定例会見時間変更の理由は「印象操作」? 教育現場を盾にした斎藤知事の責任転嫁体質
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定例会見時間変更の理由は「教育現場からの申し入れ」?
2025年10月29日のMBS NEWSによると、
兵庫県の斎藤元彦知事は、定例記者会見の時間を変更した理由として、
「10月10日に、ひょうご県民連合の小西宏典県議と自民党の伊藤栄介県議から、(29日は近くの小学校で)音楽会があるので、定例記者会見の時間帯や日時について変更してほしい旨の申し入れがあった。20日に市の教育委員会から、同様の要請があった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/95389dc0b27b8b0c8d453a1b8ba2c3ee0f845c31(出典:MBS NEWS)
表向きは「教育現場への配慮」ですが、実際には記者会見時に行われる抗議活動を理由とした印象操作ではないかとの見方が広がっています。
抗議活動を「悪」と見せる印象操作
抗議活動が行われているのは、斎藤知事の県政運営に対する県民の不満や不信が原因です。
しかし、知事は「抗議活動が小学校の音楽会に悪影響を及ぼす」との説明を用いることで、抗議する側に問題があるかのように印象づけています。
この説明は、「教育現場を盾にして自らへの批判をかわす」構図です。
教育現場への配慮というより、批判回避の政治的演出と言えるでしょう。
根本原因は「抗議を招く県政運営」にあり
抗議が発生する背景には、以下のような県政の不信があります。
- 公益通報者保護法違反
- はばタンPay+の個人情報漏洩
- パワハラ認定後の不誠実な対応
- SNS運用や情報管理の不備
- 元県民局長の私的情報漏洩
- 公職選挙法違反
これらはいずれも、知事自身のリーダーシップや説明責任の欠如が招いた問題です。
それにもかかわらず、知事は「抗議活動が問題」と語り、自らの責任を一切認めようとしません。
告発文書を「嘘八百」と断じた時と同根の構図
斎藤知事は過去にも、元県民局長の告発文書について、
「誹謗中傷性が高い」「嘘八百」「公務員失格」
と発言し、内部告発を攻撃しました。
このときも「自分に非はない」「周囲が悪い」とする態度を示しており、
今回の会見時間変更理由の説明と全く同じ思考パターンです。
自己正当化バイアスが県政を劣化させる
斎藤知事の発言や対応から一貫して見えるのは、
「自分は常に正しい」
「問題を起こすのは周囲の人間」
という自己正当化バイアスです。
この思考が続けば、
- 批判に耳を貸さない県政
- 説明責任の軽視
- 職員のモチベーション低下
- 県民の信頼喪失
という悪循環が進行します。
もはや、問題の本質は「抗議活動の有無」ではなく、抗議を生む政治姿勢そのものにあると言えるでしょう。
責任転嫁を続ける限り信頼は戻らない
| 観点 | 行動・発言 | 問題点 | 
|---|---|---|
| 会見変更理由 | 「教育現場への配慮」 | 教育を盾にした印象操作 | 
| 抗議への対応 | 「抗議が悪影響を与えている」 | 原因を直視せず他者へ転嫁 | 
| 告発文書対応 | 「嘘八百」「誹謗中傷」 | 内部通報を攻撃し責任逃れ | 
| 心理的傾向 | 「自分は常に正しい」 | 自己正当化バイアスによる組織劣化 | 
抗議が起こるのは、県民が声を上げなければならないほど説明責任が果たされていないからです。
「抗議活動が悪い」という印象操作で問題を覆い隠しても、県政への信頼は回復しません。
今こそ、斎藤知事自身が**「なぜ抗議されるのか」**という根本原因に向き合うべき時です。
「責任転嫁型リーダー」の心理構造
人が批判を受けた時にどのように反応するかは、人格の成熟度を大きく反映します。
成熟した人間であれば、批判を受けた時に――
- 一度立ち止まり、他者の視点で状況を見直す
- 自分の行動を検証し、改善策を考える
という「内省(リフレクション)」のプロセスを経ます。
一方、斎藤知事のように、
- 「誹謗中傷だ」「嘘八百だ」「抗議活動が悪い」
 といった反応を繰り返す人物は、**自己防衛的帰属(self-serving bias)**に支配されています。
 つまり、
成功は自分の能力のおかげ、失敗は他人のせい
と考える思考パターンです。
この傾向が強い人は、現実を冷静に受け止める力が弱く、批判や失敗を「自分への攻撃」と感じてしまうため、感情的・防御的な対応に走ります。
幼稚さの本質は「自己と他者の境界の未成熟」
心理学的に見ると、こうした態度は人格の発達段階が未成熟な状態にあることを示します。
発達心理学では、人間の成熟は「自己と他者を分けて理解できるようになること」で測られます。
未成熟な人は、
- 自分の失敗を指摘されると「攻撃された」と感じる
- 自分が批判されると「相手を攻撃し返す」
- 他者の感情や立場に共感できない
といった特徴を示します。
このような行動は、政治家であればなおさら致命的です。
なぜなら、政治とは他者との対話と合意形成の連続であり、自己中心的な防衛反応は信頼関係の破壊に直結するからです。
政治家としての未熟さ:リーダーではなく「自己防衛者」
斎藤知事の一連の言動(会見中止の理由説明、内部告発者への攻撃、抗議者への責任転嫁)は、政治家として必要な「対話力」や「共感力」よりも、“自己防衛力”ばかりが発達した幼児的リーダー像を映し出しています。
成熟した政治家であれば、
「抗議があるのは、県政に課題があるからだ」
と受け止め、相手の意見を汲み取りながら再発防止や信頼回復に努めます。
しかし、斎藤知事はその逆で、
「抗議がある=自分への不当な攻撃」
と捉え、批判者を排除する方向に行動しています。
これはリーダーというより、**“批判を怖れる小心者の防衛反応”**です。
人間的未熟さが組織を腐らせる
リーダーが自分の非を認められない組織では、部下も同様に「責任を取らない」姿勢が蔓延します。
つまり、
トップの未熟さが、組織全体の腐敗を引き起こすのです。
その結果、
- ミスを報告しない
- 不正を見逃す
- 内部告発を抑圧する
 といった**「沈黙の文化」**が形成されます。
斎藤知事の兵庫県庁で起きている現象(情報漏洩・通報者攻撃・会見中止)は、まさにこの「沈黙の文化」の典型的な末期症状です。
未熟なリーダーほど「自分を正当化」する
斎藤知事のような行動パターンの人物は、
他者を責めることでしか自己を保てない心理的未成熟さを抱えています。
それは政治的問題というよりも、人間的未熟さの問題です。
本来の成熟したリーダーとは――
批判を糧に成長し、責任を引き受け、他者の声に耳を傾ける存在。
斎藤知事の現状は、その真逆を行っていると言わざるを得ません。





