「斎藤さんだから許される」は通用するのか――県知事に求められる責任と、民主主義の基準について
兵庫県知事をめぐる一連の問題について、私が強く違和感を覚えている点は、「斎藤元彦知事が好きか嫌いか」という話ではありません。
問題は、もし同じことを別の知事がしても、同じように許されるのか、という一点です。
目次
知事が行ったと指摘されている行為
これまでに指摘されているのは、次のような点です。
- 公益通報者の探索
- 通報者に対する処分
- 情報漏洩をそそのかした疑い
- 第三者委員会や百条委員会からの問題点の指摘
- それにもかかわらず、十分な説明責任を果たしていない姿勢
これらは、人物の好悪で評価してよい問題ではありません。
本来であれば、「誰がやったか」ではなく、「何をしたか」で判断されるべき事柄です。
もし別の知事でも許せるのか
ここで、あえて問いかけたいと思います。
もし、斎藤知事ではない別の知事が、
同じように通報者探索を行い、
処分し、
情報漏洩をそそのかし、
その上で説明責任をほとんど果たさなかったとしても、
私たちはそれを許せるでしょうか。
この問いに「ノー」と答えるなら、斎藤知事であっても同じ基準が適用されなければなりません。
ここで基準が揺らいでしまうなら、それはもう法治や民主主義ではなく、「人への好意」によって判断が歪められている状態です。
問題は「支持者」ではなく「政治の向き」
私が問題だと感じているのは、特定の支持者の存在そのものではありません。
問題なのは、
- 批判的な県民や疑問を持つ県民には説明しない
- しかし好意的な支持層には積極的に応じる
- 結果として、政治が県民全体ではなく、一部の無条件的支持に向いているように見える
この政治姿勢そのものです。
県知事は「推される存在」ではありません。
県民から権限を預かり、その行使について説明責任を負う立場です。
県知事の使命とは何か
県知事の使命は明確です。
県民全体の幸せを最大化すること
そのためには、
- 都合の悪い指摘から逃げない
- 誰に対しても同じ説明責任を果たす
- 好き嫌いではなく、原則で統治する
こうした姿勢が不可欠です。
もし「好かれているから」「応援されているから」という理由で、説明責任が免除されるのであれば、それは県政全体の劣化につながります。
この問題は個人ではなく、民主主義の問題
この問題は、斎藤知事一人の資質の話にとどまりません。
もし、
- 説明しなくてもよい
- 法的疑義があっても人気があれば問題ない
という前例が作られてしまえば、次の知事はさらに説明をしなくなるでしょう。
それは、兵庫県の民主主義の耐久性そのものが問われている、ということです。
基準を取り戻す必要がある
私が訴えたいのは、ただ一つです。
誰がやっても許されないことは、
好きな知事であっても許してはいけない。
知事を好きになることと、知事としての適格性を評価することは、分けて考えるべきです。
それこそが、県民一人ひとりの生活を守り、県民全体の幸せにつながると、私は考えています。
斎藤知事は「このような支持層」だけで次の選挙で勝てるのか?
斎藤知事(あるいは周囲)は、「このような支持があれば次も勝てる」と誤認している可能性はあるが、実際にはその戦略は極めて危うい。
そして最大の問題は、その誤認に基づいて政治をしているように見えることです。
数の問題:この支持層だけでは勝てない
- ルックス・推し型・出待ち型の支持は
- 可視化されやすい
- 声が大きい
- SNSで目立つ
- しかし
- 人数は多くない
- 県知事選に必要な100万票には届かない
この層「だけ」で勝つことは、選挙の現実として不可能
それでも「勝てる」と思ってしまう理由
要因① 低投票率
- 投票率が低い
- 無関心層が選挙に行かない
この場合、
- 強い動機を持つ支持者
- 熱心に動く少数派
の比重が相対的に高くなります。
熱量のある支持層が、実数以上に効いて見える
要因② 対抗候補が弱い・分裂
- 明確な対抗軸がない
- 野党・反対勢力が分裂する
- 「消去法」で現職が選ばれる
この場合、
支持ではなく「惰性」で勝てる
政策評価がほとんど行われない
要因③ 説明しなくても勝った成功体験
最も危険なのがこれです。
- 説明不足を指摘されても
- 法的疑義が残っていても
- それでも勝てた
この経験は、
「説明しなくても、好意的支持と沈黙で勝てる」
という誤った成功体験を生みます。
この問題の違和感は、まさにここに直結しています。
本当の問題:見ている「民意」が偏っている
もし斎藤知事が、
- 批判的な県民には説明しない
- 疑問には答えない
- それでも好意的支持が見えている
この状況をもって「支持はある」「問題ない」と判断しているなら、
県民全体ではなく、自分を肯定してくれる一部だけを民意と錯覚している
この戦略が危険な理由(中間層の存在)
- 中間層・無党派層は
- 熱狂しない
- SNSで騒がない
- しかし数が圧倒的に多い
- この層は
- 「説明がないこと」
- 「基準が壊れていること」
に強い不信を持つ
普段は静かだが、あるラインを越えると一気に離反する
特に反応するテーマ:
- 公益通報
- 情報漏洩
- 説明責任の欠如
問題意識の核心(最重要)
この問いは、
「次も勝てるか?」では終わっていません。
本質はこれです。
このような支持に依存し、
説明責任を軽視する政治をしていて、
県民全体の幸せを考えていると言えるのか。
これは
- 支持者批判ではなく
- 人物批判でもなく
- 統治の姿勢と民主主義の基準の問題






