「司法の判断」と言いながら司法に行かない ― 斎藤知事が第三者委員会の結論を受け入れない本当の理由

兵庫県の斎藤元彦知事は、文書問題をめぐる第三者委員会の調査報告を受けて、「最終的には司法の判断を仰ぐべきだ」と繰り返しています。
一見すると、法に従う姿勢のように聞こえます。
しかし、よく見るとこの言葉は、「結論を受け入れず、時間を稼ぐための逃げ口上」として使われている可能性が高いのです。

第三者委員会が認定した「公益通報者保護法違反」

第三者委員会の報告では、元県民局長の告発文書を「公益通報」とみなすべきだったと指摘しています。
つまり、知事や県幹部が行った通報者探索や情報漏洩の行為は、公益通報者保護法違反であるということです。

ところが、この違反には落とし穴があります。
令和4年6月1地に施行の旧法では、刑事罰が存在しません
違法であっても「処罰なし」――これが、斎藤知事にとって最大の“抜け道”となっています。

裁判を起こすべき当事者は誰か

委員会報告に不服があるのであれば、裁判を起こすべき当事者は県議会ではなく、報告書の設置・受領を決めた斎藤知事自身です。県議会は監視・チェックの役割を担いますが、報告書の法的な正当性を争う立場にあるのは報告書を設置した側(斎藤知事)です。

県議会は、報告書を「信頼できない」とする立場ではなく、「報告書を踏まえて是正を求める」側です。

「最終的には司法の判断」は“時間稼ぎ”のレトリック

では、なぜ斎藤知事は「司法の判断」と言い続けるのでしょうか。
答えはシンプルです。

  • 第三者委員会の報告には法的拘束力がない
  • 刑事罰がないため、警察・検察は自動的に動かない。
  • 誰も訴えなければ、「司法の判断」自体が永遠に訪れない

この構造を理解した上で、「司法に委ねる」と言い続ければ、知事自身の責任は棚上げのまま、時間だけが過ぎていくのです。

実際、報道各社の取材に対し斎藤知事は、報告書の結論を直接否定せず、「法的な評価は司法に任せる」と繰り返すのみ。
受け入れないが、否定もしない――“グレーゾーン戦略”です。

制度の壁 ― 「誰も動けない」仕組み

兵庫県の現実を見ても、この“時間稼ぎ”が成立してしまうのには構造的理由があります。

刑事告発ルートが機能しない

公益通報者保護法違反は「行政指導止まり」。
警察・検察は、罰則のない違法行為を立件できません。

リコールは事実上不可能

兵庫県の人口は約530万人。
知事リコールには66万人以上の署名が必要。
全国でも例のないハードルで、現実的に成立は困難です。

県議会は世論待ちで静観

県議会も、選挙や政党事情を考慮して動けず、
「確実な世論の流れ」が見えないと不信任に踏み込めません。

こうして、司法・議会・住民の3ルートすべてが機能しない構図が出来上がっています。

元県民局長の遺族が原告となって県を提訴することも難しい

元県民局長の遺族が原告となって県を提訴することは可能です。

訴因の例としては:

  • 公益通報者保護法違反(通報者探索行為)
  • 不当懲戒処分による人格権侵害・名誉毀損
  • 行政庁の不当行為による損害賠償(国家賠償法1条)

などが考えられます。

しかし、実際には遺族側にとって心理的・社会的ハードルが非常に高いのです。

遺族が「訴訟を避ける」合理的理由

斎藤知事支持層による誹謗中傷

すでに報道・SNS上で、元局長本人や遺族に対し、
「逆恨みだ」「県を混乱させた張本人」などの中傷が繰り返されている状況です。
遺族が訴訟を起こせば、さらに標的になることは確実。
→ 結果、「もうこれ以上晒されたくない」と考えるのは当然の防衛反応です。

県側との圧倒的な力の差

訴訟には長期戦・費用・専門知識が必要です。
相手は行政組織+知事職という圧倒的なリソースの持ち主
遺族単独では、現実的な闘いに耐えられません。

第三者委報告書で「事実は明らか」になった

報告書で真相がある程度明らかになっているため、遺族にとっては「これ以上争わなくてもいい」との心理が働く。
「訴訟を起こしても苦しみが延びるだけ」という判断が自然です。

斎藤知事の“計算”に組み込まれている可能性

このような状況を、斎藤知事が認識していないとは考えにくいです。
むしろ、「遺族は訴訟を起こさない」と確信している節があります。

彼の発言パターンを見ても、

  • 「司法の判断に委ねる」
  • 「私は法に従っている」
  • 「あとは司法で決めること」

という定型句を繰り返す一方で、
自ら訴訟を起こしたり、調査結果を受け入れて再調査を命じる行動は一切していません。

つまり、彼の中では

「遺族は訴訟を起こさない → 司法は動かない → 自分の責任は確定しない」
という安全シナリオが成立していると見られます。

知事の狙い ― 「法に従うポーズ」で逃げ切る

この状況を踏まえれば、斎藤知事がとっているのは明確な“政治的防御”です。

  1. 「司法判断を待つ」と言い続け、責任追及を棚上げ
  2. 世論の関心が薄れるのを待つ
  3. 次の選挙まで“有耶無耶”のまま乗り切る

つまり、法的には動かず、政治的には逃げ切るという構図です。
そして、現行制度ではそれを止める直接的手段がほとんどありません。

それでも県民ができること

制度の壁が高くても、「放置しない」ことには意味があります。

1. 報告書に基づく説明責任を求め続ける

県議会や記者会見で、「なぜ受け入れないのか」「司法に任せるとは何を意味するのか」を問い続ける。「司法判断」と言うたびに、「では誰が訴えるのか?」「いつ訴えるのか?」を突き続ける。

2. 情報発信と記録の維持

SNSや地域メディアで、「第三者委の結論が無視された事実」を繰り返し発信。
報道の継続と記録の共有は、風化を防ぐ最も有効な手段です。

3. 県議会への意見提出・請願

中間派・無所属議員に対して、県民の声を可視化する。
「動くための世論の裏付け」を作ることが、政治を動かす第一歩です。

まとめ

斎藤知事が「司法の判断を待つ」と言い続けるのは、
司法が実際に動かないことを理解したうえでの時間稼ぎである。

罰則がない旧法の盲点を利用し、第三者委員会の報告を無視しても政治的リスクを最小限に抑える――。
これこそが、今回の兵庫県文書問題の本質です。

県民が今できることは、
「司法に委ねる」という言葉に惑わされず、
“司法に行かない構造”そのものを問題視し続けることです。