情報漏洩直後に“平常運転”SNS投稿──危機管理意識ゼロの県政トップ
目次
情報漏洩後も「平常運転」のSNS投稿
2025年10月下旬、兵庫県で重大な情報漏洩が発生しました。
通常であれば、トップ自らが緊急記者会見を開き、被害範囲・原因・再発防止策を説明するのが当然です。
しかし、斎藤元彦知事は、記者から質問を受けるまで沈黙。
その後も、まるで何事もなかったかのように「セラピーバイク体験」のSNS投稿を続けました。
フィールドパビリオンin西播磨①/宍粟市波賀町でセラピーバイクを体験しました。静かな林間を進むと、鳥のさえずりと川のせせらぎが心地よく響き、eバイクのペダルを漕ぐたび、都会の喧騒やストレスが心身から洗い流されていきます。森林王国と呼ばれる宍粟市には、キャンプやカヌーなどのアウトドア、… pic.twitter.com/NJoXszqFit
— 兵庫県知事 さいとう元彦 (@motohikosaitoH) October 30, 2025
この文面だけ見れば観光プロモーションですが、情報漏洩への対応を求める県民にとっては、「現実逃避」「説明責任放棄」と受け取られても仕方がありません。
危機管理の基本が欠落
行政トップとしての初動対応には、3つの柱があります。
- 速やかな公表と謝罪
- 原因の究明と再発防止策の提示
- 被害者への誠実な説明
ところが、今回の知事対応にはこのどれもが見られません。
企業であれば、即日謝罪会見・専用窓口設置が当然の流れ。
それを怠り、通常投稿を優先する姿勢は、県民の信頼よりも自己イメージを守ることを優先したと捉えられます。
「意図的な話題逸らし」か「無自覚な鈍感さ」か
この行動には2つの可能性があります。
- (1) 意図的な印象操作
 批判をかわすため、観光や環境などポジティブな話題でタイムラインを埋める。
 これは政治的に計算された「火消し型PR」とも言えます。
- (2) 危機意識の欠如
 情報漏洩の重大性を理解せず、スケジュール通りの広報を続けている。
 この場合は本人だけでなく、周囲のブレーンや県庁広報体制の劣化も深刻です。
いずれにせよ、いま必要なのは「心を癒す風景」ではなく、「県民に誠実に説明する姿勢」です。
県民に伝えるべきは「責任」と「誠実さ」
このような投稿が続くと、県民の受け止め方は次第に冷ややかになります。
- 「現実逃避している」
- 「危機感がない」
- 「自分の責任を認めない」
県民が求めているのは、観光案内ではなく信頼回復の言葉です。
どれほどの美しい森林や紅葉を紹介しても、行政トップの誠実さが見えなければ、誰の心にも響きません。
説明責任を果たすことが最大の危機対応
このようなSNS投稿には「小学生が友達を怪我させた後に話を逸らすようだ」と感じた方も少なくないでしょう。
しかし、これは単なる感情論ではなく、ガバナンスの根幹に関わる問題です。
説明責任を怠り、形だけの広報を優先する姿勢こそが、組織の信頼を最も蝕みます。
真に県民の信頼を取り戻すためには、SNS投稿よりも、まず「謝罪」と「説明」が先に来るべきです。
相次ぐ不祥事に共通する不自然なパターン
説明責任を拒み続ける県政トップ
公益通報者保護法違反、パワハラ認定、公職選挙法違反容疑、個人情報漏洩──
いずれも行政の信頼を根本から揺るがす深刻な問題です。
しかし、斎藤元彦知事の発言を時系列で追うと、共通する不自然なパターンが浮かび上がります。
各問題への知事の発言とその異常性
公益通報者保護法違反:「対応は適切」
第三者委員会が「通報者探索に該当する」と明確に指摘したにもかかわらず、
知事は「適切に対応した」と主張。
法的根拠を示さずに“適切”と断言する態度は、ガバナンスの軽視に他なりません。
パワハラ認定:「襟を正せば問題なし」
県職員が1件でもパワハラを行えば懲戒処分となるのに、知事自身は10件のパワハラを認定されても処分なし。
「襟を正せば良い」という自己弁護は、行政組織の規律を根本から崩壊させます。
公職選挙法違反容疑:「適法の認識に変わりはない」
代理人弁護士に任せ、「適法との認識に変わりはない」と述べるのみ。
説明責任を代理人に丸投げし、政治家本人としての見解を示していません。
これでは県民に対する説明義務を果たしているとは到底言えません。
元県民局長の私的情報漏洩:「指示した認識は無い」
元県民局長が私的に作成した文書の漏洩問題でも、第三者委員会は「知事の指示の可能性が高い」と認定しましたが、知事は「指示した認識は無い」と発言。
しかし、知事の下で起きた情報漏洩である以上、管理責任の所在は知事にあります。
自らの組織の不祥事に対して「自分は知らなかった」と言い切る姿勢は、責任者としての資質を疑わせます。
はばタンPay+の情報漏洩:「業者名を公表」
システム委託業者の名を公表し、まるで責任を押し付けるかのような対応。
本来、発注者である県の監督責任が問われるべきところを、業者をスケープゴートにする発言は極めて不誠実です。
この対応により、SNS上では委託先への誹謗中傷まで発生しています。
共通する3つの特徴
これらの事例から、斎藤知事の危機対応には以下の3点が共通しています。
- 「自分の責任ではない」という構図づくり
 あらゆる問題で「認識は無い」「適切に対応した」と発言。
 責任を第三者や組織に転嫁し、自らの行動を省みない。
- 「説明よりも印象操作」
 問題直後でも、観光PRやポジティブな投稿を優先。
 県政の危機を“なかったこと”にしようとする。
- 「組織規律の崩壊」
 トップが処分を受けないまま、「襟を正す」で済ませる。
 これにより、県庁内でのモラル低下や忖度体質が加速する。
なぜ「不自然で異常」と言えるのか
民主主義社会における公職者の最大の義務は、説明責任と信頼回復です。
しかし、斎藤知事の場合、「説明しないこと」が常態化しており、それを正当化するために、形式的な発言や印象操作を繰り返しています。
これはもはや単なる失言や判断ミスではなく、統治者としての機能不全・説明責任放棄の常態化と言わざるを得ません。
県民が問うべきこと
「指示していない」「認識がない」「適切に対応した」
──この3つの言葉で、どれほどの不祥事がうやむやにされてきたでしょうか。
今こそ県民は、
『説明責任を果たさない知事に、行政を任せてよいのか』
という根源的な問いを突き付けるべき時です。





