「答えない」という選択―2月4日・兵庫県知事定例記者会見が県民に残したもの
2024年2月4日の兵庫県知事定例記者会見で、ある質疑応答が行われた。
それは、知事が過去の街頭演説で述べた「一部の地元県議が、知事が浴衣祭りで激怒したというデマを広めた」
という発言の根拠を問うものだった。
この質疑は、単なる言葉尻の問題ではない。
事実認識・説明責任・そして人の命が失われた問題とどう向き合うのかという、県政の根幹に関わる問いを含んでいた。
目次
記者の問いは一貫していた
会見でフリーの赤澤記者が問い続けたのは、極めてシンプルな一点である。
- 竹内秀明県議が
- 「知事が浴衣祭りで激怒した」というデマを
- いつ・どの発言で・どのように広めたのか
記者は、ブログ記事、委員会での発言、リンクされた記事内容を一つ一つ確認しながら、「その事実は確認できない」と具体的に指摘していた。
これは印象論ではなく、事実確認の作業である。
知事の回答は最後まで変わらなかった
これに対し、**斎藤元彦**の回答は終始一貫していた。
- 「週刊誌報道等で事実と異なる記事があった」
- 「関係者の情報を踏まえた発言だった」
- 「そのように記憶している」
しかし、
- どの週刊誌なのか
- どの記事のどの部分が虚偽なのか
- それが「竹内県議がデマを広めた」という評価にどう結びつくのか
これらは一切示されなかった。
「YesかNoか」に答えないという態度
質疑の終盤、記者は問いを極限まで単純化した。
「2024年11月15日の『竹内県議がデマを広めた』という発言を撤回しますか。YesかNoで答えてください」
この問いに対しても、知事は
- 撤回する
- 撤回しない
のいずれも明言せず、理由説明を繰り返す形で事実上の無回答を選んだ。
これは技術的な逃げではあるが、県民の目には「答えられない」姿として映る。
問題は「週刊誌」ではない
仮に、知事が不正確な報道に憤りを覚えたのだとしても、本来向けられるべき矛先は
- 記者
- 媒体
- 編集部
であるはずだ。
しかし実際には、
- 特定の県議が「デマを広めた」と断定的に語られ
- その根拠は示されないまま
- 発言は今も撤回されていない
この構図が、誹謗中傷の連鎖を強めた可能性を否定することはできない。
人の命が失われた問題として
この問題の背景には、竹内秀明県議が誹謗中傷に苦しみ、自ら命を絶ったという事実がある。
記者が繰り返し問い続けたのは、
- 責任追及ではなく
- 事実の訂正と名誉回復の可能性
だった。
それにもかかわらず、
- 根拠は示されず
- 撤回もされず
- 説明責任は果たされなかった
この姿勢は、県民に重い疑問を残した。
県民が見ているのは「態度」である
この会見で明らかになったのは、「事実がどうか」という以前に、
誤っている可能性が高い発言を、
説明も訂正もせずに維持し続けるのか
という、知事の姿勢そのものだった。
政治において、
- 間違いを認めること
- 訂正すること
は弱さではない。
それは、信頼を回復するための最低条件である。
「間違いを認めない姿」が残した印象
人は誰しも、間違いや勘違いをする。
それ自体を責められるべきではない。
むしろ問われるのは、間違いに気づいた後、どう振る舞うかである。
社会経験を積み、責任ある立場にある人間ほど、自らの誤りを認め、誠実に謝罪し、必要であれば言葉を訂正する。
それは弱さではなく、人間としての大きさであり、組織や社会から信頼を得るための最低限の条件でもある。
しかし、今回の会見で見えたのはその逆だった。
分厚い鎧が示したもの
具体的な根拠を示さず、
YesかNoかの問いにも答えず、
同じ言葉を繰り返し続ける姿は、
「冷静」「慎重」というよりも、
自らを守るために分厚い鎧をまとっている姿に映った。
その鎧は、
- 事実を明らかにするためのものではなく
- 説明責任を果たすためのものでもなく
- 県民との対話のためのものでもない
ただ、自分の発言を訂正しないための防御に見えた。
結果として、「揺るがぬ信念」ではなく、小心さや器の小ささを印象付ける会見になってしまったことは否定できない。
強さとは「認める力」である
本当に強い人間は、
- 間違いを指摘されても
- 体面を傷つけられても
- 過去の発言と矛盾が生じても
必要であればこう言える。
「事実関係に誤りがあった。訂正する。申し訳ない。」
その一言があれば、この長時間の押し問答は必要なかった。
説明を拒み続けたことで、知事が守ったのは発言の整合性であり、失ったのは信頼と共感だったのではないか。
県民が見ているのは「正解」ではない
県民は、知事に完璧さを求めているわけではない。
求めているのは、
- 間違いを正す姿勢
- 説明から逃げない態度
- 人の死を前にしたときの誠実さ
である。
今回の会見は、「自分は間違っていない」と言い切る姿が、必ずしも強さや信念として受け取られないことをはっきりと示した。
おわりに
2月4日の定例記者会見は、「何を言ったか」以上に、「何を説明しなかったか」が強く印象に残る会見だった。
県民が求めているのは、言葉の技巧ではなく、事実と向き合う誠実な説明である。
その期待に、この会見は応えたと言えるだろうか。





