関心の薄い県民が「考え始めた瞬間」こそが、変化の始まりである

2026年1月24日

はじめに

近年、兵庫県政を巡って、国会審議、消費者庁の追及、県議会での議論、さらには街頭でのプロテストなど、さまざまな動きが続いている。
それでもなお、「県政は変わらない」「未だに斎藤支持者が残っている」という声を耳にすることがある。

しかし、県政が変わらない最大の理由は、抗議が足りないからでも、追及が弱いからでもない
本当の理由は、多くの県民が、まだ自分の頭で考える段階に入っていないことにある。

多くの県民は「無関心」ではなく「判断材料を持っていない」

よく「無関心層」と呼ばれる人たちがいる。
だが、実際には彼らの多くは、政治に無関心なのではない。

  • 会見動画を見る時間がない
  • 国会審議や県議会中継は難しそう
  • 誰の話が正しいのか分からない

こうした理由から、判断を保留しているだけの人が大半だ。

つまり彼らは、

「考えたくない人」ではなく
「考える材料を持っていない人」

なのである。

「論破」や「対決」は、判断を遠ざける

政治的な対立が激しくなると、

  • 相手を叩きのめした
  • 矛盾を突きつけて黙らせた
  • 支持者、反支持者が激しく応酬した

といった場面が増える。

しかし、このような光景は、関心の薄い県民にとってはこう映る。

「よく分からないけど、揉めている」
「どっちも感情的だ」
「関わらない方がいい」

対決は、考えるきっかけではなく、距離を生む

特に、強い支持者が存在する政治家の場合、論破や糾弾は支持者の防衛反応を強め、結果として対立だけが激化する。

それは問題の解決でも、県政の正常化でもない。

無関心層は「議論」を見ていない。「空気」を見ている

薄関心層がXで接触しているのは、

  • 論理の中身
  • 事実関係
  • 法解釈

ではありません。

彼らが見ているのは、

  • 言葉のトーン
  • 攻撃性
  • 対立の激しさ
  • 誰が怒っているか

つまり**内容ではなく「空気」**です。

感情的な応酬が続くと、彼らの頭の中ではこう処理されます。

「また揉めてる」
「どっちも極端」
「関わると疲れそう」

この時点で、思考の入口が閉じます

思考停止は「支持」ではなく「委任」になる

ここが非常に重要です。

無関心層は、

  • 斎藤知事を積極的に支持している
    わけではありません。

しかし、

  • 考えるのが面倒
  • 情報が対立だらけ
  • 判断材料が見えない

状態になると、人はこうします。

「よく分からないから、
今のままでいいか」

これは消極的な現状維持であって、結果として知事側に有利に働く

つまり、

  • 感情的対立
    → 思考停止
    → 現状維持
    → 権力側が守られる

という流れが生まれます。

感情的議論は「疑問」を潰す

本来、薄関心層が持ち得る問いは、非常に素朴です。

  • 「なんでそんな判断をしたんだろう?」
  • 「ちゃんと説明してるのかな?」

しかしX上の感情的な論争は、

  • 善悪二元論
  • 勝ち負け
  • 敵味方

に話題を引きずり込みます。

そうなると、

問いを持つ前に、立場を選ばされる

これが最大の問題です。

立場選択を迫られた瞬間、薄関心層は離脱します。

民衆蜂起は「感情の爆発」ではない

一般に民衆蜂起や大規模な社会変動は、

怒りが先にあって、人々が衝動的に立ち上がった

と誤解されがちですが、実際は逆です。

実際の順序はこうです

  1. 現実を冷静に観察する
  2. 説明や正当化に矛盾を感じる
  3. 「このままではいけない」と自分の頭で判断する
  4. その結果として、怒りが共有される
  5. 行動(蜂起・運動)に転化する

👉 怒りは原因ではなく、結果です。

本物の怒りは「考え抜いた後」にしか生まれない

衝動的な怒りは、

  • 一過性
  • 扇動に左右されやすい
  • すぐ疲弊する

一方で、民衆蜂起に至る怒りは、

  • 理由を説明できる
  • 他者と共有できる
  • 時間をかけて蓄積される

つまりこれは、

理性的な判断が限界に達したときの感情

です。

「先に怒りがあるのではなく、
現実を冷静に見つめ、自ら考えた末」

これがなければ、持続する社会的行動にはなりません。

県民対話集会とは

  • 怒りを煽ることではない
  • 蜂起を呼びかけることでもない

その一段前、

人々が「考え尽くす」ための条件を整えること

です。

これは遠回りに見えますが、実は歴史上、最も確実な道です。

変化は「納得」ではなく「違和感」から始まる

人は、誰かに納得させられた時よりも、

  • 説明が曖昧だった
  • きちんと答えていない気がした
  • なぜそう判断したのか分からなかった

こうした小さな違和感を覚えた時に、初めて考え始める。

「よく分からないけど、何かおかしい」

この感覚こそが、政治における最初の一歩だ。

県民が「自分の頭で考える」瞬間とは何か

重要なのは、

  • 誰かが勝ったか負けたか
  • どちらの主張が強かったか

ではない。

説明責任が果たされているかどうかを、
県民自身が判断しようとした瞬間

そこから、変化は始まる。

その時、県民はこう問い始める。

  • なぜその判断をしたのか
  • 県民にとって何が良かったのか
  • 同じことが起きたら、また同じ対応をするのか

この問いが生まれた時点で、政治は「他人事」ではなくなる。

静かな場こそが、民主主義を前に進める

声の大きさや怒りの強さが、必ずしも民主主義を前進させるわけではない。

必要なのは、

  • 落ち着いた場
  • 普通の言葉
  • 普通の県民の視点

そして、

逃げずに説明できるかどうかを、
静かに見せること

この積み重ねだけが、関心の薄かった県民を、少しずつ「考える側」に引き寄せる。

おわりに

県政が変わる瞬間は、誰かが論破された時でも、誰かが叩きのめされた時でもない。

関心の薄かった県民が、
自分の頭で考え始めた時

その静かな変化こそが、最も確実で、最も強い力である。