「斎藤はどうなってもいい」と言い出す支持者が増えてきた理由― それは支持の放棄ではなく“心理的撤退”である ―

最近、X(旧Twitter)で斎藤知事の支持者と議論していると、次のような発言に行き着くケースが目立つようになってきました。

「別に斎藤がどうなろうとどうでもいい」
「知事がどうなっても知ったこっちゃない」

一見すると「中立」あるいは「冷静な距離感」にも見えますが、これは本当にそうでしょうか。

結論から言えば、この発言は

斎藤知事への関心が薄れたから出てきた言葉ではありません。
むしろその逆で、**支持を維持できなくなった末の“心理的撤退宣言”**です。

「どうでもいい」は中立ではなく“逃避”である

政治に本当に関心がない人は、そもそも議論に参加しません。
ところが、この発言をする人たちは、

  • それまで熱心に斎藤知事を擁護していた
  • 批判側に対して強い言葉で反論してきた
  • 第三者委員会や公益通報の話題にも食い下がってきた

という共通点を持っています。

それにもかかわらず、反論できなくなった瞬間に「どうでもいい」と言い出す。

これは立場変更ではなく、
👉 議論からの離脱を正当化するための自己防衛
に過ぎません。

なぜ支持をやめたとは言えないのか

本来であれば、

  • 事実関係を再検討する
  • 自分の評価を修正する

という選択肢があります。

しかしそれは、「自分は間違っていたかもしれない」と認めることを意味します。

多くの人にとってこれは非常に高い心理的コストです。

そこで選ばれるのが、

「最初から興味がなかった」
「斎藤がどうなろうと関係ない」

という後付けの立場変更です。

これは
支持を撤回する勇気も、支持を続ける論理も失った結果の、もっとも楽な出口なのです。

論点が突然「シバキ隊」「保守候補」にすり替わる理由

このタイプの発言には、もう一つ特徴があります。

「シバキ隊と同調するな」
「しっかりした保守系の候補者を探せ」

ここで突然、

  • イデオロギー
  • 仲間認定
  • 次の選挙の話

が持ち出されます。

しかし、斎藤知事の違法性・説明責任・県政運営の是非とは何の関係もありません。

これは典型的な
**論点すり替え(ストローマン論法)**であり、

  • 本題では反論できない
  • だから相手の立場を歪めて攻撃する

という防衛反応です。

この発言が意味する「本当の敗北」

重要なのは、この段階に入った支持者はもう、

  • 斎藤知事の政策
  • 県政の成果
  • 将来の兵庫県像

について一切語らなくなるという点です。

残るのは、

  • どうでもいい
  • 興味ない
  • お前の仲間が気に入らない

だけ。

これは政治的には致命的です。

なぜなら、「評価しない政治」は、もはや支持ではないからです。

「放置」が最適解である理由

このタイプの相手に対して、

  • 追及を続ける
  • 嘲笑する
  • 論破を誇示する

必要はありません。

彼らはすでに議論から降りる決断をしているからです。

むしろ過剰に反応すると、

  • 被害者ポジションに移行
  • 話題のすり替えが加速

してしまいます。

黙って事実を積み上げ続けることが、中間層にとって一番分かりやすいメッセージになります。

おわりに

「斎藤はどうなってもいい」という言葉は、

  • 冷静な中立ではない
  • 高い視座でもない

それは、**支持を続けられなくなった人が、自分を守るために選んだ“撤退の言葉”**です。

そして、この言葉が増えているという事実こそが、支持構造が内側から崩れている証拠でもあります。

焦る必要はありません。
説明責任を果たさない政治は、時間とともに必ず支持を失います。

必要なのは、感情的な対立ではなく、淡々とした事実と論理の継続です。

それが、無関心層にとって最も信頼できる姿勢なのです。