大規模災害時に「現場を離れる知事」で本当に大丈夫なのか――支持・不支持を超えて、県民として考えてほしいこと
目次
- 1 これは思想や好き嫌いの話ではありません
- 2 危機が重なる中で見えた「知事の行動」
- 3 問題は「帰宅」そのものではありません
- 4 牡蠣養殖業者への対応が示した「危機対応の欠落」
- 5 県民が不安を覚えるのは、ここです
- 6 「もし大規模災害が起きたら」という県民の不安
- 7 知事の役割は「説明」ではなく「覚悟の可視化」
- 8 支持している人にこそ考えてほしい
- 9 「たまたま」「揚げ足取り」では説明できない理由
- 10 行動が繰り返されると、それは「性格」ではなく「習慣」になる
- 11 偶然なら「次は違う行動」が見られるはず
- 12 県民が問題にしているのは「人柄」ではない
- 13 だから「たまたま」では済まされない
- 14 県民にとっての「最悪のリスク」とは
これは思想や好き嫌いの話ではありません
この記事は、斎藤元彦知事を支持しているか、批判しているかを問うものではありません。
県民として、命と生活を預ける立場の人間として、本当にこの知事で大規模災害に耐えられるのか
その一点を、冷静に考えるための問題提起です。
危機が重なる中で見えた「知事の行動」
2024年12月、兵庫県では同時に複数の深刻な事態が起きています。
- 鳥インフルエンザ発生により、
県職員が24時間体制で殺処分・防疫対応 - 播磨地域を中心に、
牡蠣養殖がほぼ壊滅的な状況 - 県政全体で、
情報漏洩問題が繰り返し発生
こうした中、子守康範さんが独自に県職員などから得ている「コモリークス」によれば、
斎藤知事は、12月17日の定例会見後、13時30分には県庁を後にし帰宅した
とされています。
問題は「帰宅」そのものではありません
ここで重要なのは、「何時に帰ったか」ではありません。
問題の本質は、
危機対応の最中でも、
知事自身が現場との緊張感を共有し続ける姿勢が見えない
という点です。
現場では、
- 職員が夜を徹して作業している
- 生業を失いかけている養殖業者がいる
- 情報漏洩により、県民の信頼が揺らいでいる
その中で、トップが早々に現場を離れる。
この行動が県民に与える印象は、決して小さくありません。
牡蠣養殖業者への対応が示した「危機対応の欠落」
危機対応において、もう一つ看過できない行動があります。
牡蠣養殖の深刻な被害を受けた養殖業者が、知事に支援を要請するため県庁へ向かっていたにもかかわらず、知事が出先で抗議を受けたことに激怒し、その業者を帰らせてしまったとされています。
もしこれが事実であれば、これは単なる「対応のまずさ」では済まされません。
県民が不安を覚えるのは、ここです
この対応が県民に与える印象は、非常に深刻です。
- 命や生活がかかった現場の声よりも
- 自身への抗議や不快感が優先されたのではないか
- 感情が先に立ち、冷静な危機対応ができていないのではないか
という疑念を生むからです。
牡蠣養殖業者にとって、支援要請は「お願い」ではなく、生業と生活がかかった切実な行動です。
その声を直接聞く機会を、知事自身の感情によって断ってしまったのであれば、県民としては強い不安を覚えざるを得ません。
「もし大規模災害が起きたら」という県民の不安
ここで、多くの県民が自然に思うことがあります。
地震や豪雨などの大規模災害が起きた時も、
この知事は現場を職員に任せて帰宅するのではないか
これは意地悪な想像ではありません。これまでの行動から、合理的に生じる不安です。
災害対応で重要なのは、
- 完璧な指示よりも
- 立派なスローガンよりも
「トップが現場と同じ覚悟を示しているか」
という一点です。
知事の役割は「説明」ではなく「覚悟の可視化」
知事はよく、
- 「適切に対応している」
- 「真摯に受け止めている」
- 「関係者と連携している」
と説明します。
しかし、非常時に県民が求めているのは、言葉ではなく、行動で示される覚悟です。
- 夜遅くまで庁舎に残る
- 現場の状況を自分の目で確認する
- 職員と同じ緊張感の中に身を置く
それだけで、現場の士気も、県民の安心感も、まったく違ってきます。
支持している人にこそ考えてほしい
斎藤知事を支持している方に、特に伝えたいのはここです。
この問題は、
- 「反対派の批判」でも
- 「揚げ足取り」でもありません。
あなた自身や、あなたの家族が被災した時の話です。
- 避難所で不安な夜を過ごす時
- 行政の判断を一刻も早く待っている時
その時、トップが現場を離れている姿を想像して、安心できますか?
「たまたま」「揚げ足取り」では説明できない理由
斎藤知事の支持者の中には、
今回の件について
「たまたまあったことを切り取った揚げ足取りだ」
と受け止める方もいるかもしれません。
しかし、県民として冷静に見れば、これは偶然の行動ではありません。
行動が繰り返されると、それは「性格」ではなく「習慣」になる
心理学や組織論では、
**同じ場面で同じ行動を繰り返す場合、それは「心の習慣」**と考えられます。
斎藤知事の行動を振り返ると、共通点があります。
- 危機や批判に直面したとき
- 自分にとって不快な状況になったとき
- 感情が刺激されたとき
その場から距離を取る
説明を最小限にする
現場や当事者の声を遮断する
こうした行動が、一度ではなく、何度も繰り返されているのです。
偶然なら「次は違う行動」が見られるはず
本当に「たまたま」なら、
- 次は現場に残る
- 次は当事者の声を直接聞く
- 次は感情を抑えて対応する
といった修正された行動が見られるはずです。
しかし現実には、
- 危機が起きても現場から距離を取る
- 抗議を受けると感情的に反応する
- 問題の本質よりも、自身への評価を優先する
という行動が、形を変えながら繰り返されています。
これは偶然ではありません。
意思決定のクセ、心の反射行動です。
県民が問題にしているのは「人柄」ではない
重要なのは、県民が問題にしているのは人格批判ではないという点です。
問われているのは、
非常時に、
感情よりも責任を優先できるか
不快よりも当事者の声を優先できるか
という、トップとしての危機対応能力です。
心の習慣は、平時には見えにくいですが、緊急事態では必ず表に出ます。
だから「たまたま」では済まされない
もしこれが単なる偶然なら、県民はここまで不安を感じていません。
不安が広がるのは、
「次も同じことが起きる」と予測できてしまう
からです。
それこそが、行動が「習慣」であることの何よりの証拠です。
県民にとっての「最悪のリスク」とは
県民にとって最大のリスクは、
- 判断ミスをする知事
ではなく、 - 危機の最中に、当事者であることをやめてしまう知事
です。
支持・不支持を超えて、「この人に非常時を任せられるのか」
それを問い続けることは、県民として、ごく自然で、健全な行為だと思います。





