四宮神社で起きた排除の構図―虚偽申告・宗教権威の誤用・知事の不作為が生んだ危険な現実―
2025年1月4日、四宮神社における斎藤元彦・兵庫県知事の参拝時に発生した一連の出来事は、単なるトラブルではなく、虚偽申告・宗教的権威の誤用・政治的放置が重なった、極めて深刻な事案である。
本稿では、子守康範氏の関係者から伝えられた神職の説明内容を踏まえつつ、仮に神職側の主張が事実であったとしても、なお問題が残る点を中心に検討する。
目次
神職が説明した「排除の理由」(※伝聞)
子守康範氏の信頼できる関係者が、後日、四宮神社の神職と直接面談し、次のような説明を受けたとされている。
- いわゆる「元彦マダム」と呼ばれる知事支持者の女性が
- 「自分は殴られた」「あの人(子守氏)はアンチだ」と申告
- 「自分はこの神社の氏子である」と主張
- 「刑法188条(礼拝所不敬罪)があるから、それを根拠に追い出せ」と神職に伝えた
神職は、この申告を信じ、結果として子守氏を境内から退去させた、という説明である。
仮にその主張が事実だったとしても、正当化はできない
ここで重要なのは、仮にこの女性の申告内容を前提としても、神職の対応は正当化されないという点である。
① 暴行被害の申告が事実なら、取るべき対応は警察通報
「殴られた」という申告が事実であれば、
- 神職が行うべきは
- 退去命令ではなく
- 警察への通報、もしくは当事者双方の分離
である。
宗教施設の管理権限で、事実未確認のまま一方を排除する権限はない。
② 「氏子だから排除できる」は法的根拠がない
神社の氏子であるか否かは、
- 境内での基本的人権の有無
- 表現の自由
- 身体の自由
とは一切関係がない。
氏子であることを理由に、第三者を「アンチ」と決めつけ排除する法的根拠は存在しない。
③ 刑法188条(礼拝所不敬罪)は明確に該当しない
神職は「188条」を根拠に排除したと説明しているが、これは明確な誤用である。
礼拝所不敬罪が成立するのは、
- 礼拝所を物理的に破壊した場合
- 著しく冒涜する犯罪行為があった場合
に限られる。
- 質問すること
- 撮影すること
- 知事に謝罪の意思を問うこと
これらはいずれも犯罪構成要件を満たさない。
さらに当日は「憲法188条」という存在しない条文名まで用いられており、法律知識が極めて曖昧なまま、刑罰を示唆して排除が行われたことになる。
神職自身が「やってはいけないことだった」と認めている
神職は後日、
「子守さんには申し訳ないことをした。謝りたい」
と述べたとされている。
これは重要な点である。
- 虚偽の申告を信じたとしても
- 神職として取るべきでない行為だった
という自己認識が示されているからだ。
神職は後日、
「子守さんには申し訳ないことをした。謝りたい」
と述べたとされている。
これは重要な点である。
- 虚偽の申告を信じたとしても
- 神職として取るべきでない行為だった
という自己認識が示されているからだ。
四宮神社にとって「知事参拝」は私的行為ではなかった
神職の説明によれば、
- 四宮神社では何十年も
- 兵庫県知事が「兵庫県知事として」参拝するのが恒例
- 私的参拝と公的参拝を分けて考えていなかった
とされている。
つまり神社側の認識は明確に、
「兵庫県知事が、兵庫県知事として来る」
というものだった。
この認識と、知事本人の「プライベートなので撮影を控えてほしい」という発言は、明確に齟齬を起こしている。
知事の「不作為」という最大の問題
最も深刻なのは、この異常な状況が目の前で起きていたにもかかわらず、知事が止めなかった点である。
- 虚偽申告による排除
- 法律の誤用
- 一方的な「アンチ認定」
- 神職への過剰な圧力
これらが行われている中で、知事は説明も制止も行っていない。
これは偶然ではない。
問題の核心は「何をしたか」ではなく「何もしないこと」
多くの支持者はこう反論する。
「知事が直接やったわけではない」
しかし、統治の世界ではこれは通用しない。
- 違法行為や人権侵害が起きている
- 支持者がデマや嘘で特定の人を攻撃している
- その事実をトップが把握している
- それでも、明確に否定せず、止めず、注意喚起もしない
これは 中立 ではない。
事実上の容認 である。
① 公益通報が「裏切り行為」になる社会
最初に起きる変化はこれだ。
- 不正を見ても通報しない
- 声を上げた人が攻撃される
- 組織内で沈黙が最適解になる
公益通報者保護法は、「不正を告発する人を守る」ための法律だ。
それが守られず、告発者が社会的に潰される前例が放置される県では、
不正は内部で温存される
組織は腐る
これは行政だけでなく、県内企業・病院・学校にも波及する。
② デマと嘘が「正義」として流通する県
知事が沈黙を続けることで、
次に起きるのは 情報環境の崩壊 だ。
- 事実より「知事に都合がいい話」が拡散
- 嘘をついた側が処罰されない
- 攻撃された側だけが疲弊する
やがて県民はこう学習する。
「事実かどうかは関係ない
声が大きい方が勝つ」
これは民主主義の死である。
③ 支持者による「私刑」が常態化する
今回可視化されたのは、支持者が勝手に警察・裁判官・検察官の役割を演じ始めている現実だ。
- アンチ認定
- 虚偽申告
- 宗教施設や公共空間からの排除
- 法律の誤用による恫喝
トップが止めなければ、支持者はこう思う。
「これは許されている行為だ」
結果、法ではなく空気が人を裁く社会になる。
④ 「物言う県民」が消えていく
こうした空気の中で、最初にいなくなるのは誰か。
それは、
- 真面目な職員
- 冷静な専門家
- 良識的な県民
彼らは戦わない。
静かに去る。
- 意見を言わない
- 県政に関わらない
- 兵庫県を選ばない
残るのは、声が大きく、敵を作ることを恐れない人たちだけになる。
⑤ 結果として生まれる「荒んだ県」の姿
この流れが続いた先にある兵庫県は、こうなる。
- 不正が見えない県
- 説明責任が不要な県
- 嘘が訂正されない県
- 批判者が排除される県
- 法より忠誠が優先される県
企業は投資を控え、優秀な人材は流出し、若者は未来を描けなくなる。
⑥ これは「支持者の問題」では終わらない
重要なのはここだ。
これは
- 斎藤支持者の民度の問題
ではない。
トップが「止めない」という選択を続けている問題である。
犬笛を吹かなくても、吠える犬を止めなければ、その結果には責任が生じる。
犬笛とデマが生む「周囲の暴走」
立花孝志氏によるデマ、それに影響を受けた支持者の過激化、そしてその結果として苦しめられた人々。
竹内英明氏、丸尾氏、そして子守康範氏。
これらは個別の事件ではなく、同じ構造の延長線上にある。
- 知事が明確に否定しない
- 支持者が「守るため」に暴走する
- 虚偽や誇張が許容される空気が生まれる
この連鎖を放置してきた責任は、最終的にトップに帰属する。
これは兵庫県だけの問題ではない
嘘をつき、宗教的権威を利用し、法律を誤用して人を排除する。
それを目の前で見ながら、止めず、説明せず、ファンサービスだけを続ける。
これは「一支持者の暴走」では済まされない。
自治体のトップが、法律を守らなくてもよいかのような空気を生むこと自体が、社会のモラルを壊す行為である。
四宮神社で起きた出来事は、斎藤元彦という政治家の問題が、最も凝縮された形で表れた事例だと言える。
統治者に求められる最低限の責任
知事に求められているのは、
- 反省でも辞任でもない
- 支持者を叱りつけることでもない
「デマ・嘘・違法行為は許されない」と明確に線を引くことただそれだけだ。
それすら行わない統治が続くなら、兵庫県はゆっくりと、しかし確実に荒んでいく。
今回の出来事は、その「入口」がすでに開いてしまったことを示している。






