営だ
という印象を与えるだけだ。
斎藤知事支持者にとっての「唯一の勝ち筋」
正直に言えば、勝ち筋は非常に狭い。
それは、
- 問題が十分に知られない
- 争点化されない
- 投票率が低い
という条件が重なった場合のみ。
つまり、説明責任から逃げ切る構図である。
SNSでのデマ拡散という、もう一つの大きなリスク
ここで、もう一つ深刻な問題を指摘しておく必要がある。
それは、前回の知事選でも見られたSNS上でのデマや歪曲情報の大量流布である。
SNSの特性上、
- 断定的で
- 感情を煽り
- 分かりやすい敵味方構図
を持つ言説ほど、拡散されやすい。
そして実際には、事実関係が不正確であっても、斎藤知事に都合の良い言説が大量に流通する可能性は、今回も否定できない。
「正しい情報」は、必ずしも拡散で勝てるとは限らない
よくある誤解として、
正しい情報を出せば、最終的には勝てる
という考え方がある。
しかし、SNSの現実はそう単純ではない。
- 正確な情報は
- 長く
- 前提知識が必要で
- 読み手に思考を求める
一方、デマや歪曲情報は、
- 短く
- 刺激的で
- 考えなくても理解した気になれる
このため、どれだけ正確な情報を出しても、物量で押し切られるリスクは常に存在する。
これは努力不足の問題ではなく、プラットフォームの構造的問題だ。
デマへの対抗策は「反論」ではなく「免疫」
ここで重要なのは、デマを一つひとつ論破し続けることではない。
なぜなら、
- 反論が追いつかない
- 論破しても新しいデマが生まれる
- 結果として消耗戦になる
からだ。
必要なのは、県民一人ひとりが、歪曲された情報に惑わされにくくなる「免疫」を持つことである。
県民対話集会は「民主主義のワクチン」である
その免疫として、最も有効なのが県民対話集会だ。
県民対話集会では、
- 編集も
- 切り取りも
- 都合の良い脚色も
介在しない。
県民が、
- 自分の言葉で質問し
- その質問に
- 斎藤元彦本人がどう答えるのか
を、自分の目と耳で直接確認できる。
ここに、SNSでは決して再現できない価値がある。
「直接見た経験」は、デマに強い
人は、
- 誰かの解釈
- 誰かの要約
- 誰かの感想
よりも、
自分で見た・聞いた体験
を強く信頼する。
一度でも、
- 県民の素朴な質問に
- 丁寧に答えるのか
- それとも記者会見と同じテンプレ回答を繰り返すのか
を目の当たりにすれば、その後に流れてくるSNS上の言説を、自然と批判的に見るようになる。
これこそが、最も健全で、最も強力なデマ対策である。
対話を避ける側こそが、不利になる
もし県民対話集会を避け続けるのであれば、
- 「なぜ説明しないのか」
- 「なぜ直接答えないのか」
という疑問は、より多くの県民に共有されていく。
これは攻撃ではない。
説明責任という民主主義の基本原則の話だ。
なぜ「県民対話集会」という提案は強いのか
私たちが求めているのは、攻撃ではない。
- 本人が
- 県民の前で
- 知事の言葉で
説明する機会を設けることだ。
直接答えればいい
それを見て県民が判断すればいい
これは扇動でも対立でもなく、民主主義の基本動作である。
結論:選挙で問われるのは「姿勢」そのもの、デマに対抗する最善策は、公開された対話である
兵庫県知事選挙が行われた場合、
- 反斎藤側は
→ ファクトと説明責任を軸に、王道で戦える - 斎藤支持側は
→ 印象操作や切り取りに依存せざるを得ない
これは思想の違いではない。
構造的な問題である。
だからこそ重要なのは、
コントロールできるのは
事実の提示と、自分自身の姿勢だけ
という一点だ。
そしてその姿勢こそが、選挙において最も信頼される「勝ち筋」なのである。
SNS上のデマや歪曲情報は、完全に防ぐことはできない。
しかし、
- 県民が
- 自分の判断軸を持ち
- 自分で確かめる機会
を持てば、その影響力は大きく減衰する。
県民対話集会は、選挙戦術でも、政治的パフォーマンスでもない。
それは、
県民が、事実を自分で確かめるための
民主主義のワクチン
なのである。






