鎧を脱ぐことの大切さ ー 斎藤知事が本来の自分を取り戻す瞬間とは
県政を巡る議論の中で、斎藤知事に対して「サイコパスだ」「自己愛性パーソナリティ障害だ」といった極端な言葉が飛び交っています。
しかし、そういったレッテル貼りには全く意味が無いと思っています。
外側から見える表面的な言動だけで、誰かを断定することはできません。
そして、そのような決めつけは対話の扉を閉ざし、分断を深めるだけです。
目次
周囲が語る「知事以前の斎藤元彦」
元・神戸新聞記者で、ノンフィクションライターの松本創さんはこう振り返ります。
「彼が大阪府の財務部財政課長だった頃、質問にも的確に答え、気さくで気配りもできる好青年でした。バランス感覚のある有能な若手官僚という印象でした」
https://jisin.jp/domestic/2484080/
また、地元の知人はこう話します。
「大学生の頃、20人ほどの集まりで、未成年の女の子がお酒を飲もうとした時、『あかんで』と優しく注意して止めていたのを覚えています。とても優しく真面目な青年でした」
https://www.news-postseven.com/archives/20240828_1986603.html/2
これらの言葉から分かるのは、
本来の斎藤元彦は、優しく、誠実で、コミュニケーション能力の高い人物だった
ということです。
一般的に、人のパーソナリティは簡単には変わりません。
では、なぜ今のような姿になってしまったのでしょうか。
好青年が「強権的リーダー」へ変わるプロセスは実際に存在する
紹介されたエピソード、
-
真面目で優しい
-
気さくでコミュニケーション能力も高かった
-
バランス感覚があり、周囲から信頼されていた
これは、典型的に 健全なリーダー候補の姿 です。
こういう人物が、環境や状況の中で変わってしまうことは現実としてあります。
人格が劇的に変わったのではなく、
環境が人格の表出を変え、行動パターンが歪んでいく
という現象が起きる場合があります。
なぜ変化が起きるのか?(一般論)
地位の急激な変化と周囲のレベル差によるプレッシャー
自分より経験豊富で、非認知能力の高い人を部下にした
弱みを見せると舐められると思った
これは、心理学では 力量不安(インポスター症候群) と呼ばれるものにつながります。
本当は優しい人ほど、
-
失敗したくない
-
認められたい
-
舐められたくない
-
期待に応えたい
という想いが強く、その反動で
強さを演じなければいけない心理
になります。
「力を示すこと」が唯一の統治方法だと勘違いする
リーダーの道を歩く中で、ある瞬間に、
「強く出たら物事が動いた」
「厳しく言ったら従った」
という成功体験が起きると、
その方法だけで統治できると錯覚する
ことがあります。
この瞬間から、
-
対話 < 命令
-
説明 < 力
-
調整 < 支配
という方向へ滑り落ちていきます。
それで統治出来たので、狂って行ったのか?
と考えられます。
間違いを正す機会を失った瞬間、組織崩壊が始まる
最初の小さなミスを
-
認められない
-
取り繕う
-
正当化する
-
他人の責任にする
というプロセスが始まると、周囲は発言しなくなり、結果として孤立します。
孤立したリーダーは、
-
質問を攻撃と感じる
-
批判は裏切りに感じる
-
ミスは認められない
という心理状態に追い込まれます。
ここで 優しい人ほど壊れていく ことがあります。
小さな間違いから始まった「鎧の物語」
斎藤知事が最初から兵庫県を大混乱させようと思って知事になったとは思っていません。
むしろ、当初は 県民のための豊かな兵庫県を実現したいという真っ直ぐな理想と情熱があったはずです。
どの政治家も、どのリーダーも、最初の目的は 「良い未来をつくること」だったはずです。
それは信じたいし、信じる価値があると思います。
崩れ始めたのは「ほんの小さな判断ミス」から
県政がここまで混乱した原因は、最初から大きな悪意があったわけでも、壮大な計画があったわけでもなく、
小さな勘違い、小さな判断ミス、そして取り繕い
そこから始まったのではないでしょうか。
人間は、自分の判断が正しかったと信じたい生き物です。
間違いを認めることは、とても怖く、とても辛い。
だからこそ、小さなごまかしが、さらに大きなごまかしを生み、説明よりも防御、対話よりも逃避という方向へ追い込まれていったのだと思います。
結果として、
-
- 記者会見では質問に答えられなくなり、
-
- 県民との対話や説明の場から離れ、
-
- 周囲が敵に見える状態になった。
こうしてガチガチの防御態勢になってしまったのだと思います。
鎧を着たまま生きる苦しさ
斎藤知事は 「自分を守る鎧をガチガチに着ている状態」 に見えます。
本来の自分を解放できず、演じている自分を必死に守るために、心も体も常に緊張し続けているように感じます。
鎧を着ている状態では、
-
- 批判が脅威にしか感じられない
-
- 間違いを認めることが「敗北」になる
-
- 他者の声が届かない
-
- 逃げるか戦うかの二択でしか判断できない
こうした状態では、心は休まらず、常にどこかの筋肉が固く緊張しています。
しかし人は、緊張の真っ只中にいると、自分がどれほど固まっているのか気づくことさえできません。
全身が緩んだ時、初めて分かること
誰もが経験したことがあると思います。
深い呼吸が戻り、肩の力が抜けて、体中の緊張が溶けていく瞬間。
その時に初めて、
「自分はこんなに緊張していたんだ」
「こんなに頑張っていたんだ」
「こんなに苦しかったんだ」
と気づくことが出来ます。
その瞬間こそが、本来の自分を取り戻すスタートラインです。
体が緩むと、視野が広がり、他者の声が聞こえるようになり、間違いを認めても崩れなくなり、人とつながる力が戻ります。
公人であっても、ひとりの人間である
政治家も、知事も、権力者も、ひとつの命を抱えた一人の人間です。
恐怖や不安があれば、誰だって鎧を着ます。
しかし、鎧を着続ければ、自分を失っていきます。
重荷から解放され、深く息が吸える瞬間を、斎藤知事にも体験してほしい。
その時、「これが本来の自分だ」と感じられる日が来てほしい。
それは、対立や攻撃では実現しません。
必要なのは 対話と安心の場 です。
鎧を脱ぎ捨てるには、大きな恐怖が伴う
もし斎藤知事が、
-
- 間違いを認める
-
- 経緯を説明する
-
- 県民と真剣に向き合う
そう決断した時、最も激しい反発が起こるのは、実は県民ではなく
反斎藤側と斎藤信者側で決定的に違う点
反斎藤の多くは、事実の確認と説明責任の履行を求めているだけであり、目的は 「県政を正常化し、県民生活と民主主義を守ること」 にあります。
したがって、仮に知事が真相をすべて説明し、
その結果として
-
元県民局長への謝罪と名誉回復
-
不当な処分の撤回
が実現したなら、多くの反斎藤側は、それ以上の追及は求めず、司法と議会の判断に任せると思われます。
なぜなら目的は「復讐」ではなく、「県政の正常化」と「信頼回復」だからです。
斎藤信者の心理構造は全く別
斎藤信者(強固な支持者)は、事実や論理ではなく“信仰”“自己同一化”で知事を支持しているという特徴があります。
そのため、もし知事が
「自分の判断には問題があった」「隠していたことがある」と認めた瞬間
彼らにとっては
-
自分の信念が否定される
-
自分が愚かだったことを認めざるを得なくなる
-
自尊心が強く傷つく
という心理的ショックが発生します。
すると次のような反応が起こる可能性が高いです:
-
怒りの矛先が知事本人に向く
-
裏切られたと感じ、急激な反転攻勢に出る
-
最も過激な批判者に変わる
これは心理学でいう 「認知的不協和」 の典型的な解消プロセスです。
本当の危機は、反斎藤側ではなく支持者側の崩壊
だからこそ知事は、反斎藤の声よりも、強固な支持層の感情の爆発を恐れているのではないでしょうか。
もし知事が誠実に説明すれば
-
反斎藤は納得し、議会・司法の判断に委ねる
-
県政は正常化に向かう可能性が高い
しかし、
-
最大の混乱は「信者の反転」によって起こる
という構造が見えます。
それでも、鎧を脱ぐ日はきっと来る
鎧を脱ぐということは、
-
- 弱さを認めること
-
- 間違いを正す勇気を持つこと
-
- 他者に心を開くこと
そして何より、
「本来の自分」を取り戻すこと
です。
その時、全身の緊張が解け、深い呼吸が戻り、はじめて
自分はこんなに苦しかったんだ
と気づくことができるでしょう。
その瞬間、兵庫県にとっても、県民にとっても、大きな転機になるはずです。
逃げ続けても未来は変わらない。向き合えば未来は変わる
対立が目的ではありません。
追い詰めることが目的でもありません。
解放し、前に進むためのプロセスを始めてほしい
そう願っているだけです。
兵庫県が再び前に進むためには、
-
- 説明責任
-
- 対話
-
- 正直さ
その3つが必要です。
斎藤知事が鎧を脱ぐ決断をした時、県民の心も穏やかになるはずです。
「責め立てる」ほど、人は殻に閉じこもる
人は、責められ、追い詰められ、逃げ道を失うと、
-
心を閉ざす
-
嘘をついてでも自分を守ろうとする
-
事実をねじ曲げてでも逃げようとする
-
誰の声も届かなくなる
これは、人間の自然な防衛反応です。
追い詰めれば真実が出る
ではなく
追い詰めるほど真実から遠ざかる
最後に
鎧を脱ぎ、本来の自分を取り戻す瞬間は、誰にとっても希望となる。
兵庫県が再び前に進むために、逃げるのではなく、向き合う対話を求め続けます。





