「第三者委員会より知事の認識が優先?」― 斎藤兵庫県知事の危険な答弁
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知事の答弁が示す危うい構図
10月の定例会見で斎藤元彦・兵庫県知事は、第三者委員会の結論に対して「行政の長として適法・適切に対応してきた」と述べ、法曹の専門家が示した事実認定よりも自らの認識を優先させる答弁を繰り返しました。
記者が「事実認定より知事の判断が上位に立つ法的根拠はあるのか」と問いただしても、知事は「県知事として判断をしている」としか答えませんでした。
これは、県政の運営において「知事の認識が絶対」とする姿勢を事実上肯定するものであり、極めて危険です。
「第三者委員会の事実認定より知事の判断が上位に立つ」とする法的根拠は存在しません
法律上の位置づけ
第三者委員会
法律に明文で定められた機関ではなく、多くは知事や自治体が「透明性確保のため」に設置する「諮問的機関」です。
よって「法的拘束力を持つ裁判所」ではありませんが、法曹の専門家が独立して調査した「事実認定」には強い社会的・専門的重みがあります。
知事の判断
地方自治法上、知事は「行政の長」として県政の執行権を持ちます(地方自治法第149条以下)。
しかしこれは「行政執行権限」にすぎず、事実認定や法解釈において裁判所や専門機関を超える権限を与えられてはいません。
司法・議会との関係
事実認定に最終的な法的効力を持つのは司法(裁判所)であって、知事の認識ではありません。
また、地方自治法第100条に基づく 百条委員会(地方議会の調査権)は、証人喚問や記録提出を強制できる強い権限を持ち、その調査結果を軽視することは法の趣旨に反します。
第三者委員会を無力化する答弁
兵庫県ではこれまで、問題の透明化を目的として複数の第三者委員会が設置されてきました。これらは県民からの信頼を得るために不可欠な仕組みです。
しかし、知事が「最終判断は自分にある」と言い切るなら、委員会の結論はすべて「参考意見」に過ぎず、設置自体がアリバイ作りだったことになります。
この論理が通れば、いくら専門家が調査をしても、都合の悪い部分は「知事の認識」で覆されることになります。
「陳は兵庫なり」― 独裁体制への道
首長の判断が専門家の事実認定よりも優先されるという発想は、法治主義を否定する危険な思想です。これは「陳は国家なり」と言い放った絶対王政を想起させます。
もし知事の言い分がそのまま通るならば、議会の調査、第三者委員会の報告、公益通報の指摘、さらには裁判所の判断さえも「知事の認識」によって軽視される可能性があります。
こうなれば、兵庫県政は民主主義の原理から外れ、知事の一存で動く独裁体制へと変質していきます。
歴史が警告する「独裁の論理」
ルイ14世の「朕は国家なり」
絶対王政の典型であり、国王の意思が法律を超えるという思想が、民衆の不満を爆発させ、最終的にフランス革命を招きました。
ナチス・ドイツ
ヒトラーは「法律より総統の意思が上位にある」と宣言し、司法や議会を形骸化させました。その結果、国全体が破滅的な戦争と大量虐殺へ突き進みました。
昭和期の日本
戦前の日本でも、軍部や一部の政治家が「国家のため」という名目で法や議会を無視し、批判を封じ込めました。その結果、戦争を止められず、多くの国民が犠牲になりました。
これらに共通しているのは、「法」や「専門的判断」よりも「指導者の意思」が優先された瞬間に、国家や社会が破局に向かったという事実です。
県民が被る深刻なリスク
知事が「自分の認識こそ正しい」と言い続ける県政が続けば、最も被害を受けるのは県民です。
- 行政の誤りが指摘されても修正されず、被害が放置される
- 公益通報をしても「適法だった」と一蹴され、告発者が守られない
- 議会や第三者委員会が機能せず、行政が暴走する
- 行政の不正や不適切な支出にメスが入らず、県民の税金が無駄に使われる
これらはすべて現実的なリスクです。県民がチェック機能を失った行政に翻弄される危険が、すぐそこまで迫っています。
県民への警告 ― 「無関心」が最も危険
斎藤知事の答弁は、法よりも「自分の認識」を優先させるという危険な思想を露わにしました。この姿勢が定着すれば、兵庫県は民主的な県政から遠ざかり、絶対王政的な体制に転落しかねません。
最も危険なのは、県民がこの状況に無関心でいることです。行政の誤りを正す力を持つのは、最終的には県民の監視と声です。
それでも「がんばれ」と叫ぶ支持者たち
この状況でも「さいとう知事がんばれ」と声援を送る支持者がいます。
しかし彼らは、知事を応援することが、結果的に県政の独裁化を後押ししていることに気づいていないのではないでしょうか。
- 法的根拠もない発言を正当化する
- 第三者委員会や議会の調査結果を軽視させる
- 行政の誤りを修正できなくする
こうした行動は、本人が意図せずとも「県民全体を危険にさらす加担行為」となりかねません。
盲目的な支持は「県政の暴走」を助長する
歴史が示すように、独裁が成立するのは指導者の暴走だけが原因ではありません。
「何をしても支持する」という盲目的な信者の存在こそ、独裁の最大の燃料です。
- ヒトラーを熱狂的に支持した民衆
- 絶対王政を正当化した取り巻きの貴族たち
- 戦前日本で批判を封じた「愛国」の名を借りた世論
いずれも「応援しているつもり」で、結果的に国や地域を破局へと導きました。
県民への警鐘 ― 応援が未来を壊す
「がんばれ」という言葉自体は善意かもしれません。
しかし、不正や独裁的発言に対しても無批判に「がんばれ」と叫ぶことは、未来の兵庫県を壊す行為です。