告発文書問題における斎藤知事の説明は、なぜ破綻しているのか―「様々な意見がある」という後出し論法と、恣意的法律相談の構造―

問題の核心は「法解釈の違い」ではない

兵庫県の告発文書問題について、斎藤元彦知事は一貫して「県の対応は適正・適切・適法だった」と説明してきた。

第三者委員会が公益通報者保護法違反を認定した後は、

「公益通報者保護法の解釈をめぐっては様々な意見がある」

という表現を用いて、その結論を受け入れない姿勢を示している。

しかし、この問題の本質は法解釈の多様性 ではない。

問われているのは、行政がどのような情報を前提に、どのような判断過程を経て処分を行ったのかという、判断プロセスの適正性である。

処分時に相談した弁護士は「1名のみ」という事実

神戸新聞の取材により、次の事実が確認されている。

  • 告発文書把握:2024年3月20日
  • 懲戒処分実施:2024年5月7日
  • 公益通報者保護法の観点で相談した弁護士:1名
  • 相談先:県の特別弁護士・藤原弁護士

処分時点で、複数の専門家に意見を求めた事実は存在しない

すなわち、「様々な意見の中から選択した」という判断構造は、当初から存在していなかった

さらに重大な問題:藤原弁護士への相談は「情報が恣意的に制限されていた」

ここで、より深刻な問題がある。

藤原弁護士への法律相談は、全面的・客観的な事実関係を提示した上で行われたものではない

この点は、その後に行われた兵庫県弁護士会への懲戒請求に対する判断理由において、事実上、明らかになっている。

■ 相談時の構造的問題

  • 告発文書の位置づけ
  • 公益通報該当性に関する論点
  • 通報者探索がもたらす萎縮効果
  • 公益通報者保護法の立法趣旨

これらについて、どこまで、どのように説明したのかは不明確であり、少なくとも、第三者委員会が後に重視した論点が十分に共有されていたとは言い難い。

つまり、

相談内容自体が、県側の判断を正当化しやすい形に限定されていた

可能性が極めて高い。

これは「専門家の判断」ではなく「都合の良い判断の取得」である

ここで重要なのは、藤原弁護士個人の資質や判断の是非ではない。

問題は、

  • 行政側が
  • 提示する情報を選別し
  • その前提条件のもとで
  • 「問題ない」という結論を得ている

という構造そのものにある。

これは、一般に

恣意的なリーガルチェック

と呼ばれる手法であり、法的リスクを検討するための相談ではなく、既に決めた結論を補強するための相談である。

第三者委員会後に現れた「基準のすり替え」

第三者委員会は、

  • 告発文書は公益通報に該当する
  • 通報者探索は公益通報者保護法違反である

と結論づけた。

ここで初めて、

  • 複数の弁護士
  • 複数の専門的観点
  • 公益通報制度の趣旨を踏まえた検討

が示された。

しかし斎藤知事は、これを受けてなお、

「解釈には様々な意見がある」

として結論を受け入れなかった。

論理の破綻点はここにある

この説明は、二重に破綻している。

① 処分時点

  • 相談先:1名
  • 情報:恣意的に制限
  • 結論:即採用

② 違法認定後

  • 複数の専門家の見解
  • 包括的な事実認定
  • →「他の考え方もある」として排除

判断基準が、結果によって後から変えられている

これは法解釈の問題ではなく、説明責任を回避するための論法である。

問われているのは「一つの説明責任」

この問題で、斎藤知事が答えるべき問いは明確だ。

「なぜ処分時点では、
多様な解釈や慎重な検討を前提としなかったのか」

さらに言えば、

「なぜ、限定的な情報で得た1名の見解だけを根拠に、
告発者を処罰したのか」

この説明なくして、「適正・適切・適法」という言葉は空虚である。

これは法治の問題である

斎藤知事は、

  • 限定情報による1名の弁護士見解を即採用し
  • 包括的検討による違法認定を拒否し
  • 判断基準を事後的に書き換えている

これは、感情論でも政治闘争でもない。

法治国家における行政判断のあり方そのものが問われている問題である。