なぜ斎藤知事の支持者の発信は、中間層の離反を招いてしまうのか― 第三者委員会・説明責任・民主主義をめぐる誤解 ―
兵庫県をめぐる一連の問題について、SNS上では斎藤知事を支持する側・批判する側の激しい応酬が続いています。
しかし、そのやり取りを少し距離を置いて眺めてみると、ある共通した現象が見えてきます。
斎藤知事を守ろうとする投稿が、結果として中間層の離反を招いているという現象です。
本記事では、第三者委員会や説明責任、民主主義のルールをめぐる議論を整理しながら、なぜこのような逆効果が起きているのかを考えてみます。
目次
中間層は「支持者同士の勝ち負け」を見ていない
まず大前提として、多くの県民、いわゆる「中間層」は、
- 法律論争で勝ち負けを見たいわけでも
- 斎藤知事を必ず辞めさせたい、あるいは守り抜きたいわけでも
ありません。
中間層が見ているのは、もっとシンプルな点です。
- 何が問題だと指摘されているのか
- それに対して知事はどう向き合っているのか
- 説明は十分なのか
つまり、判断材料がきちんと提示されているかどうかです。
第三者委員会は「司法機関」ではないが「無意味」でもない
SNSでは、次のような主張が繰り返し見られます。
それのどこが司法機関?
— 五条祐介 (@2aMGjdgbGYf2pdM) December 30, 2025
ただの県に託された業者だろ
では第三者委員会に裁定の権限があると判断できる法律名をどうぞ
確かに、第三者委員会は裁判所ではありません。
法的拘束力のある最終判断を下す機関でもありません。
しかし、それと同時に次の事実もあります。
- 第三者委員会は兵庫県が自ら設置した公式の検証機関である
- 弁護士などの専門家が、事実認定と法的評価を行っている
- その結果、知事側にとって不利な認定(違法性・不適切性)が示された
ここでいう「立場が悪くなる」とは、人間としての上下の話ではなく、政治・行政上の説明責任が重くなるという意味です。
「ただの業者」という表現が与える印象
一部の支持者は、
専門生✕専門性○
— みんみん (@minmin03hell02) December 30, 2025
そんなふうに見下された考えを
お持ちなのに、やや引くなぁ。
医師だから大学教員だから、生徒だから保護者だからと言った場合でも、尊敬の念とは全く異なるもので、対等な見方で区別として言葉が使われてもいます。
と説明します。
しかし、問題は発信者の意図ではなく、受け取る側の印象です。
第三者委員会は、
- 中立性
- 専門性
- 独立性
を前提として社会から期待されている存在です。
その第三者委員会を、不利な認定が出た途端に「ただの業者」「ヘッポコ報告書」と表現すれば、中間層にはこう映ります。
結論が気に入らないと、評価する側の立場を下げるのか
説明ではなく、信用を落とす方向に行くのか
これは敬意の強要の問題ではなく、公的検証に対する姿勢(公的検証の軽視)の問題です。
民主主義は「選挙だけ」で完結しない
別の論点として、次のような主張もよく見られます。
選挙で選ばれたのだから文句を言うな
次の選挙まで待つべきだ
批判や抗議は民主主義に反する
しかし、日本の民主主義は選挙だけで成り立っているわけではありません。
- 議会での追及
- 記者会見での説明
- 住民監査請求や訴訟
- 批判やプロテスト
これらもすべて、民主主義の正当な要素です。
「選挙に勝ったのだから、その後は説明しなくていい」という考え方は、民主主義ではなく、説明責任の放棄と受け取られかねません。
支持者の発信が、知事の足を引っ張る構造
ここで重要なのは、支持者の発信が中間層にどう見えているかです。
- 第三者委員会を貶める
- 専門家そのものを信用できないと切り捨てる
- 告発文書を怪文書と断定する
こうした発信が続くと、中間層はこう感じます。
この支持者がいる限り
知事は説明しなくても守ってもらえるつまり、これからも説明は出てこないのでは?
結果として、
- 知事の政策を評価する前に
- 判断材料が不足していると感じ
- 静かに距離を取る
という「離脱」が起きます。
これは怒りや対立ではなく、無言の離反です。
「政策が良ければ説明はいらない」は成り立たない
一部には、
知事は「ブランド」ではなく「政治家」です
— 神戸に愛を (@kobe_stars11) December 30, 2025
県民が「知事が県民目線の政策を考え、実行しているか、それが県民の為になっているか」を判断します
そしてその結果が次回の選挙結果でわかる、それだけの事です
という考え方もあります。
しかし現状では、
- 政策の良し悪しを判断する以前に
- 説明が足りず、評価の土俵に立てていない
という状態です。
中間層が求めているのは、支持者による擁護ではありません。
何が問題だと指摘されたのか
それをどう受け止めているのか
なぜ自分は正しいと考えるのか
これを知事自身の言葉で聞きたいだけです。
支持者と反対派は「競合」、判断するのは中間層
この構図をマーケティング的に整理すると、次のようになります。
- 斎藤支持者と反斎藤側
→ 互いに主張し、ユーザーを奪い合う「競合」 - 中間層
→ どちらの主張を採用するか判断する「ユーザー」
斎藤支持者が、
- 相手を攻撃し
- 第三者評価を否定し
- 感情的な言葉を重ねる
その様子を見たユーザーは、斎藤知事の支持から離反します。
中間層は「どちらが正しいか」より「どちらが怖いか」を見る
中間層は、こういう行動に非常に敏感です。
- 感情的な揶揄
- 嘲笑やあだ名
- 「信者」「カルト」などの人格否定
- 相手を知的・道徳的に下に置く言い方
これが出た瞬間、中間層のスイッチは切れます。
あ、これは判断材料じゃなくて
感情のぶつけ合いだな関わらない方が安全だな
このとき中間層は斎藤支持にも、反斎藤にも行きません。
離反の原因は「説明不足」と「それを補強する発信」
斎藤知事をめぐる中間層の離反は、
- 政策の是非以前に
- 説明不足が続いていること
が主因です。
そして、その説明不足を補うどころか、
- 第三者委員会を貶め
- 専門家を否定し
- 説明不要論を強める
支持者の発信が、結果として離反を加速させています。
有権者は、支持者ではなく知事本人の説明を求めています。
それが示されるかどうかが、次の選挙以前に、すでに評価の分かれ目になっているのではないでしょうか。






