「何もしない」統治が生む無法地帯―斎藤支持者以外が住みにくくなる兵庫県という現実―
今回、四宮神社で起きた一連の出来事によって、ある本質的な問題が浮かび上がった。
それは、兵庫県知事が、県内で無法状態が生まれつつある現実に直面しても、何も行っていないという点である。
これは単なる「判断ミス」ではない。
統治者としての最も重要な責務――秩序と法の支配を維持することが、事実上放棄されている状態だ。
目次
問題は「違法行為」そのものではない
誤解してはならないのは、問題の核心が「知事支持者の一部が過激な行動を取ったこと」そのものではない、という点である。
どの社会でも、一定数の過激な人間は存在する。
本当の問題は、
- デマや虚偽申告
- 公益通報者保護法違反が指摘されている状況
- 情報漏洩を正当化・教唆するような言動
- 宗教施設や公共空間での私的制裁
こうした行為が可視化され、問題化しているにもかかわらず、知事が一切止めていないことにある。
統治において「沈黙」は中立ではない
斎藤知事は、
- デマを否定しない
- 支持者の暴走を止めない
- 虚偽や違法性の可能性に線を引かない
という姿勢を取り続けている。
しかし統治論の基本では、
権力者の沈黙は、最も強いメッセージになる
とされる。
つまり現在の兵庫県では、「知事にとって都合の良い側の行為は、黙認される」というシグナルが、社会に送られている。
法ではなく「忠誠心」が秩序を決める社会
この状態が続くと、何が起きるか。
- 法律を守っているかどうかではなく
- 知事を支持しているかどうかで
- 扱いが変わる社会
が生まれる。
今回の件で象徴的だったのは、
- 「アンチ」という言葉一つで排除され
- 法律が誤用され
- 虚偽申告が優先され
- 当事者の権利が顧みられなかった
という事実である。
これはすでに、法治ではなく、派閥支配の兆候を示している。
「斎藤支持者以外は住めない県」になる論理的帰結
ここで問われるのが、
斎藤支持者以外は住めない兵庫県になるのではないか
これは感情的な誇張ではない。
なぜなら、人は次のように行動するからだ。
- 批判すると攻撃される → 発言しない
- 意見を言うと排除される → 関わらない
- 法が守られない → 離れる
結果として、
- 県政に異論を唱えない人だけが残る
- 声の大きい支持者だけが可視化される
- 多様な県民は沈黙するか、去る
「住めない」のではなく、「住み続けられない」県になる。
無法地帯とは「暴力がある場所」ではない
多くの人は「無法地帯」と聞くと、暴力や犯罪が横行する場所を想像する。
しかし、現代の無法地帯とは、
- 法律が恣意的に使われ
- 嘘が訂正されず
- 強い側の主張だけが通り
- 弱い側が自己防衛のため沈黙する社会
のことを指す。
今回の出来事は、その初期症状がすでに兵庫県で現れていることを示している。
「分からないのでコメントできない」という統治
斎藤知事の不作為が人権侵害を再生産する構造
兵庫県知事記者会見において、しんぶん赤旗の記者と斎藤元彦・兵庫県知事とのやり取りは、今回の一連の問題の本質を、極めて分かりやすく可視化した。
それは、知事の目の前で起きた人権侵害に対し、知事が「理解できない」「コメントできない」として一切向き合わない姿勢そのものである。
記者の問いは、極めて単純だった
記者の質問は、難解でも抽象的でもない。
要旨はこうだ。
- 知事の目の前で
- 知事の支持者とされる人物による
- 人権侵害が起きた
- それを知事は把握している
- ならば、ただちに事実確認を行い
- 支持者に対して「やめるべきだ」と伝えるべきではないか
これは、統治者として最低限求められる対応を問うものだ。
知事の回答は、責任の放棄だった
これに対し、斎藤知事は次のように繰り返した。
「おっしゃっていることが分からないので、コメントできません」
そして話題が核心に迫るたびに、
「私的な参拝だった」
と論点をずらし続けた。
ここで問われているのは、
- 参拝が公的か私的か
ではない。
目の前で起きた人権侵害に、トップとしてどう向き合うかその一点である。
「分からない」は中立ではない
統治の文脈において、「分からない」「コメントしない」は中立ではない。
- 問題を調べない
- 行為を否定しない
- 被害者に言葉をかけない
- 支持者に注意もしない
この態度は、事実上の黙認として社会に受け取られる。
実際、記者が指摘した通り、
知事が何も言わないから
そういう人たちは安心して
人権侵害を繰り返せる
という構造が、すでに出来上がっている。
「いつも震源地には知事がいる」という指摘の重さ
記者は、次のように指摘した。
これまでも、知事の支持者による
人権侵害や誹謗中傷が数多く行われてきた
それに対して、知事は知らぬ存ぜぬを押し通してきた
だから、震源地にはいつも知事がいる
これは人格攻撃ではない。
不作為による統治責任の指摘である。
- 犬笛を吹かなくても
- 吠える犬を止めなければ
- 被害は拡大する
トップが止めない限り、暴走は「許された行為」として固定化される。
被害者への謝罪すら拒む姿勢
記者は最後に、こう問いかけた。
知事自身が、被害者である子守さんに
謝るべきではないですか?
これは法的責任ではない。
政治的・人間的責任の話だ。
しかし知事は、ここでも「分からないのでコメントできない」と繰り返した。
何が最も深刻なのか
今回、最も深刻なのは、
- 人権侵害が起きたこと
ではない。
それを止める力を持つ人物が、止める意思を示さなかったことである。
この態度が続けば、
- 支持者は「やっていい」と学習する
- 被害者は声を上げなくなる
- 社会は静かに荒む
知事が止めない限り、止まらない
ここで最も重要なのは、
- 支持者に良識を期待することではない
- 市民同士で争うことでもない
知事が、線を引くかどうかだけである。
- デマは許されない
- 虚偽申告は許されない
- 公益通報者を攻撃する行為は許されない
この最低限の言葉を、知事が自らの口で発しない限り、
👉 暴走は続く
👉 無法状態は固定化される
これは兵庫県民全体の問題である
この問題は、
- 斎藤支持か反対か
- 右か左か
という話ではない。
「法が守られる社会に住みたいか」
「異論を言っても排除されない県に住みたいか」
という、すべての兵庫県民に共通する問いである。
知事が何もしないことによって、兵庫県が「忠誠を示す人だけが安心して暮らせる県」へと変質していくのかどうか。
その分岐点に、今、兵庫県は立っている。
知事に求められているのは、
- 立場の違いを裁くことでも
- 支持者を処罰することでもない
「人権侵害は許されない」
「誰であってもやめるべきだ」
この一言を、公の場で明確に発することだけだ。
それすら拒否し続ける統治の下で、兵庫県がどこへ向かうのか。
その危うさを、これ以上ないほど明確に示していた。






