セクシーアイドルの「いいね」を「意図せず押した」「見てもいない」という説明は成立するのか

この件について、知事は記者から次のような質問を受けている。

選挙ウオッチャーちだいさん

知事の個人アカウントで、セクシーアイドルの「いいね」を押し、その後消しているが、県民の声が届いたのか。

斎藤知事

意図せず押した。見てもいない。知人から教えてもらい、「いいね」を消した。

選挙ウオッチャーちだいさん

県民の声が届いたわけではないのですね。

この一連のやり取りで注目すべき点は、
答弁が極めて整理され、淀みなく行われていることではない。

問題は「説明の中身」である

知事の説明を整理すると、次の主張になる。

  • セクシーアイドルの投稿は見ていない
  • 意図せず「いいね」を押した
  • 知人から教えられて初めて知った
  • そのため「いいね」を消した
  • 県民の声が届いたわけではない

しかし、この説明には、いくつかの疑問が残る。

そもそも「見ていない」投稿に、なぜ「いいね」が付くのか

Instagramにおいて、

  • タイムラインに表示されていない投稿
  • 視認していない投稿

に対して、「いいね」が付くことは、通常想定されない。

「意図せず押した」という説明を成り立たせるにも、

  • 投稿が画面に表示されていた
  • 画面に触れる状況にあった

という前提が必要になる。

つまり、

少なくとも、その投稿は
タイムラインに表示されていた

という事実は否定できない。

つまり、斎藤知事はその画面を見ていたと言うことになる。

タイムラインに表示されるということの意味

今回の説明の中で、見過ごせない前提がある。
それは、

問題の投稿が、知事のタイムラインに表示されていた

という点である。

SNSのタイムラインは「偶然」では構成されない

InstagramをはじめとするSNSのタイムラインは、

  • フォロー関係
  • 過去の閲覧履歴
  • 「いいね」や保存などの行動
  • 関心ジャンルの類似性

といった要素をもとに、利用者の興味・関心に近い投稿を優先的に表示する仕組みになっている。

つまり、

タイムラインに表示される

そのアカウントの行動履歴や関心と
何らかの関連性がある可能性が高い

というのが、一般的な理解だ。

「意図せず」「見てもいない」との説明とのズレ

知事は、

  • 「見てもいない」
  • 「意図せず押した」

と説明している。

しかし、

  • 投稿がタイムラインに表示され
  • 画面操作が可能な状態にあり
  • 結果として「いいね」が付いている

以上、

完全に無関係なコンテンツが、
偶然表示され、偶然反応した

という説明には、どうしても無理が生じる。

タイムライン以外で投稿を見るには、さらに「能動的行動」が必要になる

今回の説明を検討する上で、もう一つ、極めて重要な前提がある。

それは、

タイムラインに表示される以外に、
セクシーアイドルの投稿を見るためには、
より能動的な操作が必要になる

という点だ。

SNSで他人の投稿を見る主な経路

一般的に、Instagramで特定の投稿を見る経路は限られている。

  1. タイムラインに表示される
    • フォロー関係
    • 過去の行動履歴
    • 興味・関心に基づくアルゴリズム推薦
  2. 検索する
    • アカウント名を検索
    • ハッシュタグを検索
    • 関連投稿から遡る
  3. 外部リンクから飛ぶ
    • 誰かにURLを送られる
    • 他SNSから誘導される

このうち、②と③は、明確な「見る意思」がなければ発生しない行動である。

「見てもいない」という説明との関係

知事は、

  • 「見てもいない」
  • 「意図せず押した」

と説明している。

しかし、

  • タイムラインに表示されていたのであれば
    → 関心や行動履歴との関連が疑問として残る
  • タイムライン以外で見たのであれば
    検索や遷移という、さらに積極的な行動が必要になる

どちらの場合でも、

完全に無関係な状態で、
偶然目に入り、偶然反応した

という説明は、SNSの一般的な利用実態とは、どうしても噛み合わない。

ここで問われているのは「嗜好」ではない

重要なのは、この指摘が 知事個人の趣味嗜好を責める話ではない という点だ。

誰にでも、

  • 興味の幅
  • 無意識の関心
  • アルゴリズムによる推薦

は存在する。

問題はそこではない。

問題は「操作ミス」ではない

この問題は、

  • スマートフォン操作に不慣れだったかどうか
  • SNSリテラシーの話

ではない。

問われているのは、

「見ていない」「知らなかった」という説明と、
実際の行動が、どこまで整合しているのか

という一点である。

公職名を名乗るアカウントで起きたという点

今回の問題が重く受け止められているのは、

「兵庫県知事のさいとう元彦です」
と名乗るアカウントで起きた

という一点に尽きる。

  • 個人の関心が、アルゴリズムに反映され
  • それがタイムラインに現れ
  • 公職名義のアカウントで反応が可視化された

この構図が、

「公人としてどうなのか」

という疑問を生んでいる。

否定しきる説明が、かえって違和感を生む

もし、

  • 「タイムラインに表示された」
  • 「軽率だった」
  • 「誤解を招いた」

といった説明があれば、多くの県民はそれ以上追及しなかっただろう。

しかし実際には、

  • 見ていない
  • 意図していない
  • 知らなかった

と、関心そのものを全面否定する説明が繰り返された。

その結果、

「では、なぜ表示されたのか」
「なぜ反応が起きたのか」

という疑問が、逆に膨らんでしまった。

公人の説明に求められるのは「納得感」

行政トップの説明に必要なのは、言い切りや即答ではない。

  • 事実関係が自然につながっているか
  • 県民が聞いて納得できるか
  • 無理な前提を置いていないか

である。

今回の説明は、

  • 投稿は見ていない
  • しかし「いいね」は付いている
  • 炎上は把握していない
  • しかし炎上後短時間で「いいね」は消えている

という点で、どうしても説明に違和感が残る

アルゴリズムは「関心の痕跡」を映す

SNSのタイムラインは、

  • 人の内面を断定するものではない
  • しかし、行動の痕跡を反映する

という性質を持つ。

だからこそ、

公人が、公職名を掲げたアカウントで、
アルゴリズムに基づく反応を示した場合、
その「見え方」からは逃れられない

という現実がある。

今回の件が問題視されているのは、
偶然や操作ミスの話ではなく、

説明と、SNSの仕組みとの間にあるズレ

に、県民が気づいてしまったからだろう。

今回の会見説明は「丁寧な説明」よりも「回避」に見えてしまう

今回の一連の会見での説明を通じて、多くの県民が感じた違和感は、決して些細なものではない。

それは、

「県民に向き合って説明しようとしている」
という姿勢よりも、
「問題から逃げようとしている」
という印象が強く残った

という点である。

丁寧な説明とは、何だったのか

仮に、県民への説明を最優先するのであれば、

  • なぜ不適切と受け取られたのか
  • 自分ではどう考えているのか
  • 公職名を名乗るアカウント運用について
    今後どう改善し、再発防止するのか

といった点を、自らの言葉で整理して伝えることが考えられたはずだ。

しかし、実際の説明は、

  • 「意図せず押した」
  • 「見ていない」
  • 「知人から教えられた」
  • 「県民の声ではない」

と、責任の所在や判断主体を曖昧にする表現が重ねられた。

なぜ「逃げている」と受け取られてしまうのか

この説明が、

「逃げているように見える」

と受け取られてしまう理由は、内容そのものよりも構造にある。

  • 判断の主体が常に自分以外に置かれている
  • 意図や関心を否定する言葉が並ぶ
  • 行動の理由が「偶然」「知らなかった」に集約されている

結果として、

「では、知事自身は何を考え、
どう受け止めているのか」

という、最も知りたい部分が見えてこない。

説明責任とは「否定しきること」ではない

説明責任とは、

  • すべてを否定すること
  • 問題を小さく見せること

ではない。

むしろ、

「不快に感じた人がいるという事実」を
どう受け止めるか

を示すことにある。

今回の会見説明は、その点に正面から触れないまま終わったため、

「県民への丁寧な声明」
よりも
「やり過ごそうとしている説明」

として受け止められてしまったのだろう。

信頼は説明の積み重ねでしか回復しない

この問題は、「いいね」一つの是非に矮小化される話ではない。

公人が、
自ら公職名を掲げた空間で起こした行動に対し、
どれだけ誠実に説明できるか

その積み重ねこそが、県政への信頼を左右する。

今回の会見は、残念ながら、

信頼を回復する説明ではなく、
不信を深めてしまう説明

として受け止められても、仕方のない内容だったと言わざるを得ない。