百条委員会・第三者委員会を無視する斎藤知事 ― 税金を浪費し説明責任を放棄する兵庫県政の現実
目次
百条委員会・第三者委員会とは何か
「百条委員会」とは、地方自治法第100条に基づき、議会が行政の疑惑や不正を調査するために設置する特別委員会です。
証人喚問や資料提出の請求ができる強力な権限を持ち、行政の透明性を担保するための制度です。
また「第三者委員会」は、行政や企業が自らの行為の正当性を検証するため、外部の有識者によって構成される調査機関です。
中立的な立場から事実を明らかにし、組織の信頼回復を図る目的があります。
しかし、兵庫県ではこれらの制度が形骸化し、本来の目的を失いつつあります。
「真摯に受け止める」と言いながら事実上の無視
斎藤元彦知事は、報告書の公表後「真摯に受け止める」と述べましたが、実際には何の改善策も示さず、報告内容を無視しています。
形だけのコメントで県民の目を欺き、実質的には何も変えない“受け流し型県政”が続いています。
「真摯に受け止める」と言いながら無視する――この矛盾こそ、県政不信の最大の要因です。
税金を使っておきながら報告を無視 ― 調査の意味が消える
百条委員会や第三者委員会の設置には、多額の県費(税金)が使われています。
それにもかかわらず、報告書の指摘を無視すれば、調査そのものが税金の無駄遣いになります。
委員会の努力も、県民の期待も無にする対応は、民主主義に対する侮辱と言わざるを得ません。
不服なら法的手続きを取るべき
もし斎藤知事が「委員会の認定は誤りだ」と考えるなら、
本来は不服申立てや訴訟などの法的手段で争うべきです。
ところが、斎藤知事はそのような手続きを一切取らず、
「自分の判断が上」とする独善的な態度を続けています。
これは、法治主義を根底から否定する行為です。
都合の悪い事実を無視する知事の姿勢こそ、遵法意識の欠如そのものです。
行政文書すら存在しない「異常な県政」
阪神・オリックス優勝パレードの開催をめぐり、意思決定の経緯を確認しようとした文書開示請求に対し、
県は「公文書不存在」と回答しました。
行政の意思決定に関する記録が存在しない――これは、説明責任の放棄であり、行政運営の根幹を否定する異常事態です。
「透明な県政」を掲げながら、最も基本的な透明性を欠いているのが現実です。
道義心を失った政治の危うさ
普通の政治家なら、誤りや不手際を指摘されれば恥じ、改善しようとする。
しかし、斎藤知事にはその感覚が見られない。
政治的・倫理的・道義的責任を理解せず、批判を受け流し、保身を優先している。
恥を知らない強さは、もはや「無反省の強さ」であり、県政を壊す最大の要因だ。
このままでは、兵庫県は「説明しない政治」「責任を取らない政治」が常態化してしまう。
この「恥を知らぬ強さ」は、もはやリーダーシップではなく、鈍感力による県政の劣化です。
「恥を知らない」倫理的・社会的な意味での「強さ」
「恥を知らない」とは裏を返せば、
他者への配慮や道徳的感受性を失っているということでもあります。
それは、社会的信頼を失い、人間関係を壊すリスクをはらんでいます。
長期的に見れば、そうした人は孤立しやすく、信頼に基づく強さ(リーダーシップや尊敬)を得られません。
つまり、「恥を知らない人」は一時的に強く見えても、持続的な強さは持てないのです。
県民に問われているのは「信頼回復への行動」
制度を軽んじ、説明責任を放棄し、文書すら残さない。
このような政治を続けていては、どれほど新しい政策を掲げても県民の信頼は戻りません。
県民が問うべきは、「知事に信頼を回復する意思があるのか」という一点です。
【県民ができる具体的な行動提案】
県民としてできることは、決して少なくありません。
以下のような行動が、透明な県政を取り戻す第一歩になります。
● 1. 県議会への意見提出
兵庫県議会には、県民からの「請願と陳情」のページがあります。
百条委員会の報告軽視に対する意見を提出し、議会に監視を求めましょう。
● 2. 情報公開請求を活用する
県政の意思決定過程や文書の有無を確認するため、情報公開請求を行うことができます。
開示請求を重ねることで、行政の透明性を高める効果があります。
● 3. SNSや地域メディアで問題を共有
SNSでの発信や、地域の会合・意見交換でこの問題を取り上げましょう。
「知られていないこと」こそ、行政が最も恐れることです。
事実を共有し、無関心を打破することが最も効果的な市民行動です。
結論:制度を壊すのは「沈黙」
百条委員会も第三者委員会も、県民が行政を監視するための重要な制度です。
しかし、その結果を無視しても県民が沈黙すれば、制度そのものが形骸化します。
私たち一人ひとりの「声」と「行動」こそが、
県政の正常化を取り戻す唯一の手段です。
兵庫県政の未来を守るために、今こそ声を上げる時です。