兵庫県の分断を生んでいる本当の原因は何か―「是非」ではなく「説明責任」の問題―
現在の兵庫県政をめぐる混乱は、単純に「斎藤知事が正しいか、間違っているか」という二項対立で説明できるものではありません。
問題の本質は、斎藤知事が知事の座に留まり続けている以上、自らが行った行為について『適正・適切・適法』であると主張するのであれば、その法的根拠と解釈を、県民に対して具体的に説明する義務があるにもかかわらず、それが果たされていないことにあります。
目次
「適法」と言うなら、何法をどう解釈したのかを示す必要がある
斎藤知事は会見などで「適正、適切、適法」という表現を繰り返してきました。
しかし本来、「適法」とは感想や印象ではありません。
- どの法律の、どの条文を
- どのように解釈し
- どの事実に当てはめて適法と判断したのか
この説明がなければ、県民は検証も判断もできません。
説明なき「適法」は、単なる自己評価にすぎないのです。
限定された情報が、分断と先鋭化を生んでいる
現在の兵庫県では、斎藤知事側から示される情報が極めて限定的です。
その結果、
- 支持する人は、限られた情報をもとに
「第三者委員会は偏っている」
「告発文書はクーデター目的だ」
などの解釈を膨らませる - 批判する人は、説明不足そのものに強い不信感を募らせる
こうして、それぞれの立場で想像や嫌悪感が増幅され、対立が先鋭化していく構造が生まれています。
妄想や感情は、事実ではなく「心の中」で起こります。
そして一度膨らんだ感情は、簡単には収拾がつきません。
第三者委員会・百条委員会の「事実」は存在している
第三者委員会や百条委員会については、
- 認定された事実が存在し
- その認定に至った調査過程や根拠も
- 詳細な報告書として公開されています
これらは、「意見」ではなく公的手続きを経た事実です。
しかし一方で、斎藤知事自身の公式な法解釈や、反論の論理構成、独自に行った調査の内容や法的裏付けは、県民に対してほとんど示されていません。
一方の情報しか無い状態では、県民は判断できない
現状では、
- 第三者委員会・百条委員会の情報は存在する
- しかし、知事側の体系的な反論が示されていない
この「情報の非対称性」が、混乱を拡大させています。
その結果、支持者の中には「第三者委員会そのものが信用できない」「告発は公益通報ではない」といった主張が独り歩きし、議論は事実確認ではなく信念対立へと変質しています。
知事が説明しなければ、分断は終わらない
斎藤知事が、
- 自身の法的解釈
- その解釈に至った思考過程
- 事実認定のどこを、なぜ否定するのか
- 県民からの疑問にどう答えるのか
これらを県民に対して正面から示さない限り、
- 先鋭化した対立は続き
- 中間層は判断材料を持てず
- 兵庫県が一つにまとまることは決してありません
事実が共有されないままの選挙は、民主主義を壊す
このまま十分な説明が行われないまま選挙に突入すれば、事実関係を把握できていない中間層の多くが、前回の選挙と同じ状況に置かれることになります。
つまり、
- SNS上で大量に流通する真偽不明の情報
- 切り取られた発言や、意図的に誇張された解釈
- 「信じたい物語」を補強する情報だけを浴び続ける環境
こうした中で、十分な判断材料を持たないまま投票行動を行うことになります。
これは、有権者の責任というよりも、事実を説明すべき立場にある側が、その責任を果たしていないことによって生じる問題です。
SNSは自由だが、事実の説明は公的責任である
SNSでは、どのような意見や情報が流れても構いません。
表現の自由は、民主主義の根幹です。
しかし、それとは別に、
- 何が事実なのか
- どこまでが確認された認定なのか
- どこからが解釈や意見なのか
これを公式に整理し、県民に示す責任は、知事という公的権限を持つ立場にあります。
県民が事実を知らない状態では、どれほど多くの情報に触れても、正しい判断は不可能です。
説明ができれば、中間層は冷静に判断する
重要なのは、斎藤知事が説明すれば、必ずしも不利になるわけではないという点です。
もし斎藤知事が、
- 第三者委員会や百条委員会の認定について
どの点を、なぜ否定するのか - 消費者庁や高市首相が示した法解釈について
どの法律の、どの条文を、どう解釈すれば異なる結論になるのか - 知事自身の判断が「適法」であるとする
具体的な法的根拠と論理構成
これらを県民が納得できる形で説明できれば、多くの中間層は、その説明を踏まえて斎藤知事に投票するでしょう。
中間層は、「誰かを盲目的に支持したい人たち」ではありません。
事実と論理を知った上で、冷静に判断したい人たちです。
説明を避けたままの選挙は、再び分断を深めるだけ
説明が行われないまま選挙に突入すれば、
- 支持者は「陰謀論」や「不信感」を強め
- 批判者は「説明しないこと自体」を問題視し
- 中間層は「よく分からないまま」雰囲気で投票する
この構図が再現されるだけです。
それは、選挙で勝ったとしても、県民の分断を固定化させ、県政運営をさらに困難にする結果を招きます。
県民が判断できる状態を作ることが、知事の責任
選挙とは、本来、
県民が十分な情報を得た上で、
誰に県政を託すかを判断する場
であるはずです。
その前提条件として、県民が事実を知っている状態を作ることは、知事の立場にある者の最低限の責任です。
説明から逃げたままでは、兵庫県が一つにまとまることはありません。
分断を解消する責任は、権限を持つ側にある
県民同士がいくら議論しても、説明責任を果たす立場にあるのは知事本人です。
「説明しない自由」は、知事にはありません。
説明を尽くすことこそが、民主主義におけるリーダーの最低限の責任です。
兵庫県の分断を終わらせる唯一の道は、知事が県民に向き合い、自らの言葉と法的根拠で説明することです。






