「怪文書だから公益通報ではない」は成り立つのか―兵庫県の不開示決定が示した決定的事実

兵庫県の文書問題をめぐり、斎藤知事の支持者の間では「元県民局長の文書は怪文書だから、公益通報者ではない」という主張が繰り返されています。

しかし、この主張は事実と法の両面から見て成り立ちません
そのことを示す、極めて重要な行政文書が存在します。

兵庫県自身が示した「不開示決定」の内容

兵庫県は、元県民局長の告発文書について、

  • 虚偽であること
  • 公益通報に該当しないこと
  • 不正の目的でばら撒かれたこと
  • 企業や県職員の名誉を棄損したこと

これらを証明する公文書の開示請求の内容がXに公開されました。

その結果、兵庫県が出した公式な結論は次の通りです。

「公開請求に係る公文書については、作成していないため、保有していない。」

これは非常に重要な意味を持ちます。

「怪文書」と断定する証拠を兵庫県は持っていない

この不開示決定が意味する事実は明確です。

兵庫県は、

  • 元県民局長の文書が虚偽である
  • 公益通報に該当しない
  • 不正目的である

これらを立証するための公文書を、一切作成していないということを、公式に認めています。

つまり、

「怪文書だ」と断定できるだけの
客観的・公式な証拠は存在しない

という状態です。

公益通報者保護法は「怪文書かどうか」で判断しない

もそも、公益通報者保護法において重要なのは、

  • 文書の解釈
  • 感情的な評価
  • 政治的な立場

ではありません。

判断基準は、

  1. 違法・不当行為に関する通報か
  2. 通報対象事実があること(またはあると信じるに足りる相当の理由)
  3. 不正の目的でないこと
  4. 労働者等であること
  5. 定められた通報先へ通報すること

です。

「怪文書」という言葉は、法律上の判断基準には存在しません。

「立証できない」ことの意味

法の世界では、次の点が極めて重要です。

  • 虚偽であると主張する側が
  • それを立証する責任を負う

しかし今回、兵庫県自身が「その立証資料は存在しない」と公式に回答しています。

これは、

「怪文書だから公益通報ではない」
という主張を裏付ける根拠が存在しない

ことを意味します。

第三者委員会の違法認定との整合性

第三者委員会が、兵庫県の対応について公益通報者保護法違反を認定したのは、以下の通りです。

  • 文書が虚偽であると立証されていないにもかかわらず
  • 通報者探索や不利益取扱いが行われた

この構造そのものが、法の趣旨に反しているからです。

「怪文書論」は事実ではなくレッテル貼り

以上を踏まえると、結論は明確です。

兵庫県自身が、元県民局長の文書を
「虚偽」「不正目的」「公益通報に該当しない」と
立証する公文書を一切保有していない

にもかかわらず
「怪文書だから公益通報ではない」と主張するのは、
事実でも法でもなく、単なるレッテル貼りにすぎない。

事実が示されても認識を改めないということ

兵庫県自身が、元県民局長の告発文書を「虚偽」「不正目的」「公益通報に該当しない」と立証する公文書を保有していないことが明らかになりました。

それにもかかわらず、なお「怪文書だから公益通報ではない」と言い続ける態度は、もはや評価の問題になります。

事実認識と解釈を区別できているか

社会で冷静な判断を行うために必要なのは、

  • 新たな事実が示されたときに
  • それまでの認識や解釈を
  • 必要に応じて修正できるか

という姿勢です。

事実が更新されても解釈を一切変えない場合、それは「意見」ではなく、固定化された信念に近づきます。

「怪文書」という言葉の使い方が示すもの

「怪文書」という表現は、法的概念ではありません。
それは評価語であり、レッテルです。

公式文書に基づく事実が示された後も、そのレッテルを外さず使い続ける行為は、

  • 事実よりも感情や立場を優先している
  • 証拠の有無ではなく結論を先に決めている

と受け取られても不思議ではありません。

認知の柔軟性は民主主義の基盤

民主主義社会では、

  • 誰もが間違う可能性がある
  • 新しい情報によって判断が変わることがある

この前提が不可欠です。

事実が示されてもなお、同じ主張を繰り返す態度は、

事実を正確に把握する能力に疑問を持たれる
自分の解釈を修正できない人と評価される

という社会的リスクを伴います。

問われているのは立場ではなく姿勢

この問題で問われているのは、

  • 斎藤知事を支持するかどうか
  • どの陣営に属するか

ではありません。

事実が示されたときに、それをどう受け止め、どう判断を更新するか

その姿勢こそが、成熟した市民としての信頼を左右します。

おわりに

この問題の本質は、
「誰を信じるか」
「どちらの陣営か」
ではありません。

行政が、法に基づいた説明と証拠を示しているか
それだけです。

そして現時点で示されている公式文書は、「怪文書論」を支える根拠が存在しないことを、はっきりと示しています。