斎藤知事の記者会見と県政改革課― 公私混同がもたらす兵庫県政の制度劣化 ―
兵庫県の斎藤元彦知事を巡る一連の問題は、公益通報者保護法違反やパワーハラスメントなど、個別の不祥事として語られることが多い。しかし、より深刻なのは、それらを支える県政の構造そのものが歪められている可能性である。
その象徴的な事例が、知事の記者会見と県政改革課の関与のあり方だ。
目次
知事会見に「カンペ」があること自体は問題ではない
まず、前提をはっきりさせておきたい。
知事の記者会見に、いわゆる「カンペ(想定問答やメモ)」が存在すること自体は、全国どこの自治体でも行われている。むしろ、カンペが無い方が不自然であり、記者会見を円滑に進めるために必要な準備である。
問題は、誰がその作成や管理、運用に関与しているかである。
公務と政務の境界線
地方自治において、知事は二つの顔を持つ。
- 行政の長としての「公務」
- 政治家としての「政務」
行政制度上、この二つは厳密に区別されるべきものだ。
- 公務
→ 行政事務、制度説明、事実関係の整理
→ 県職員が支えるのは正当 - 政務
→ 自身の正当化、政治的対立への対応、批判への反論
→ 本来は私設秘書や政治スタッフの役割
知事の記者会見は、この両者が混在する「グレーゾーン」である。
だからこそ、多くの自治体では、役人が全面的に関与しすぎない運用が取られている。
県政改革課が「総出」で会見を管理する異常性
菅野完氏の証言によれば、兵庫県庁では、知事の記者会見の最中、県政改革課の職員全員がヘッドフォンを着用し、知事の発言や記者の質問をリアルタイムで確認していたという。
これは単なる「会見の把握」ではない。
- 職員全員が同時に監視
- 発言内容と質問の逐語的確認
- 会見全体を一つのストーリーとして統制
このような体制は、行政補助の範囲を超え、政治的メッセージの組織管理と評価されても不自然ではない。
仮に一部の担当者が状況把握をするのであれば理解できる。しかし、「課を挙げて」行う必要性は、行政目的からは説明がつかない。
税金による政務支援という問題
もし、知事の記者会見が、
- 自身の行為の正当化
- 批判への政治的反論
- 対立構図の整理
といった政務的要素を含むものであるならば、それを県職員が組織的に支えることは、
税金を使って知事個人の政治活動を支援している
という評価を免れない。
明確に「違法」と断じる条文が存在しないとしても、
- 地方公務員法が求める政治的中立性
- 職務専念義務
- 財務規律(公金の適正使用)
これらの趣旨から見れば、極めて問題のある運用である。
最大の被害者は県職員である
この構造の最大の被害者は、県民ではなく、まず県職員自身だ。
- 政策立案より、知事発言の整合性確認
- 県民利益より、知事防衛
- 改革課なのに、実態は「統制部隊」
これでは、職員のモチベーションが下がり、自由な発想や健全な議論が生まれるはずがない。
結果として、兵庫県政は「間違いを正せない組織」へと劣化していく。
「どこでもやっている」は通用しない
この問題を指摘すると、必ず出てくる反論がある。
「どこの知事も同じことをやっている」
であれば、問いたい。
県政改革課の職員が総出で、
知事の記者会見をリアルタイム監視・統制している
他県の具体例を、一つでも挙げられるだろうか。
抽象論ではなく、具体例が示されない限り、この反論は成立しない。
問われているのは知事個人ではなく、兵庫県政の健全性
この問題は、単なる知事批判ではない。
問われているのは、
- 公務と政務の線引き
- 税金の使い道
- 行政組織の自律性
すなわち、兵庫県政が健全な民主主義の下で運営されているのかという根本的な問いである。
知事の記者会見を、県職員が組織的に支え、統制する体制が常態化しているのであれば、それは明確な制度劣化であり、県民が看過してよい問題ではない。
まとめ
問題は、カンペの有無ではない。
問題は、その会見と政治的メッセージを、
県職員=税金で組織的に支えさせていることだ。
これは感情論ではなく、行政倫理と制度の問題である。





