大規模災害時に「現場を離れる知事」で本当に大丈夫なのか――支持・不支持を超えて、県民として考えてほしいこと

2025年12月22日

これは思想や好き嫌いの話ではありません

この記事は、斎藤元彦知事を支持しているか、批判しているかを問うものではありません。

県民として、命と生活を預ける立場の人間として、本当にこの知事で大規模災害に耐えられるのか

その一点を、冷静に考えるための問題提起です。

危機が重なる中で見えた「知事の行動」

2025年12月、兵庫県では同時に複数の深刻な事態が起きています。

  • 鳥インフルエンザ発生により、
    県職員が24時間体制で殺処分・防疫対応
  • 播磨地域を中心に、
    牡蠣養殖がほぼ壊滅的な状況
  • 県政全体で、
    情報漏洩問題が繰り返し発生

こうした中、子守康範さんが独自に県職員などから得ている「コモリークス」によれば、

斎藤知事は、12月17日の定例会見後、13時30分には県庁を後にし帰宅した
とされています。

問題は「帰宅」そのものではありません

ここで重要なのは、「何時に帰ったか」ではありません。

問題の本質は、

危機対応の最中でも、
知事自身が現場との緊張感を共有し続ける姿勢が見えない

という点です。

現場では、

  • 職員が夜を徹して作業している
  • 殺処分と言う、生き物の命を絶つ極めてストレスの高い作業をしている
  • 生業を失いかけている養殖業者がいる
  • 情報漏洩により、県民の信頼が揺らいでいる

その中で、トップが早々に現場を離れる。

この行動が県民に与える印象は、決して小さくありません。

牡蠣養殖業者への対応が示した「危機対応の欠落」

危機対応において、もう一つ看過できない行動があります。

牡蠣養殖の深刻な被害を受けた養殖業者が、知事に支援を要請するため県庁へ向かっていたにもかかわらず、知事が出先で抗議を受けたことに激怒し、その業者を帰らせてしまったとされています。

もしこれが事実であれば、これは単なる「対応のまずさ」では済まされません。

県民が不安を覚えるのは、ここです

この対応が県民に与える印象は、非常に深刻です。

  • 命や生活がかかった現場の声よりも
  • 自身への抗議や不快感が優先されたのではないか
  • 感情が先に立ち、冷静な危機対応ができていないのではないか

という疑念を生むからです。

牡蠣養殖業者にとって、支援要請は「お願い」ではなく、生業と生活がかかった切実な行動です。

その声を直接聞く機会を、知事自身の感情によって断ってしまったのであれば、県民としては強い不安を覚えざるを得ません。

「もし大規模災害が起きたら」という県民の不安

ここで、多くの県民が自然に思うことがあります。

地震や豪雨などの大規模災害が起きた時も、
この知事は現場を職員に任せて帰宅するのではないか

これは意地悪な想像ではありません。これまでの行動から、合理的に生じる不安です。

災害対応で重要なのは、

  • 完璧な指示よりも
  • 立派なスローガンよりも

「トップが現場と同じ覚悟を示しているか」本当に困っている人に寄り添えるか

という点です。

避難所は「不満が噴き出す場所」になる

大規模災害が起きた時、避難所生活は決して理想的なものではありません。

  • プライバシーの欠如
  • 寝不足
  • 食事やトイレへの不満
  • 情報が入らない不安
  • 支援の遅れへの苛立ち

こうした状況が重なると、不満や怒りは必ず溜まっていきます。

これは県民のわがままではなく、極限状態に置かれた人間として、極めて自然な反応です。

その不満は、必ず「トップ」に向かう

避難所で溜まった不満や怒りは、やがて矛先を探します。

そして最終的に向かうのは、

  • 現場職員
    ではなく
  • 行政のトップ

です。

「知事は何をしているんだ」
「本当に分かっているのか」
「現場を見に来ないのか」

これは、過去のあらゆる災害で繰り返されてきた光景です。

問われるのは「冷静に受け止め続けられるか」

ここで県民が不安に思うのは、政策や制度以前の、もっと根本的な点です。

強い不満や批判を、
感情的にならずに受け止め続けられるのか

これまで見えてきた斎藤知事の行動から、県民はこうした不安を抱いています。

  • 抗議を受けると、感情が先に立つ
  • 不快な場面から距離を取る傾向がある
  • 当事者の声よりも、自身への反応を気にするように見える

もしこれが、避難所という極限状態で起きたらどうなるのか。

「現場を放棄しないか」という不安

県民が心配しているのは、

その不満や批判を受けて、
現場から距離を置いてしまうのではないか

という点です。

避難所で、怒りや悲しみをぶつけられる場面は必ずあります。

その時に、

  • 職員に任せて引いてしまう
  • 「今日はここまで」と場を離れてしまう

そうした行動を想像してしまうこと自体が、すでに県政のリスクです。

災害対応で最も重要なのは「逃げない姿勢」

災害対応において、トップに求められる資質は、決して完璧さではありません。

  • 正しい判断ができなくても
  • すべての不満に答えられなくても

逃げずに、そこに居続け、少しでも状況を改善しようとしていること

これだけで、被災者の受け止め方は大きく変わります。

逆に言えば、
トップが感情的になり、現場を離れてしまうと――

その瞬間に、行政への信頼は一気に崩れます。

知事の役割は「説明」ではなく「覚悟の可視化」

知事はよく、

  • 「適切に対応している」
  • 「真摯に受け止めている」
  • 「関係者と連携している」

と説明します。

しかし、非常時に県民が求めているのは、言葉ではなく、行動で示される覚悟です。

  • 夜遅くまで庁舎に残る
  • 現場の状況を自分の目で確認する
  • 職員と同じ緊張感の中に身を置く

それだけで、現場の士気も、県民の安心感も、まったく違ってきます。

支持している人にこそ考えてほしい

斎藤知事を支持している方に、特に伝えたいのはここです。

この問題は、

  • 「反対派の批判」でも
  • 「揚げ足取り」でもありません。

あなた自身や、あなたの家族が被災した時の話です。

  • 避難所で不安な夜を過ごす時
  • 行政の判断を一刻も早く待っている時

その時、トップが現場を離れて帰宅している姿を想像して、安心できますか?

「たまたま」「揚げ足取り」では説明できない理由

斎藤知事の支持者の中には、
今回の件について

「たまたまあったことを切り取った揚げ足取りだ」

と受け止める方もいるかもしれません。

しかし、県民として冷静に見れば、これは偶然の行動ではありません。

行動が繰り返されると、それは「性格」ではなく「習慣」になる

心理学や組織論では、**同じ場面で同じ行動を繰り返す場合、それは「心の習慣」**と考えられます。

斎藤知事の行動を振り返ると、共通点があります。

  • 危機や批判に直面したとき
  • 自分にとって不快な状況になったとき
  • 感情が刺激されたとき

その場から距離を取る
説明を最小限にする
現場や当事者の声を遮断する

こうした行動が、一度ではなく、何度も繰り返されているのです。

偶然なら「次は違う行動」が見られるはず

本当に「たまたま」なら、

  • 次は現場に残る
  • 次は当事者の声を直接聞く
  • 次は感情を抑えて対応する

といった修正された行動が見られるはずです。

しかし現実には、

  • 危機が起きても現場から距離を取る
  • 抗議を受けると感情的に反応する
  • 問題の本質よりも、自身への評価を優先する

という行動が、形を変えながら繰り返されています。

これは偶然ではありません。
意思決定のクセ、心の反射行動です。

県民が問題にしているのは「人柄」ではない

重要なのは、県民が問題にしているのは人格批判ではないという点です。

問われているのは、

非常時に、
感情よりも責任を優先できるか
不快よりも当事者の声を優先できるか

という、トップとしての危機対応能力です。

心の習慣は、平時には見えにくいですが、緊急事態では必ず表に出ます。

だから「たまたま」では済まされない

もしこれが単なる偶然なら、県民はここまで不安を感じていません。

不安が広がるのは、

「次も同じことが起きる」と予測できてしまう

からです。

それこそが、行動が「習慣」であることの何よりの証拠です。

県民にとっての「最悪のリスク」とは

県民にとって最大のリスクは、

  • 判断ミスをする知事
    ではなく、
  • 危機の最中に、当事者であることをやめてしまう知事

です。

支持・不支持を超えて、「この人に非常時を任せられるのか」

それを問い続けることは、県民として、ごく自然で、健全な行為だと思います。

今回の行動から、斎藤知事は、大規模災害が起きた時に、現場に留まり続けるとは思えない事実が発覚しました。

元県民局長の名誉回復もしない。竹内県議が亡くなった誹謗中傷も具体的に止めようとはしない。

斎藤知事は、立場がどうであれ、県民の命を本気で守ろうとはしていないように見えます。

本当に、斎藤知事に県民の命を預けることが出来るのかを問いたい。