「異議を申し立てなかった=認めた」という論理は、誰に適用されるのか
元県民局長は、地方公務員法上の職務専念義務違反を理由に懲戒処分を受けた。
その処分について不服があるのであれば、異議申立てや争訟という制度上の手段は用意されていた。
しかし、元局長はそれを行わなかった。
この事実をもって、斎藤知事支持者はこう断じる。
「異議を申し立てなかったのだから、処分を認めたのだ」
では、この論理は本当に正しいのか。
そして――同じ論理は、斎藤知事本人にも適用されるのか。
本稿では、この一点だけを、感情ではなく法的構造で確認する。
元県民局長は、地方公務員法の職務専念義務違反で処分された。そして、その処分に不服があれば異議申し立てができた。しかし、元局長は、その異議申し立てをしなかったのです。認めているのです。
— 海王丸 (@WAYvAGlSb6RcNym) February 7, 2026
兵庫県は全て法に則って対応しています。
何か、県の対応に法的な間違いがありますか?
目次
元県民局長のケース:制度上の不服申立ては存在した
元県民局長に対する処分は、行政処分である。
制度上、
- 不服申立て
- 取消訴訟等の司法的手段
はいずれも理論上は可能だった。
結果として、元局長はそれを行わなかった。
この点について、
- 「争わなかった=認めた」
- 「だから処分は正当だった」
と評価する立場があること自体は、一貫した見方ではある。
重要なのは、ここで用いられている評価基準だ。
👉 「不服があるなら、法的手段を使うはずだ」
👉 「使わなかったのなら、受け入れたと評価される」
この基準である。
では、斎藤知事はどうか
第三者委員会は、報告書において斎藤元彦が公益通報者保護法に違反したと明確に認定した。
この認定は、
- 記者会見で公表され
- マスメディアによって広く報道され
- 不特定多数が知る状態に置かれた
ものである。
もしこの認定が
- 事実誤認である
- 評価が不当である
- 名誉を侵害している
と考えるのであれば、法的に争う手段は存在する。
名誉毀損を理由とした民事訴訟等が、それである。
しかし、斎藤知事は争っていない
現実にはどうか。
斎藤知事は、
- 第三者委員会を相手取って裁判を起こしていない
- 認定の取消しを司法の場で求めていない
つまり、法的な異議申立てを一切行っていない。
ここで問われるのは、感情ではない。
論理の整合性である。
同じ論理を当てはめれば、結論は一つしかない
元県民局長については、
「異議申立てをしなかったのだから、処分を認めた」
と評価する。
ならば、同じ基準を斎藤知事に当てはめた場合、
- 第三者委員会の違法認定に対し
- 司法の場で争う機会がありながら
- それを行っていない
という事実は、どう評価されるべきか。
👉 「その認定を受け入れたと評価されても仕方がない」
これ以外の結論は存在しない。
ダブルスタンダードが論理を壊す
ここで多くの支持者は、こう言い始める。
- 「裁判を起こす義務はない」
- 「争わない自由もある」
それ自体は事実だ。
しかし、その主張をするなら、元県民局長にも同じ評価を与えなければならない。
- 元局長は「争わなかった=認めた」
- 知事は「争わなくても問題ない」
この扱いの違いは、法でも制度でもない。
立場によるダブルスタンダードでしかない。
論理を守るなら、答えは決まっている
本当に問われているのは、こういうことだ。
- 「法に則って対応したか」ではない
- 「自分に都合の良い論理だけを使っていないか」だ
異議を申し立てなかった元県民局長を「認めた」と評価するのであれば、
第三者委員会の認定を司法の場で争っていない斎藤知事についても、同じ評価を受け入れるべきである。
それができないのなら、もはやそれは法の議論ではない。
単なる擁護であり、感情論である。
結論|この「放置」は、県民にとって不健全である
第三者委員会が下した「公益通報者保護法違反」という認定について、斎藤元彦は、司法の場で争うことも、名誉回復を求めることもしていない。
その結果として、この認定は現在、**「受け入れたと評価されても仕方がない状態」**のまま放置されている。
これは、単に知事個人の問題ではない。
県が設置した第三者委員会が県知事の違法行為を認定し、それが否定も是正もされないまま公的評価として残り続ける――
この状態を放置することは、兵庫県民にとって、極めて不健全である。
なぜなら、
- 行政のトップに対する違法認定が宙に浮いたまま
- 誰も法的に決着をつけようとせず
- 「裁判では決まっていない」という言葉だけで思考停止する
こうした県政が常態化すれば、法も、責任も、説明も、すべてが曖昧になるからだ。
もし認定が誤りなら、裁判で覆せばよい。
もし争わないのなら、その認定が県政の前提として残ることを受け入れるしかない。
それをせず、ただ時間の経過に委ねて曖昧にすることは、法治でも民主主義でもない。
兵庫県民として問われているのは、誰を支持するかではない。
👉 この不健全な状態を、いつまで放置するのか
それだけである。





