国には要望するが、首相答弁は聞かない―公益通報者保護法を巡る兵庫県政の「法治の危うさ」

2025年12月17日の兵庫県知事定例会見において、公益通報者保護法を巡る国と兵庫県の認識のズレが、極めて象徴的な形で露呈した。

アークタイムズ・尾形記者の質問は、単なる言葉尻の追及ではない。
**法治国家における「国と地方の関係」「行政運営における信頼」**という、本質的な問題を突くものだった。

本稿では、会見内容を整理した上で、この状況が なぜ危険なのか/今後どのような影響が想定されるのか を論じる。

問題の核心:法解釈の「独自運用」

知事は会見で一貫して、

「法の趣旨を踏まえて、適切・適正・適法に対応している」

と繰り返した。

しかし同時に、

  • 首相や担当大臣の予算委員会答弁は把握していない
  • 国会で兵庫県が具体的に言及された場面も確認していない

と明言している。

これは単なる情報収集不足ではない。
国の統一的な行政解釈を確認しないまま、自県の対応を「適法」と断言している点に、本質的な問題がある。

「把握していない」は、責任を回避できる唯一の逃げ道

もし知事が、

  • 首相答弁を把握している
  • 担当大臣答弁も確認している

と認めた場合、次の問いから逃げられなくなります

「それでも、なぜ知事の法解釈は国と違うのか?」

これは

  • 見解の相違では済まず、
  • どちらが誤っているのか
  • なぜ是正しないのか

という説明責任の核心に踏み込む質問になります。

つまり

「把握していない」と言わない限り、次の質問に耐えられない

これが最大の理由です。

把握していると「適法」という言葉が使えなくなる

今回の会見で重要なのは、知事が 「適法」 という言葉をどうしても手放さない点です。

しかし、

  • 首相・大臣が
    「3号通報も体制整備義務の対象」
    という趣旨の答弁をしている
  • それを知っている

となれば、

自分は「適法」とは言えなくなる

少なくとも、

  • 「解釈が分かれている」
  • 「国の見解とは異なる」

という留保が必要になります。

それを避けるためには、

「知らない」「確認していない」しか言えない

わけです。

「知らなかった」は、行政トップとしては異常だが有効

  • 首相が予算委員会で
  • 兵庫県の案件について
  • 公益通報者保護法に言及

これは、通常の知事であれば必ず報告が上がるレベルです。

それでも「把握していない」と言うのは、

  • 行政トップとしては不適切
  • しかし
  • 法的・政治的責任を最小化するには有効

という、極めて消極的・防御的な答弁戦略です。

「知らない」は否定できないが、「知っていた」は否定される

答弁テクニックとして見ると、

  • 「把握していない」
    → 反証が困難
  • 「把握しているが無視した」
    → 即、問題化

という決定的な違いがあります。

つまり、

事実関係よりも、法的・政治的ダメージコントロールを優先した答弁

と見るのが自然です。

逆に言えば「知っている前提」で行動している痕跡もある

さらに言うと、

  • 「適法」という表現を一度外した後、また戻している
  • 記者からの追及が激しくなった時だけ「把握していない」を強調する

これらは、

国の答弁内容を前提に、言葉選びを調整している痕跡

と読むこともできます。

本当に全く知らないのであれば、ここまで言葉の変化は起きにくい。

「地方自治」と「法解釈の独走」は違う

地方自治は、

  • 国と異なる政策を行う自由
  • 地域実情に応じた裁量

を認める制度である。

しかしそれは、

  • 法律の解釈を国と無関係に行ってよい
  • 国会答弁を無視してよい

という意味ではない。

特に公益通報者保護法は、通報制度の信頼性を確保するため、全国での統一運用が極めて重視されている法律である。

この分野で自治体が独自解釈を押し通すことは、「自治」ではなく 制度全体への攪乱要因になりかねない。

一般社会に置き換えると見える異常さ

この状況を一般社会に置き換えると、こうなる。

「仕様に適合しない商品を納品するが、報酬は契約通り払ってほしい」

あるいは、

「取引先との信頼関係は壊すが、支払い義務は果たせ」

という態度に近い。

地方交付税や国庫支出金は制度上の財源であり、即座に止められるものではない。

しかしそれは、国との信頼関係を前提とした制度であることを忘れてはならない。

民間企業に置き換えた場合の評価

今回の兵庫県の姿勢を、BtoB取引に置き換えると次の状態です。

  • 発注元(=国)が
    仕様・運用ルールを公式に示している(首相・大臣答弁)
  • 受注側(=県)が
    • その仕様を確認していない
    • それでも「うちは仕様通りにやっている」と主張
    • 修正や再確認の意思を示さない

これは実務上、

「仕様未確認のまま自己解釈で納品し、問題指摘にも応じない業者」

に相当します。

民間なら想定される対応(現実的な順)

1️⃣ 是正要請・改善要求(まずここ)

  • 「仕様を再確認してください」
  • 「運用を統一してください」
  • 「説明資料を提出してください」

👉 今回で言えば
「首相・大臣答弁を踏まえた再整理」 がこれに当たります。

※ しかし県は
「把握していない」「それでも適法」
と事実上応じていません。

2️⃣ 単価調整・条件変更

是正が見られない場合、

  • 発注量を減らす
  • 単価を下げる
  • 追加作業は有償にしない
  • 裁量案件を外す

👉 行政で言えば

  • モデル事業から外す
  • 先行自治体に選ばない
  • 裁量補助の評価を下げる

に相当します。

**これは懲罰ではなく「リスク管理」**です。

3️⃣ 取引停止・契約解除(最終段階)

  • 「この会社とはもう無理」
  • 「信用できない」

ここまで来ると、

能力の問題ではなく、ガバナンスの問題

と判断されます。

兵庫県は要求仕様や規格を守らない業者

「仕様に合わないのに報酬は欲しい」

という感覚は、民間実務の視点では極めて妥当です。

むしろ、

  • 民間経験がある人ほど
  • 品質管理・契約管理に携わった人ほど

強い違和感を覚える案件です。

国は何も思っていないのか?

「どうせ国は何もできないのではないか」そう思う人もいるかもしれない。

確かに、

  • 地方交付税は機械的に算定される
  • 補助金も要件を満たせば交付される

ため、短期的に目に見える制裁は起きにくい

しかし行政の世界では、

  • 「話が通じる自治体か」
  • 「最終的に是正に応じるか」

という 信用評価 が静かに蓄積される。

今回のように、

  • 首相答弁を把握しない
  • それでも自らの解釈を「適法」と言い切る

姿勢は、霞が関や国会議員から見れば 極めて扱いづらい自治体 という評価につながりかねない。

想定される「静かな悪影響」

このままの姿勢が続いた場合、考えられる影響は以下の通りだ。

裁量がある場面で不利になる

  • モデル事業
  • 実証事業
  • 先行自治体指定

「あえて兵庫でやる理由」が失われる。

是正要求がより強い形で来る

  • 消費者庁の実態調査
  • 行政指導・助言

その時に、これまでの「適法だ」という主張が、リスクとして跳ね返る。

県職員が板挟みになる

最終的に国と向き合うのは現場の職員である。
知事の独自解釈は、組織全体の負担となる。

「県政を前に進める」とは何か

知事は会見で、補正予算や交付金の活用を「県政を前に進めている証左」とした。

しかし、

  • 国には要望する
  • 国の最高レベルの法解釈は確認しない

という姿勢が、本当に 県民の利益を最大化する行政運営 と言えるだろうか。

法治国家において、「聞かない」「把握していない」ことは、中立でも誠実でもない。

おわりに

今回の会見で露呈したのは、一つの法解釈の問題ではない。

「説明責任を果たさないまま、制度の受益だけは当然とする姿勢」
そのものが問われている。

信頼が崩れても、制度がすぐに止まるわけではない。
しかし、信頼を失った行政運営は、確実に将来の選択肢を狭める。

そのツケを払うのは、知事ではなく、兵庫県民である。