県民局長の給与返還を求めるなら、県警にも同じ基準を ― 住民訴訟の「公平性」とは
兵庫県の内部告発問題を巡り、勤務中に私的文書を作成していたとして懲戒処分を受けた前県西播磨県民局長(昨年7月に死亡)の遺族が、勤務時間中の給与相当額として62万5000円を県に自主返納しました。
これは、県が返還を求めなかったことに対し、県内の住民が住民訴訟を提起したことを受けた対応です。
一方で、今回明らかになった兵庫県警外事課の警察官による勤務時間中の飲酒・パチンコ問題では、給与返還の議論はほとんど聞こえてきません。
この2つの事案を並べて考えたとき、**「法の下の平等」「住民訴訟の公平性」**という根本的な問題が浮かび上がります。
兵庫県警外事課の捜査員ら10人超を処分へ 勤務中に飲酒やパチンコ 県警の懲戒、過去最多に
https://news.yahoo.co.jp/articles/98909c8052eaf66880b078f2b9681beb54962a12(出典:神戸新聞 2025年12月22日)
目次
- 1 前県民局長の給与返還は、どんな理屈だったのか
- 2 では、県警外事課の警察官の行為はどうなのか
- 3 「勤務中に業務と無関係な行為」――構造は同じ
- 4 懲戒処分があれば、給与返還は不要なのか
- 5 住民訴訟は「誰を選ぶか」で信頼を失う
- 6 給与返還訴訟を起こすべきなのは、誰なのか
- 7 なぜ「同じ人」でなければならないのか
- 8 「別の人が起こせばいい」では済まない理由
- 9 一貫性を失った瞬間、住民訴訟は政治的になる
- 10 この事態は「当然、予測できた」はずのことだった
- 11 因果関係を考えない政治・支持の共通点
- 12 「想像できなかった」のではなく「考えていない」
- 13 結果として起きているのは「公平性の崩壊」
- 14 問われているのは「誰が悪いか」ではなく「同じ基準か」
前県民局長の給与返還は、どんな理屈だったのか
県は昨年5月、前県民局長について、
- 勤務時間中に
- 公用パソコンを使用し
- 業務と無関係な私的文書を作成
- その時間が約200時間に及ぶ
として、停職3か月の懲戒処分を行いました。
給与返還について県は
「正確な算定が困難」
として返還請求をしませんでしたが、
住民側は独自に算出し、**「勤務実態のない時間に給与が支払われたのは不当」**として提訴しました。
今回の遺族による自主返納は、この住民訴訟が長期化することを避けたいという判断によるものです。
では、県警外事課の警察官の行為はどうなのか
報道によれば、兵庫県警外事課の警部補や巡査部長ら約10人が、
- 勤務時間中に
- 業務とは認められない形で
- 居酒屋で飲酒
- パチンコ店で遊技
を繰り返していたとされています。
本人らは概ね事実関係を認めており、県警は「職務を怠り、信用を失墜させる行為」として、捜査員だけでなく監督責任のある上司も含め、処分を行う方針です。
「勤務中に業務と無関係な行為」――構造は同じ
ここで冷静に比較すると、両者の構造は極めて似ています。
| 項目 | 県民局長 | 県警外事課 |
|---|---|---|
| 勤務時間中 | ○ | ○ |
| 業務と無関係 | ○ | ○ |
| 組織の信用失墜 | ○ | ○ |
| 懲戒処分 | ○ | 予定 |
| 給与返還問題 | 提訴あり | 議論なし |
違うのは、立場や組織だけです。
もし
- 県民局長は給与返還を求める
- 警察官は求めない
という扱いになるのであれば、それは**「法の下の平等」に反するダブルスタンダード**と言わざるを得ません。
懲戒処分があれば、給与返還は不要なのか
「すでに懲戒処分を受けるのだから、給与返還まで求める必要はない」という意見もあります。
しかし、懲戒処分と給与返還は法的に別次元の問題です。
- 懲戒処分:組織秩序・規律の問題
- 給与返還:不当利得・公金支出の適正性の問題
実際、県民局長の件でも、懲戒処分があったにもかかわらず、給与返還が争点になりました。
同じ理屈を適用するなら、県警の事案でも「返還すべきか」が検討されなければ整合性が取れません。
住民訴訟は「誰を選ぶか」で信頼を失う
住民訴訟制度は、
- 個人攻撃のため
- 政治的立場の違いのため
に使われるものではありません。
本来は、公金支出の適正性をチェックするための制度です。
もし、声を上げやすい相手には厳しく、声を上げにくい相手には沈黙するのであれば、その時点で制度の正当性は失われます。
給与返還訴訟を起こすべきなのは、誰なのか
この点で重要なのは、**「誰が訴訟を起こせるか」ではなく、「誰が起こすべき立場にあるか」**です。
結論から言えば、前県民局長の給与返還を求めて住民訴訟を起こした人たちこそが、県警の警察官に対しても給与返還訴訟を起こすべき立場にあります。
理由は単純です。
なぜ「同じ人」でなければならないのか
前県民局長の件で住民訴訟を起こした人たちは、
- 勤務時間中に
- 業務と無関係な行為が行われ
- その時間分の給与が支払われたことは
- 公金の不適切な支出である
という明確な法的主張を掲げています。
この主張を採る以上、
「同じ構造の事案には、同じ問題意識を持つ」
という態度を取らなければ、論理が自己崩壊するからです。
「別の人が起こせばいい」では済まない理由
もちろん、制度上は別の住民が新たに訴訟を起こすことも可能です。
しかしそれでは、
- 県民局長の件 → 強く問題視する
- 県警の件 → 触れない、あるいは静観する
という形になり、
「誰を相手にするかで正義の基準が変わる」
という疑念を免れません。
住民訴訟は、問題意識の一貫性そのものが信頼の源泉です。
一貫性を失った瞬間、住民訴訟は政治的になる
もし、県民局長の件だけを追及し、県警の同様の事案を追及しないのであれば、
- 個人を狙い撃ちしたのではないか
- 政治的・感情的動機ではないか
- 組織の強弱で相手を選んでいるのではないか
という疑念が生じます。
それは、「公金の適正支出を監視する制度」から、「特定事案を攻撃する手段」へと変質したことを意味します。
この事態は「当然、予測できた」はずのことだった
前県民局長の給与返還を求める住民訴訟が起こされた時点で、同種事案への波及が生じることは、容易に想像できました。
なぜなら、住民訴訟で示された論理は、
- 勤務時間中に
- 業務と無関係な行為を行い
- その時間分の給与が支払われたのであれば
- 公金の不適切支出として返還を求めるべき
という、極めて一般化可能な基準だったからです。
この基準を一度でも採用すれば、同様の事案が発覚した際に、「なぜこちらは問わないのか」という問いが必ず生じます。
今回の県警外事課の事案は、まさにその帰結です。
因果関係を考えない政治・支持の共通点
この点で、斎藤知事本人と、斎藤知事を支持する人たちには、共通した特徴が見られます。
それは、
「何かをした結果、次に何が起こるか」という因果関係を想像しない
という点です。
- 告発文書を「誹謗中傷」と断じたら、何が起こるのか
- 通報者探索をしたら、組織にどんな不信が生まれるのか
- ある事案だけを厳しく扱ったら、他の事案との整合性はどうなるのか
こうした二手三手先の帰結を考えないまま、「その場を乗り切る判断」だけを積み重ねてきた結果が、今の混乱です。
「想像できなかった」のではなく「考えていない」
重要なのは、これは「予測不能な事態」ではなかったという点です。
むしろ、
- 想像できなかったのではなく
- 想像しようとしていなかった
- あるいは、都合の悪い結果を見ないようにしていた
と言うべきでしょう。
県民局長の給与返還を問題にした瞬間、同じ論理が警察組織や他の職員にも向かうことは、法治国家であれば当然の流れです。
それを想定せずに一線を越えた時点で、すでにコントロール不能な問題を自ら作り出していたのです。
結果として起きているのは「公平性の崩壊」
その結果、今、県政では次のような疑念が広がっています。
- なぜこの人は追及され、あの人は追及されないのか
- 誰が基準を決めているのか
- その基準は、いつでも誰にでも適用されるのか
これは個別事案の問題ではなく、県政全体の信頼性の問題です。
因果関係を考えずに行動する政治は、必ず後になって、より大きな混乱として跳ね返ってきます。
今回の一連の問題は、その典型例と言えるでしょう。
問われているのは「誰が悪いか」ではなく「同じ基準か」
この問題の本質は、誰がより悪質か、誰を処罰すべきか、という感情論ではありません。
問われているのは、
- 同じ行為に
- 同じ基準が
- 同じように適用されているのか
という一点です。
県民局長の給与返還を問題にするのであれば、県警の警察官についても、同じ基準で給与返還の是非が検討されるべきです。
それがなされなければ、「公平性」という言葉そのものが空虚になってしまいます。
ルールを適用するなら、その先に起こることまで含めて責任を持つ。
それができないのであれば、最初から「公平性」や「正義」という言葉を使うべきではありません。






