「個人アカウント」では済まされない-兵庫県知事を名乗るInstagramアカウントの「いいね」が問いかけるもの
目次
「違法かどうか」ではなく、「ふさわしいかどうか」
SNS上で、兵庫県知事を名乗るInstagramアカウントが、性的演出を伴うステージパフォーマンス動画に「いいね」をしていたことが話題になっている。
まず確認しておきたいのは、この行為が直ちに違法だとは言えないという点だ。
公職選挙法や地方自治法に、SNS上の「いいね」を直接禁止する規定は存在しない。
しかし、今回問われているのは違法性の有無ではない。
問題の本質は、
「兵庫県知事」と名乗るアカウントで行われた行為として、
公人としてふさわしいものだったのか
という点にある。
自ら「公人性」を引き受けているアカウント
問題のInstagramアカウントは、プロフィール欄で明確に
「兵庫県知事のさいとう元彦です」
と自己紹介している。
さらに、認証済みアカウントであり、県政や街頭演説、公的活動に関する投稿も行っている。
これは単なる「完全な私的アカウント」ではない。
- 公職名を名乗っている
- 県政・政治活動の発信に使用している
- 公的イメージの形成を前提に運用されている
以上を踏まえると、このアカウントは
私的要素を含みつつも、公的人格を強く帯びた空間だと言える。
「いいね」を押した動画の性質
今回「いいね」が付けられていた動画は、
- 性的演出を前面に出したステージパフォーマンス
- パフォーマーが意識を失い倒れ込む場面を含む映像
であると受け取られている。
表現の自由があることは当然だが、
同時に、
- 身体的安全
- 女性の表象
- エンタメにおける人権配慮
といった観点から、賛否が分かれる内容でもある。
行政トップという立場との緊張関係
兵庫県知事は、単なる一個人ではない。
- 若者施策
- 女性政策
- ジェンダー平等
- 労働環境・安全配慮
- 人権尊重
これらについて、行政の最終的な方向性を示す立場にある。
その知事が、
性的に消費され、倒れ込む映像に対して
無批判に「いいね」を付けた
と受け取られる行為を行えば、
- 県政で語ってきた理念と整合するのか
- 若者や未成年が見たらどう感じるか
- 女性施策をどう受け止めればよいのか
といった疑問が生じるのは、自然なことだ。
「個人アカウントだから」は通用するのか
よくある反論に、
「個人のアカウントなのだから問題ない」
というものがある。
しかし、この理屈は今回のケースでは成立しにくい。
なぜなら、
- 自ら「兵庫県知事」と名乗っている
- 公務・政治活動の発信に使っている
- 公人としての信頼を前提にフォロワーを集めている
つまり、自分自身で“公人性”を引き受けているアカウントだからだ。
もし完全な私的領域を守りたいのであれば、
- 公職名を外す
- 公務投稿と切り分ける
- 非公開アカウントにする
といった選択肢もあったはずである。
今問われているのは「優先順位」
批判の核心は、
「何を見たか」ではなく、「重要なものを見ていないのではないか」
という点にある。
現在、兵庫県を巡っては、
- 国会で具体的に県政や対応が取り上げられている
- 行政の初動や判断について、国政の場で質疑が行われている
- 県民にとって看過できない論点が公開の場で議論されている
という状況がある。
その中で、
国会質疑については把握していない、見ていない
一方で、娯楽性の強い動画への反応は確認できる
という状態が事実として受け取られるとすれば、県民が違和感を覚えるのは無理もない。
「個人の自由」と「公的責任」は切り分けが必要
公人に求められるのは、私生活をすべて犠牲にすることではない。
しかし同時に、
- 自ら「兵庫県知事」と名乗るアカウントで
- 公務情報を発信し
- 公的評価を受ける場に立っている以上
関心や優先順位そのものが、政治的メッセージとして読まれるという現実からは逃れられない。
この批判が示している本質
「国会質疑を見ろ」という強い言葉は、実は次の一点を突いている。
県民が不安に思っているのは、
知事の私生活ではなく、
県政に向き合う姿勢そのものではないか
という問いだ。
問われているのは「価値観の説明責任」
この問題は、
- 知事の人格を否定する話ではない
- 支持・不支持を煽る話でもない
本質は、
公人としての価値観を、
どのように県民に説明するのか
という一点に尽きる。
違法でなければ何をしてもよい、という考え方では、行政トップとしての信頼は維持できない。
おわりに:冷静な問題提起として
この件は、次のように整理できる。
「違法ではない。
しかし、兵庫県知事と名乗るアカウントで、
性的演出かつ倒れ込む映像に『いいね』を付けることが、
公人としてふさわしいかどうか、本来、見るべきものは他にあるのではないか、
県民に説明されるべき問題である。」
民主主義において重要なのは、感情的な断罪ではなく、公人としての説明だ。
その対話が行われるかどうかが、今、問われている。
「兵庫県知事のさいとう元彦です」と記載していながら、個人アカウントなどと言う宙ぶらりんの運営をしているから、こんなことになるのだと思います。
この人に公人としてふさわしい行動が出来るのか、はなはだ疑問です。






