「司法に委ねる」と言いながら沈黙を強いる ― 斎藤元彦知事の発言に見る政治的ハラスメントの構造

■ はじめに

兵庫県の「文書問題」をめぐり、第三者委員会は「知事の対応は公益通報者保護法違法である」と明確に指摘しました。
それに対し、斎藤元彦知事は一貫して「最終判断は司法に委ねる」と述べています。

一見、法に則った冷静な姿勢に見えるこの言葉。
しかし、懲戒処分を受けた元県民局長は既に亡くなり、遺族も訴訟を起こす気力を失っていることを知りながら繰り返されている――。
この構図を、単なる「説明回避」ではなく、権力によるハラスメント行為と捉える見方があります。


■ 「最終判断は司法」――形式的に正しく、実質的に不誠実

法治国家において、最終判断を司法に委ねるのは正しい姿勢です。
しかしそれは、**「司法の場が実際に開かれる可能性があること」**が前提です。

元県民局長が亡くなり、遺族が訴えられない状況を知りながら「最終判断は司法」と繰り返すのは、
「自分の判断が事実上の最終判断である」と言っているに等しい。
この発言は法治主義の言葉を利用した政治的言い逃れであり、
「司法を盾にする行政トップ」という極めて危うい姿勢です。


元県民局長側が訴えられない状況を知っている場合

もし知事が、

  • 懲戒処分を受けた本人がすでに亡くなっている
  • 遺族が訴訟を起こす気力もない
    という状況を十分認識したうえで
    「最終判断は司法」と繰り返しているのであれば、
    それは 「司法の場に事案が持ち込まれないことを計算に入れた政治的発言」 と評価されかねません。

つまり、法的なチェックを実質的に封じたまま、自分の判断を事実上「最終判断」にしているわけです。
これは行政トップとして非常に危険な態度です。


これは「法治主義」の形骸化にあたる

法治主義では、

  • すべての公権力の行使は法によって制限され
  • 行政の判断は司法審査を受けうる
    ことが前提です。

ところが、司法の場に出る可能性がない(あるいは低い)ことを前提に
「司法が最終判断」という言葉だけを利用するのは、
**「法治主義の装いをまとった独断的統治」**につながります。

これは、民主主義国家においてもっとも警戒されるべき政治手法です。


■ 権力の非対称性が生む「政治的ハラスメント」

ハラスメントの本質は、力の差を利用して相手を沈黙させることです。
この問題でも、

  • 一方は兵庫県行政の頂点に立つ知事
  • もう一方は、故人となった元県民局長と発言力のない遺族

という圧倒的な「力の非対称性」が存在します。

そのうえで、「司法が判断すればいい」と繰り返すのは、
相手が訴えられないことを前提に「何も反論できない側に責任を押し付ける」構図。
これは、**典型的な心理的ハラスメント(政治的ハラスメント)**といえます。


■ 発言の社会的効果:沈黙の強要と印象操作

この発言が繰り返されることで、
多くの県民は「司法判断がない=知事が正しい」と誤認します。
つまり、

  • 遺族は声を上げづらくなり
  • 行政の説明責任は形骸化し
  • 県民の関心は「司法が判断するまで待つ」という無関心に変わる

結果として、行政トップの言い分だけが「確定した事実」として残るという、非常に危険な状態が生まれます。


■ 公的立場の「説明責任」と倫理的義務

首長という立場には、法的責任だけでなく倫理的責任も伴います。
亡くなった元県民局長とその家族が反論できない状況で、
自ら司法の場に出ず、
「司法が最終判断」と繰り返すのは、
説明責任の放棄であり、故人の尊厳を損なう行為です。

このような姿勢は、民主主義の根幹を支える「法の支配」そのものを空洞化させます。


■ 「行政によるいじめ」としての構造

  • 社会的影響力のある発言者(知事)
  • 反論できない相手(故人・遺族)
  • 法的拘束力のない説明責任の回避

この三要素が揃うと、構造的には「行政によるいじめ」そのものです。
表面的には合法でも、倫理的・心理的暴力として作用します。

公権力によるいじめが常態化すれば、
誰も不正を告発できない「沈黙の行政」が生まれます。


■ 結論:沈黙を強いる政治は、民主主義の敵

「最終判断は司法」との発言は、司法に委ねる姿勢ではなく、実際には「反論不能な者に沈黙を強いる」政治的メッセージに変質しています。

これは、個人へのハラスメントであると同時に、**県民全体に対する“説明拒否のメッセージ”**でもあります。

民主主義は、権力の説明責任と透明性の上に成り立ちます。司法の名を借りて責任を逃れる政治は、その根本原則への挑戦であり、「政治的ハラスメント」として強く批判されるべきです。

文書問題の第三者委員会から10件のパワハラと3月27日の「嘘八百・公務員失格」の公開パワハラの合計11件のパワハラを認定されても、反省することも無く、元県民局長の遺族に対してハラスメントを続けている異常性にも気付かない斎藤知事の本性を表す顕著な事例です。