対話を拒否する知事は、県をまとめる資格があるのか タウンミーティングすら開けない理由とは

県民の間で対立と分断が深まる中、2025年11月28日の定例記者会見で、斎藤元彦兵庫県知事は次のように述べました。

「様々なご指摘やご批判は真摯に受け止め甘受する立場」「自分としては出来るだけ答えている」

一方、SNS上の斎藤知事の支持者(以下、斎藤信者)は、

「不起訴になっても誹謗中傷が止まらないのは偏向報道のせいだ」

と、疑惑や説明不足について触れず、論点をメディア批判へすり替えています。

しかし、記者会見における厳しい追及や、知事の現場訪問時に直接抗議の声が上がっている現状を見れば、兵庫県内には明確な分断が存在しているのは明白です。

分断の解消のために、知事は県民の前に出て説明し、県民の声に耳を傾ける責任があります。
にもかかわらず、斎藤知事はタウンミーティングを一度も開催せず、徹底して対話を避け続けています。

公約と現在の状況のギャップ

斎藤元彦 知事の前回知事選の公約のひとつに、「県民の皆さまはじめ、県職員や県議会との信頼関係の再構築」があった。

同公約では、例えば「百条委や第三者機関の調査に真摯に協力」「公益通報窓口の外部化」「職員との対話徹底」「県議会各会派との丁寧な合意形成」などが掲げられていた。

しかし実際には、複数の疑惑(情報漏洩問題、公益通報者保護法違反、ハラスメント疑惑など)が残ったまま。これらについて「説明責任を果たした」「信頼を回復した」と言える状況とは程遠いとの指摘が、県民、県議会、報道など多方面から出されている。

知事自身も、定例会見で「これまで通り県政を前に進める」「日々の政策遂行で信頼に応えていきたい」と発言しているが、具体的な対話の場(住民との公開討論やタウンミーティングなど)は開かれていない。

さいとう元彦公式ウェブサイト | 兵庫の躍動を止めない! –

なぜ「再構築」は進んでいないように見えるか

疑惑・問題が「処分」や「調査終了」で区切られたまま。説明責任を果たす場や透明な議論の場がないため、県民や県職員、議会の“納得感”が得られていない。

「政策実行」を前面に出すことで批判や不信をかわそうとしている。公共投資や行政サービスの拡充などをアピールするものの、信頼関係の根幹を揺るがす問題の本質に真正面から向き合っていない。

対話の場を「記者会見」に限定。記者会見は報道を介するため、編集・切り取りを経由する可能性があり、真正面の県民対話とは性質が異なる。住民の意見が直に届く公開討論やタウンミーティングを回避しており、これが信頼再構築を妨げている。

普通の知事なら最初に「対話の場」を設ける

県民の疑念や対立が深まったとき、通常の首長が行う対応は明確です。

  • タウンミーティングや公開討論の開催
  • 疑惑に対する事実説明と質疑応答
  • 第三者機関の調査結果を受け入れる姿勢
  • 批判的意見も含めた対話の姿勢

なぜか?
誤解であれば説明すれば解消できるし、事実であれば謝罪すれば済むからです。
説明できないことは何も無いはずです。

ところが、斎藤知事は一切それを行っていません。

タウンミーティングが開けない本当の理由

タウンミーティングを開催し、公開の場で県民の質問に正面から答えれば、矛盾や不自然な説明の破綻が露呈する可能性が高いためと考えられます。

説明できない疑惑の数々

疑惑・問題知事の対応
公益通報者保護法違反を第三者委員会、百条委員会が指摘。消費者庁も知事の法解釈の問題を指摘「適正、適切、適法に対応」と説明して、詳細は語らず
情報漏洩問題で第三者委が「知事の指示の可能性」を指摘井ノ本元総務部長を懲戒処分して幕引き
2馬力選挙問題「自分ができる選挙をした」として2馬力選挙の支援者を切り捨て
起訴・不起訴の議論詳細には触れず説明責任放棄
会見質問への回答具体性を避け、論点をずらして逃げる

説明すればするほど、辻褄の合わない点が表面化し、県民の不信が拡大する──それが最も恐れていることではないでしょうか。

偏向報道と言うなら、なおさら公開対話が必要ではないか

SNS上では、斎藤元彦知事の支持者(いわゆる“斎藤信者”)が、

「偏向報道が斎藤知事への批判を生んでいる」

と主張し、知事への批判や疑惑追及に対して「誹謗中傷」「メディアの偏向」「印象操作」といったレッテル貼りで応じています。

しかし、もし本当に偏向報道によって誤解が生じているのであれば、誤解を解く最も確実な手段は、県民との直接対話の場を設けることです。

にもかかわらず、斎藤知事はタウンミーティングを一度も開催せず、公開の場で県民と向き合う姿勢を見せません。

偏向報道が問題なら、対話こそが唯一の解決手段

斎藤信者が主張するように、もし報道が偏っているのだとしたら──

  • 記者会見というフィルター越しではなく、
  • 編集も切り取りもできない、
  • 県民が直接質問し、回答を聞ける

タウンミーティングや公開討論こそが最も有効な方法のはずです。

本来、斎藤信者こそ、

「偏向報道に負けるな」「直接説明して誤解を解いてほしい」

と、知事に対話の場を求めるのが自然なはずです。

しかし、現実には信者の誰ひとりとしてタウンミーティングの開催を求めず、むしろ避ける方向で動いているという不可解な状況があります。

なぜ斎藤信者はタウンミーティングを望まないのか

もし偏向報道が問題で、知事に説明できる自信があるなら、対話の場はむしろ最強の武器になるはずです。

にもかかわらず、それを望まないというのは、信者自身が対話の場で破綻するリスクを理解しているからではないでしょうか。

避けたい理由として考えられること

  • 公開質問で説明が崩れる可能性が高い
  • 県民の前で知事の矛盾が露出する
  • 都合の良い言い訳も印象操作も効かない
  • 信者が誇る「偏向報道」という逃げ道が使えなくなる
  • 「批判者=悪者」という構図が成立しなくなる

つまり、

あえてタウンミーティングを望まないのは、
真実が可視化されることを恐れているからではないか。

と言わざるを得ません。

対話拒否こそ最大の不信の理由

知事が対話を避ければ避けるほど、県民はこう考えます。

説明できないから逃げているのでは?

信者が対話を拒むほど、県民はこう考えます。

偏向報道が原因と言っているが、実際は説明できないのでは?

そして、県政はますます分断され、対立だけが深まっていきます。

民主主義において最も重要なのは、異なる立場の人間が公開の場で議論することであり、批判者を攻撃して沈黙させることではありません。

県政の信頼回復に必要なのは「対話」

兵庫県の分断を解消するために必要なのは、ただひとつです。

公開の対話の場の設置

  • 県民参加型タウンミーティング
  • 事実に基づく説明と質疑応答
  • 反対派も含めた幅広い声の受容

説明責任を果たす覚悟があれば、逃げる必要はありません。

まとめ

斎藤知事は会見で「真摯に受け止め甘受する」と語り、「自分としては答えている」と主張します。

しかし、現実には説明を避け、対話を拒否し、信者による言論攻撃に依存しています。

説明できないから逃げる。
逃げるから分断が深まる。

対話を拒否する知事に、果たして県をまとめる資格はあるのでしょうか。

斎藤信者が「偏向報道」と主張するのであれば、なおさら、公開の対話は必要です。

しかし、知事も信者もタウンミーティングを避け続けている。

対話を避けるのは、事実を説明できないから。
公開討論を恐れるのは、矛盾が明らかになるから。

それが県民の受け止め方であり、説明責任を果たさない限り、この分断は永遠に解消されません。

県民の声を聞くことを恐れる知事に、本当に県政を任せて良いのでしょうか。