もし兵庫県知事選挙が行われたら─ 斎藤知事支持者の「勝ち筋」はどこにあるのか

2026年1月24日

もし、兵庫県知事選挙が実施された場合、私たちは何を有権者に訴えることができるのだろうか。

答えは明確だ。
斎藤知事による違法行為・不適切行為を、感情ではなくファクトに基づいて提示することである。

一方で、斎藤知事支持者は、選挙の場で何を有権者に訴えるのだろうか。

ファクトに基づく訴えと、印象に頼る訴えの決定的な違い

反斎藤側が提示できるのは、主観や好き嫌いではない。

  • 公益通報者保護法との関係
  • 通報者探索という行為の是非
  • 第三者委員会・消費者庁・国会での指摘
  • 公文書の「不存在」「非公開」が大量に発生している事実
  • 記者会見で繰り返される説明拒否とテンプレート回答

これらはすべて、記録・発言・公式文書として残っている事実である。

選挙は、X(旧Twitter)の論争とは違う。
多くの有権者が重視するのは、

  • 違法・不適切な行為があったのか
  • それに対して説明責任を果たしたのか
  • 今後も権力を預けて大丈夫なのか

という、ごく当たり前の判断軸だ。

斎藤知事支持者が取り得る主張は限られている

現実的に考えると、斎藤支持側が選挙で使える主張は、次のいずれかしかない。

①「違法ではない」「適正・適切・適法」という主張

しかし、この主張は致命的な弱点を抱えている。

  • なぜ適法なのか
  • どの条文をどう解釈したのか

これを本人が具体的に説明できていないからだ。

選挙では「言い切り」よりも「説明の中身」が問われる。

② 実績アピール(改革・スピード感)

これは唯一の正攻法に見えるが、ここにも限界がある。

有権者はこう考える。

成果があったとしても、
ルールを壊す人に権力を預け続けていいのか?

実績と違法・不適切行為は、相殺されない。

③ 反対派は過激だ、感情的だという印象操作

SNS上では通用しても、選挙では逆効果になりやすい。

  • 中身で反論できていない
  • 論点から逃げている

そう受け取られるからだ。

④ 都合の良いデータだけを示す

自分に不利なデータを伏せ、良く見える数字だけを出す。
これは実際に起こり得る。

しかし選挙戦では、

  • メディア
  • 対立候補
  • 市民によるファクト提示

によって、隠した事実そのものが争点化される。

Xでの歪曲主張は、選挙では通用しない

Xでは、強い言葉や断定が支持を集めることがある。

しかし、知事選挙の有権者全体から見れば、SNSの支持者層は一部にすぎない。

  • 陰謀論的な構図
  • 敵を作る語り
  • 事実より感情を優先する主張

これをそのまま選挙の場に持ち込めば、

危うい陣営だ
という印象を与えるだけだ。

斎藤知事支持者にとっての「唯一の勝ち筋」

正直に言えば、勝ち筋は非常に狭い。

それは、

  • 問題が十分に知られない
  • 争点化されない
  • 投票率が低い

という条件が重なった場合のみ。

つまり、説明責任から逃げ切る構図である。

SNSでのデマ拡散という、もう一つの大きなリスク

ここで、もう一つ深刻な問題を指摘しておく必要がある。
それは、前回の知事選でも見られたSNS上でのデマや歪曲情報の大量流布である。

SNSの特性上、

  • 断定的で
  • 感情を煽り
  • 分かりやすい敵味方構図

を持つ言説ほど、拡散されやすい。

そして実際には、事実関係が不正確であっても、斎藤知事に都合の良い言説が大量に流通する可能性は、今回も否定できない。

「正しい情報」は、必ずしも拡散で勝てるとは限らない

よくある誤解として、

正しい情報を出せば、最終的には勝てる

という考え方がある。

しかし、SNSの現実はそう単純ではない。

  • 正確な情報は
    • 長く
    • 前提知識が必要で
    • 読み手に思考を求める

一方、デマや歪曲情報は、

  • 短く
  • 刺激的で
  • 考えなくても理解した気になれる

このため、どれだけ正確な情報を出しても、物量で押し切られるリスクは常に存在する。

これは努力不足の問題ではなく、プラットフォームの構造的問題だ。

デマへの対抗策は「反論」ではなく「免疫」

ここで重要なのは、デマを一つひとつ論破し続けることではない。

なぜなら、

  • 反論が追いつかない
  • 論破しても新しいデマが生まれる
  • 結果として消耗戦になる

からだ。

必要なのは、県民一人ひとりが、歪曲された情報に惑わされにくくなる「免疫」を持つことである。

県民対話集会は「民主主義のワクチン」である

その免疫として、最も有効なのが県民対話集会だ。

県民対話集会では、

  • 編集も
  • 切り取りも
  • 都合の良い脚色も

介在しない。

県民が、

  • 自分の言葉で質問し
  • その質問に
  • 斎藤元彦本人がどう答えるのか

を、自分の目と耳で直接確認できる

ここに、SNSでは決して再現できない価値がある。

「直接見た経験」は、デマに強い

人は、

  • 誰かの解釈
  • 誰かの要約
  • 誰かの感想

よりも、

自分で見た・聞いた体験

を強く信頼する。

一度でも、

  • 県民の素朴な質問に
  • 丁寧に答えるのか
  • それとも記者会見と同じテンプレ回答を繰り返すのか

を目の当たりにすれば、その後に流れてくるSNS上の言説を、自然と批判的に見るようになる。

これこそが、最も健全で、最も強力なデマ対策である。

対話を避ける側こそが、不利になる

もし県民対話集会を避け続けるのであれば、

  • 「なぜ説明しないのか」
  • 「なぜ直接答えないのか」

という疑問は、より多くの県民に共有されていく。

これは攻撃ではない。
説明責任という民主主義の基本原則の話だ。

なぜ「県民対話集会」という提案は強いのか

私たちが求めているのは、攻撃ではない。

  • 本人が
  • 県民の前で
  • 知事の言葉で

説明する機会を設けることだ。

直接答えればいい
それを見て県民が判断すればいい

これは扇動でも対立でもなく、民主主義の基本動作である。

結論:選挙で問われるのは「姿勢」そのもの、デマに対抗する最善策は、公開された対話である

兵庫県知事選挙が行われた場合、

  • 反斎藤側は
    → ファクトと説明責任を軸に、王道で戦える
  • 斎藤支持側は
    → 印象操作や切り取りに依存せざるを得ない

これは思想の違いではない。
構造的な問題である。

だからこそ重要なのは、

コントロールできるのは
事実の提示と、自分自身の姿勢だけ

という一点だ。

そしてその姿勢こそが、選挙において最も信頼される「勝ち筋」なのである。

SNS上のデマや歪曲情報は、完全に防ぐことはできない。

しかし、

  • 県民が
  • 自分の判断軸を持ち
  • 自分で確かめる機会

を持てば、その影響力は大きく減衰する。

県民対話集会は、選挙戦術でも、政治的パフォーマンスでもない。

それは、

県民が、事実を自分で確かめるための
民主主義のワクチン

なのである。