「爆破予告も表現の自由」?──危機管理を放棄する斎藤知事の危うい発言(2025年9月10日定例会見)

摩耶大橋「爆破予告デマ」発生と知事の回答

2025年9月10日朝、神戸市の摩耶埠頭付近で「倉庫に爆発の危険性がある」として一時的に道路が封鎖されました。
幸い危険は確認されず封鎖は解除されましたが、その直後、SNS上では「摩耶大橋が爆破予告を受けている」という根拠のないデマが拡散。
これを受けて、関西テレビの鈴木記者が定例会見で斎藤知事に質問しました。

「こうしたデマについて、知事はどう考えるか?」
「表現の自由に当たるのか?」

これに対して知事は次のように答えています。

「何が表現の自由に当たるか、何が誹謗中傷やデマに当たるかは個別のケースに応じて判断される」
「最終的には、裁判や司法の場で判断されるものだと思う」

「司法判断まで放置」──行政の危機管理放棄では?

「爆破予告」という虚偽情報は、公共の安全を脅かす犯罪性を帯びた行為です。
それを「司法で判断されるまで静観する」というのは、行政の初動責任を放棄した発言に等しいといえます。

知事がまず行うべきは、

  • 県警や市と連携し、即座に公式情報を発信して混乱を防ぐこと
  • 県民に向けて「根拠のない情報に惑わされないように」と注意喚起すること
  • SNSでの情報拡散の危険性を教育・啓発すること
    です。

司法の判断を待つ前に、行政が安全を守る行動を取るのが本来の役割です。

「表現の自由」の誤用

憲法第21条の「表現の自由」は、公共の安全と秩序を害さない限りで保障される権利です。
爆破予告のような虚偽情報の拡散は、「威力業務妨害罪」や「脅迫罪」にも該当しうる行為であり、
憲法上の自由の対象にはなりません

つまり、知事が「司法判断まで見守る」と述べたことは、「違法行為も表現の自由として容認する」と誤解されかねない極めて危険な発言です。

選挙で広がった“デマの恩恵”

2024年の兵庫県知事選挙では、斎藤知事を支持する一部のSNSアカウントやYouTuberが、対立候補や元県職員に対する誤情報や人格攻撃を拡散しました。

これらの発信は、公式陣営が直接関与した証拠はないものの、結果的に「斎藤候補に有利に働いた」ことは多くの県民が感じているところです。

つまり、知事自身が「デマ」や「誹謗中傷」によって政治的利益を得た側である以上、同様の行為に対して強く非難することは、自身の過去を否定することにつながります。

「表現の自由」を都合よく使い分ける構図

このため、知事は「誹謗中傷やデマは控えるべき」と口では言いつつも、明確な線引きを避け、「表現の自由」の枠内にぼかす発言を繰り返しています。

これは、次のような二枚舌構造に見えます:

状況知事の対応評価
自身への批判・疑念「誹謗中傷だ」「不適切」強く反応
支援者による他者攻撃「表現の自由」「司法判断」事実上の容認

このダブルスタンダードこそが、県政への信頼を損なう大きな要因になっています。

2024年兵庫県知事選での「異常な共闘」

2024年の兵庫県知事選挙では、当時NHK党代表だった立花孝志氏が、

斎藤氏に対する内部告発文書を「あれは内部告発ではない」などと主張し、「パワハラ」や「おねだり(物品の受領)」も否定する▽「メディアが言っていることは何かおかしい」「(斎藤氏は)悪いやつだと思い込まされている」などと聴衆に訴える――。

https://www.asahi.com/articles/ASSCM3FGGSCMPTIL003M.html(出典:朝日新聞)

YouTubeやSNSで執拗に対立候補や県職員への攻撃・誹謗中傷を行いました。

その内容の多くは事実無根、あるいは明らかに誇張されたデマでしたが、選挙終盤にかけてこれらの発信が拡散し、県民の間で「他候補に問題がある」という印象を植え付ける効果を持ったのは事実です。

そして、結果的に斎藤候補は当選。
立花氏の“援護射撃”が一定の効果を発揮したと見られています。

「恩義」か「弱み」か──沈黙の構図

その後、立花氏はX(旧Twitter)や動画配信で、知事選当時の裏話をたびたび持ち出しながら、あたかも「自分が斎藤知事を当選させた」と言わんばかりの発言を繰り返しています。

それにもかかわらず、斎藤知事は一度も立花氏を公に批判したことがありません。
むしろ、彼の発言を無視し続けてきた

この沈黙は、単なる距離の取り方ではなく、次のいずれかの背景があると考えられます:

可能性内容補足
恩義説選挙期に「デマで援護」されたことに一定の感謝や忖度がある選挙支援者を敵に回したくない心理
弱み説選挙過程でのやり取り、資金、発言内容など、立花氏に握られている情報がある「暴露」を恐れて沈黙を選択
利用説現在も立花氏の支持層・発信力を“間接的に利用”している政治的メリット優先

いずれにしても、**「批判できない関係性」**が存在していることは明白です。

「爆破デマも表現の自由」発言との共通点

摩耶大橋の爆破予告デマを問われた際、斎藤知事は「司法で判断される」と答え、デマ拡散を明確に否定しませんでした。

この態度は、まさに**立花氏との関係に通底する“曖昧さ”**と一致します。

「デマは悪い」と言えば、過去の自分に跳ね返る。
「表現の自由」と言えば、責任を回避できる。

その結果、「県民の安全よりも、政治的都合を優先している」との印象を与えています。

県民の安全よりも「言葉の回避」を優先?

災害や事件時に、デマの拡散は人命に関わります。
知事が率先して「冷静な情報発信を求める」べき立場でありながら、
司法判断を盾に曖昧な言葉で済ませた今回の対応は、リーダーとしての危機管理能力の欠如を露呈した形です。

「爆破予告も司法で判断」──
それは「デマを止めない県政」を意味していませんか?

沈黙は説明責任の放棄であり、共犯の証

公人として、そして行政の長として、虚偽情報や誹謗中傷に対して明確に「NO」と言う責任があります。

しかし斎藤知事は、「自らを利したデマ」に対してだけ沈黙し、「自分への批判」には過敏に反応してきました。

それはもはや、政治的な“共犯関係”と言っても過言ではありません。